メディア広告に携わる中で自分を修める
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2014年7月17日】慈悲で偉大なる師父、こんにちは! 皆さん、こんにちは!

 私は2000年に日本で大法を得て、2002年から大紀元の広告の仕事をしてきました。大紀元の先輩から聞いた話によると、中国大使館は3カ月以内に大紀元をつぶすと言い張り、在日華人企業たちに大紀元と業務上の付き合いがあってはいけない、大紀元に広告を載せてはいけないと告げたそうです。営業電話を掛け始めた頃、100本の電話の中で90%は大紀元と言ったらすぐ電話を切るか、或いは知らないと答えました。9%は、大紀元は中国共産党を反対し、中国を反対し、法輪功である等々こちらと弁論しました。ある人が私はあなた達を理解するが、大紀元に広告を載せることはできないと言いました。最初の半年間、私は毎日電話をしたり新聞を郵送したり、電話で真相を伝えたりしました。このように半年が過ぎて、私はやっと初の広告の依頼をもらうようになりました。それはある台湾人が経営する健康食品の会社でした。彼は私から真相を聞いた後、「私は法輪功の遭遇にとても同情し、このような真相を報道する大紀元の勇気にもとても感服します。私は大紀元に広告を載せることを決めました」と言いました。この方はその時から11年間ずっと、未だに大紀元新聞に広告を載せています。彼はすでにアメリカ、東南アジアまで経営を拡大しました。今年、彼は神韻を2回見てから記者に対して、「近い将来、真相は世界中で明らかになるでしょう」と言いました。

 以上は最初の頃、大紀元の広告の仕事をした時の状況にすぎません。すでに12年も経ちました。この12年間、あまりにも多くの事を経験し、この機会を借りてこの12年間メディアの仕事をしてきた過程と修煉体験を整理して、師尊に報告し、同修と交流したいと思います。

 一、名利情を修めて取り除く

 私は幼い頃から勝ち気な人で、負けを認めない女の子でした。中国国内の銀行で働く時、業務テストでよくナンバー1になり、数字に敏感で、市場に行って買い物する時は電卓を手に持った売り手よりも計算が速かったのです。私の頭の中にはそろばんがあって、常に計算しており、それは生活の様々な面で表れました。私は損をしたことがなく、それを楽しんでおり、密かに喜んでいました。私は計算が速いからです。

 修煉をしてから私は「失わなければ得られず」という理が分るようになり、頭の中のそろばんもだんだん薄れていきました。しかし養われた習慣はそれでも常に働きました。ある時、同修と一緒にある高級宝石店のお客さんに会う予定でしたが、その同修が個人的な事情でしばらく仕事ができなくなり、この広告は私1人で対応するようになりました。最後にこのお客さんは私達に95万円の広告オーダーを出しました。私は心が動きました。この広告は私が1人で対応し、その同修は私と一緒に1回行っただけなのです。私は手数料をもっともらうべきだと思いました。しかし会社の規定は1人半分ずつです。私は表向きには顔色を変えず黙っていましたが、本音では全然納得できませんでした。家に帰って学法し、自分をよく振り返ってみました。これは利益への執着でした。平素、私は金を気にせず使い、計算をあまりしなかったのですが、それは利益の心がないからなのではなく、面子のため、虚栄心だったのです。

 お客さんと広告の値段について交渉する時、値段を安くしたのは得失を比較判断し、お客さんを失うことを恐れたからです。正々堂々と相談できず、大紀元に損失をもたらしたのです。もっと深く掘り下げてみたらそれは「私」であり、自分の感受と得失への執着であり、更に掘り下げてみると、それは師父への不信でした。「失わなければ得られず」という法理を完全に信じず、実践は更にできていなかったのです。「師父への不信」。この心を見つけた瞬間、私は震えました。私は心の中で師父を信じているかを自分に問いました。私はちっとも躊躇せず信じると答えました。しかしどのように信じていますか? これくらいの利益も放下できないのですか? できます! もちろんできます! 私の心はぱっと明るくなりました。私は手数料をいくらもらうかに対して執着しないようになりました。自分のものなら失いません。心を放下すると気も楽になり、私はまた同修と一緒に広告営業に行けるようになりました。そして、その同修の努力によって同じ95万円の広告オーダーが入ってきました。この事を通じて私は多くのことを感じました。師父は『轉法輪』の中で次のようにおっしゃいました。「物質的利益において本当に何かを失わせるのではありません。どんなに地位の高い官職に就いても、いくら大金持ちになったとしても、いっこうに構いません。最も大切なのは、それらのことに対する執着心を放棄することができるかどうかということです」(『轉法輪』第四講)

