病業と色欲の心
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文/中国の大法弟子 潔身

 【明慧日本2014年6月29日】あるとき、私の太もものすねに、硬い塊ができました。激痛があり、日に日に増々大きくなりました。私は心の中で「腫瘍ではないか?」と思いました。あまりのショックで、私は内に向けて探しました。これも、あれも、多くの執着心が見つかりました。しかし、私はちゃんとわかっていました。それらの執着心は本当の原因ではありません。最後に、私は「色欲の心」だと認識しました。以前、「色欲の心」を重視したことがありませんでした。「色欲の心」が見つかると、痛みも感じなくなり、症状はよくなりました。

 またあるとき、私は「寂しい心」と「色欲の心」に促され、色情のものを見ました。すると、私の体に「病業」の症状が現れました。足から腰まで、かゆくてたまらなくなり、赤いこぶがたくさんできました。非常に怖い思いをしましたが、師父の説法を読んでいると、だんだん、わかるようになりました。テレビで何かを見たり、街で何かを見たり、何かを聞いたり、それは全部自分の体に入り込んでいました。邪党の宣伝により、「男女の情」「婚外の情」は当たり前のようになっています。私がそれ見ることは、体に良くないものを入れているのです。「色欲の心」を見つけたあと、「病」は完治しました。

 当然、「色欲の心」は良くないテレビを見ることだけでなく、自分の言葉、立ち居振る舞いの中に現れます。たとえば、異性の前で、おしゃれを重視し過ぎたり、猫なで声を出したり、わざと話を長くしたり、粘ついたりします。同修がほかの同修に関して「色欲の心」の問題を交流するときに、同修の話を中断しようと試みました。「男女関係のことを人に広めないように、自分は同じことに出会っても、人よりましだ」「男女関係の過ちがあった同修が大法修煉をする資格がないとは言えない」と、いつも弁解しています。男女の問題を起こした同修に「寛容」「優しく接する」「受け入れる」などの言い方をよく口にしています。わざと「同修に寛容に」と「大法の威厳」の概念をよく混同しています。そして、男女関係を放任する同修の過失感を減少させ、罪を感じさせないようにしていました。もし自分が将来同じような男女関係の過ちがあったらと、今のうちに、自分のために退路を保とうとしていました。表からみると、「善」をもって同修に接していますが、実際には同修に損害を与えました。『明慧週刊』で、中国の伝統文化の物語を掲載しています。その中に「色心が動じれば、直ちに罪になる」という物語がありました。実質的な男女関係があれば、罪になるだけではありません。邪念が動じれば、罪になります。

 「病業」が現れたら、外に向かって解決方法を探したり、同修の助けを求めたり、うわべのことばかり重視したりして、「色欲の心」の問題について、深く探す勇気がありません。ある同修はずっとこの「情」と「色欲の心」の邪念を覆い隠し続けました。私たちは「色欲の心」「男女の情」の面からしっかり探すべきです、根本的な原因が見つかるかもしれません。

 実は、多くの大法弟子は何回も労働教養所で迫害され、「病業」に迫害されましたが、すべて「色欲の心」があり、その中で過ちを犯した人もいます。さらに、命を失う人もいました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/5/9/240378.html)
 
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