 2009年大紀元は人事の調整を行い、中国企業向けの協調人としてほかの同修を按配し、私は降ろされました。私は自分に名を求める心がないと思っていましたが、この件で私はずいぶん長い間落ち込んでしまい、同時に強烈な自分を実証する心と名を求める心を見つけました。その一定の期間中、心から不公平だと思いました。以前誰も大紀元に広告を出さないその苦しい時期に私1人で広告を取りに行き、誰からも慰められず、むしろ使わない時になったらすぐ使わなくなり、功労がなくても苦労はあるのではありませんか? 私は大紀元を離れたくなりました。この人間味のない場所を離れるべきです。私は誰とも交流したくなくなり、毎日銀座に行って店ごとに営業し、仕事の作業量を高めることで自分の苦痛と大紀元同修たちへの失望を忘れようとしました。心の中では、同修たちは口だけ甘く、真善忍は何一つ実践せず、他人への思いやりがないと不満を持っていました。

 しかし、心の深いところでは分っていました。私は大紀元を離れてはいけません。しかし強烈な名を求める心は、すでに突き当たりまで来たように感じました。この心を避けられません。私は昏々として日々を送り、昼は広告営業に行き、夜は家に帰って悲しみ、苦しんでいました。子供は幼く、家に帰ると家事がたくさん待っています。半年ぐらい広告が取れませんでした。私は限界を感じました。師父の法身像の前に走って行き、大いに泣きました。身体に溜まっていた悔しさと涙で、私は師父に聞きました。いったい何が弟子を苦しませているのですか? 師父だけが私を知っておられます。いつまで泣いたのか、私の頭はだんだん明晰になって来ました。私は自分に聞きました。仕事は誰のためにしているのか? なぜ大紀元で働いているのかを。

 一続きの問題から自分をだんだん再認識できるようになりました。2002年から2009年にわたるこの7年間、大紀元の広告の仕事をする中で、いくら手強い中国人に出会っても私はいろいろな角度から、その人達が真相を認識するまで諦めませんでした。法を正す時期の大法弟子の使命は衆生を救い済度することです。私はこの事をずっとしてきたのではありませんか? 苦しむ必要があるのでしょうか? 同修に負けたくない、これはとても強い闘争心ではありませんか? 同修が広告を取ってきたら心のバランスが崩れる、これは嫉妬心です。同修の前で自分はできると見せたいのは、名を求めることです。この体がこのような心の指示を受けて営業をし、広告を取ろうとしても成功できるのでしょうか?

 私はだんだん分ってきました。すべての苦しみは自分の執着心によるもので、このすべての按配は自分の執着を暴露し、なくすためでした。同修に感謝すべきではありませんか? 不満を持っていけるのでしょうか? 相当長い間、無駄に過ごし、広告も取れなかったのです。もしその時、怒りで大紀元を離れたら、それこそ自分の修煉における最大の損失になるのです。私は師尊の加持に感謝します。私は乗り越えて来ました。再び衆生を救い済度する正念を持ち、ただ広告を取るためではなく、これ以上誰が協調人であるかも執着せず、大法弟子の本分は衆生の救い済度で、衆生を救い済度することなら何をしても同じです。

 執着を放棄したら、新しい道が見えてきました。私はブランド店たちが新聞広告を出していないことに気付いたのです。しかし、そこの衆生たちにも真相を伝えるべきで、その上ブランド市場は我々の空白でもありました。中国国内から来た大勢の観光客がブランド品を買うので、この市場を開くべきでした。私は心の中で、この分野の日本人を救い済度すると同時に、この市場も開こうと決意しました。2011年、私ともう1人の同修で、ライフジャパンという業務を始めました。ライフジャパンはブランド市場を開くために大紀元が始めた新しいプロジェクトです。

 ライフジャパンを始めた時、他の国の大紀元はブランド市場ですでに相当な規模になっていることが分かりました。日本は遅い方でした。そして巡り合わせも悪く、ライフジャパン第1期を出版したばかりの時、東日本大震災が起きました。日本への観光も一時的に停止され、2011年7月になってやっと回復し始めました。多くのブランド店は傍観しているだけで、広告を出さず、大紀元の営業額は氷点まで下がりました。メディアは法を正す最前線におり、私達は必ず広告を取って、メディアの運営をサポートすべきです。私ともう1人の同修はこの一念を固く守り、外部環境の影響を受けず、妨げを取り除き、営業力を強化して、2011年9月には営業額の目標を達成しました。

 それ以後は毎回目標を達成することができ、一定の期間中、仕事はとても順調で、本当に思い通りに行われました。営業の面で同修が先頭に立ち、私は後ろでサポートする良い仕組みを作りました。協調もどんどんうまくなり、私はだんだん同修に対して依頼心が生じ、安逸心も出てきました。私の代わりに大紀元の広告を取る人がいて、私は楽をしてもいいと思ってしまいました。しかし、誰が私の修煉を替わってくれることができますか? 誰が私の替わりに私の救うべき衆生を救い済度することができますか? 私の使命は他人が成し遂げてくれるものなのでしょうか? この正しくない念によって環境にも変化が生じました。

 2012年に尖閣諸島問題が起き、中国の観光客が日本に来ないことが再び発生しました。同じ年にライフジャパンを一緒にしてきた同修もアメリカに行くことになり、ライフジャパンは私1人で営業をするようになりました。それも観光客が来ない時期に、私は大きな圧力を感じました。心から退きたい念が生じました。ライフジャパンをやらなくても構いません。人手が足りず、私1人では無理だと思いました。やっても元の営業額の半分を満たせば良いなど、マイナス的な考えでいっぱいでした。辞めたかったのです。

 しかし、法を正す時期の大法弟子に偶然なことが起こるはずがありません。私は心を静めて学法しました。大法弟子1人は10人、100人分の仕事が出来るはずです。自分は10人、100人分の仕事が出来たのか? 常人も1人で2人分の仕事ができるのに、私はなぜ2人分の仕事さえできないのか? これは苦難から退き、安逸を求める心があるからです。安逸心を見つけたら、それをなくすべきです。ライフジャパンを1人でも続けるべきで、もっと良くしていくべきです。「大覚は苦を畏れず」(『洪吟二』)、これは法を正す時期の大法弟子に対する要求です。

 本当にやっていこうとする時、目の前に現れたのは苦難ばかりでした。まず2人で対応してきたお客さん達を1人で対応し、そして銀座に行って新聞を配る人を探さなければなりません。最も苦しいのは広告が取れないことでした。元の営業額の半分を満たせば良い、という正しくない念をすぐ否定しなかったため、その期の営業額は本当に自分の思った通り元の半分に留まりました。私は自分を反省せず、大紀元の同修達が私を助けてくれないと不満に思いました。土日は銀座に行ってライフジャパンを配らないといけません。引き続く何期かのライフジャパンが連続して営業額の目標に届かず、各期ごとのライフジャパンを出版するたびに、私は生死の関を越えるように感じ、ライフジャパンを続けるべきかを考えました。根本的には自分の安逸心が取り除かれず、このすべてが師父の按配であることを信じず、法を実証するのではなく、自分を実証しようとしたからです。

 二、色欲を取り除き、旧勢力の按配を徹底的に否定する

 ライフジャパンの営業額が連続して目標に届かず、私は自分の修煉においてどのような問題が存在しているか、安逸心以外のどの心が旧勢力に隙を突かれ、衆生が広告を出すのを妨げているかを反省してみました。一時期、私の爪の周辺がただれ始めました。修煉してから私は病業に遭ったことがほぼなく、そして修煉者は病気がないと私は固く信じていました。しかしなぜこのような現象が現れたのでしょうか? 偶然はありません。私は最近自分が何をしたかを調べました。マニキュアを塗ったのです。なぜマニキュアを塗ったのだろう? マニキュアを塗って他人の注目を引くためでしょう、この背後には色欲がありました。それから私は二度とマニキュアを塗らず、同時に発正念をして色欲を取り除きました。二日間で爪は良くなりました。

 自分の色欲を意識した出来事がまたありました。修煉する前から私にはよくない癖があって、背の低い男性には目も向かず、そのような男性を見るととても気が塞いでしまいました。ある時、お客さんに会いに行ったら、その人はまさに私が嫌う背の低い男性でした。私は自分の嫌がる心を抑えて、そのお客さんに多くの真相を伝えました。その日、私達は2時間ぐらい話し合い、その人も分かってくれました。その後もそのお客さんの紹介でブランド時計の広告が取れました。電車に乗って帰りながら、自分はなぜ背の低い男性をそれほど嫌うのかを反省しました。背の高い男性やハイヒールを履いた美しい女性なら何度も見ました。これは全部色欲の表れでした。認識できたら直すべきです。私は背の高さや人の美しさなどを気にせず、人々に同じ態度で接するようになりました。好き嫌いをなくしてこそ慈悲が生じ、衆生ももっとよく救い済度できます。そして、発正念をして旧勢力の按配を否定しました。私に漏れがあるために、衆生が大紀元に広告を出すことを妨害してはならない、と。

 三、同修への不満を取り除き、本当の意味で協調する

 ライフジャパンの営業額が目標に届かないことから、私は大紀元の広告の仕事をしているほかの同修達に、私を助けず、私1人に任せているなどの不満を持つようになりました。ある時、子供が私の前で『洪吟』を暗唱していました。「めるをもってらくとす」を暗唱する時、突然私の頭に突き込んでくるように感じました。私は「めるをもってとす」を実践できたのでしょうか? 「するをさんせず するはがたし」(『洪吟』)と師父はおっしゃいました。私は毎日とても多くの事をし、身を労したとは言えますが、心を修めず、だからこそ同修達に不満を持ち、「めるをもってとす」をも実践できなかったのです。師父は私の向上を願っていらっしゃるのではありませんか? 私はなぜ外に向けて探しているのですか? このすべては師父の按配した、衆生を救い済度し、威徳を樹立させるための、私が歩むべき道です。それから同修への不満が生じるたびに、私はその考えは善ではない、自分が足りないだけである、とその考えを否定しました。同修への不満も頭の中でだんだん減っていき、同修達の苦労も理解できるようになり、問題があると心を開いて同修と交流し、心から同修と協調が取れるようになりました。

 今年、ニューヨークの法会に参加した同修達は帰ってきて次のように話しました。実績が最も良いロサンゼルスではこの数年間、集団学法の環境を守ってきたそうです。私は聞いた後、自分に言われたように感じました。この数年間、同修達は毎朝集団学法があると言ってくれましたが、私はずっと子供が幼いという理由で参加しませんでした。実は朝、そこまで忙しくなりたくないという安逸心が隠れていたのです。師父は「初志貫徹すれば、修煉は必ず円満成就する」(『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』)とおっしゃいました。私は初志貫徹したのでしょうか? 修煉を始めたばかりの時は、どんなに忙しくても毎日五式の煉功を終わらせ、学法は1日3講を読むこともよくあることでしたが、今は五式の煉功も確保できず、煉功の時間を短縮する時もあります。

 私は自分の時間を調整しました。朝4時半に起きて五式の煉功を終わらせた後、夫のお弁当と子供の朝食を作り、大紀元に行って朝の学法に参加しました。毎朝通い始めた頃、同修である家族は「なぜ毎日こんなに早くお客さんに会いに行くの?」と聞いてきました。私は会社に行くと答えました。彼は「突然、勤勉になったね」と言いました。私は自分の安逸心がずっと取り除かれず、彼にこのような思いがあることが分かりました。一定期間続くと私の心身ともにとても大きい変化が表れました。自分でも自分の空間場のすべてが加速化することが分かりました。元々私の時計は30秒遅れていましたが、今は30秒早くなり、広告のお客さんもできるだけ早い内に私に返答するようになりました。以前お客さんに提案を送ったら、ずいぶん経ってから答えがきましたが、今お客さん達は提案を受けてから1週間以内に返答をくれます。このすべての変化を感じて、私は、自分の修煉状態によって周りのすべてが変わることが分かりました。

 中国から大勢の観光客が日本に来ています。この人達に真相を伝えるべきであり、この人達によって大きな市場ができました。私達はこの機会を逃さず、メディアを大きくするべきです。法を正す時期が今日まで続いたのは衆生のためです。必ず師父の按配があるはずです。私はより多くの同修が大紀元に加わり、地元に大紀元の根を下ろし、より多くの善良な日本人も救うよう願っています。

 アメリカから同修は次のような言葉を持って帰ってくれました。「大紀元の広告の仕事は難しくない。心を込めて、人を救い済度し、修煉するのみである」。私はライフジャパンの営業についてこの表の空間で、どうもっとよくするかを考え始めました。紙の新聞とネットを完成させ、紙の新聞広告を通じて観光客をお客さんの店に案内させます。ライフジャパンは配布もするので、お客さんが持ち運びやすいようにA4の大きさに変えました。私達にはテレビ局もあり、私達はこの業界で競争相手に並ばれないナンバー1になるべきです。師父も弟子が心を込めてやっているのを分ってくださったでしょう。先日、お客さんに会ってからもう少し営業をしようと、店舗数店を回ってみました。ある宝石店からすぐ200万円の広告オーダーをもらいました。その宝石店には偶然入ったようですが、実は師父の弟子への励ましであったことが分かります。

 次号のライフジャパンは高級時計の広告が足りませんでした。どの店を訪ねたらいいかと思っていたところ、先日、私が2年間営業をして結果がなかった店から、次号のライフジャパンに広告を載せたい、という連絡が来ました。これは銀座で最高級のブランド時計店です。私にとても大きな自信を与えてくれました。師父は私達を見守ってくださっています。私達が執着なく全力を尽くす時、師父の按配は最もよいことが分かります。すべては師父がなさっており、私は法の要求に従って少し動いただけで、師父による奇跡を感じました。師父が弟子に広告を下さるのです。師父はすでにすべてを按配されています。私達は動くだけです。口で言うだけではなく、心からこのすべては師父が下さったと信じるべきです。

 今の大紀元はすでに力強いチームスピリットができており、内外に対して私心なしに仕えており、感謝しており、謙虚であります。師父は大紀元の広告の仕事をしている同修ごとに最も良いお客さんを按配してくださいました。私達があきらめず、続けてやれば、必ず師父の按配されたお客さんに会えます。この場を借りで黙々と大紀元を配っている同修達、そして銀座に行ってライフジャパンを配っている同修達に感謝します。あなた達の支持があるからこそ、私達には力強い後ろ盾があり、お客さんへの言葉ごとに、一つひとつの提案について自信満々になれます。

 この十数年の修煉と大紀元の営業をしてきた過程を振り返ってみると、本当に転がりながら歩んできました。もし師父が慈悲に見守ってくださらなかったら、越えられなかったかも知れません。もしもっと早めに精進し、確実に修めることができたら、損失がもっと少なかったかも知れません。多くの修煉の機会を逃し、多くの救い済度すべき衆生ともすれ違い、師父の慈悲なる済度に申し訳ない限りです。私は今後の修煉の中でもっと努力して精進し、確実に修めて師父の良い弟子になりたいです。最後に師父の『洪吟二』「正念正行」で同修達と一緒に励まし合いたいと思います。

正念正行

大覚は苦を畏れず
意思は金剛より鋳られる
生死に執着無く
坦坦たり正法の路

二〇〇二年五月二十九日

 次元に限りがあるため、同修達の慈悲なる指摘をお願いします。師父、ありがとうございました! 皆さん、ありがとうございました!

 (2014年アジア地区法輪大法修煉体験交流会)

 
 
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