文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年2月27日】私と同じく、かつての多くの小弟子は青年同修に成長しました。しかし、そこには大きな漏れがあります。それは、同修である両親の法に対する理解を、法として自分の修煉を指導したため、それによって、修煉では多かれ少なかれ自立できないという問題があります。
私はここ数年やっとこの問題に気が付きました。邪悪がもっとも荒れ狂っていた時、同修である母は全国で最も邪悪な洗脳班に連行され、迫害されました。長期にわたり睡眠を取らせない高圧の環境の中で、母は精神が完全に崩壊し、邪悟に追い詰められました。当時、私はまだ中学生でしたが、周りの多くの小弟子は親が邪に悟った後の教えを聞いて、修煉を止めてしまいました。そのため、私は邪に悟った言葉を一言も聞いてはいけないと知っており、心の中では邪悟者をとても恐れていました。母が釈放されてから、私は「けっして邪悟の話を聞かない、たとえ全ての人が修煉を止めても、私は止めない」との一念をしっかり持っていました。その結果、母は私に邪悟の言葉を一つも発しませんでした。しかも、彼女が精神病院に治療に行くその日(洗脳班での迫害によって精神が崩壊した)、私に病業が現れ、しかも病状がとても酷かったので、母は病院に治療に行く気持ちをなくし、逆に、私の修煉のきっかけが小さいときから体が弱く病気がちだったことを思い出してくれました。また、運命判断では私の人生はとても苦しいので、その苦しい運命を変えるため、人間の苦難から脱出するため、母が修行の道を求め続けたことも思い出しました。
こうして、母はもし自分が心から法輪大法が真実であると認めれば、私の病業が治ると悟りました。結局、私は母が『轉法輪』を一講読んでくれたのを聞いて、病状が次第に治まり、それにより、母も修煉に戻って来ました。師父は私が修煉を続けたい気持ちを知っておられ、また、母にも修煉に戻ってきて欲しいと思われたのです。ただ、私は当時まだ年少で、邪悟者をとても恐れて、母をとても説得できないと師父が見られたため、わざわざこのことを按排してくださいました。
しかし、地元の一部の子持ちの同修は、かつて意志がとても強かったのですが、洗脳による迫害を受けた後、大法に否定的になりました。彼らが反対側に走ることによって、彼らの子供弟子もみんな反対側に走ってしまいました。なぜ小弟子たちは自分の親を大法の側に取り戻そうと説得せず、却って、自分まで迷ったのでしょうか? 私はこの問題を長く考えました。その結論は、小弟子たちは修煉において自立しておらず、親の言うことに従っているだけで、法に基づいて行動していなかったのでした。
「7.20」以前、幼かったため、多くの小弟子は両親について修煉し、大法に対する理解も同修である両親から来るもので、親の言う通りにしていただけでした。しかし、この世代の小弟子は今、すでに青年になったにもかかわらず、以前と同じように修煉を親に頼ってしまい、親の法に対する理解を自分の修煉の指導にして、人に頼って学び、法を学ばない状態になってしまいました。これは修煉上の大きな漏れです。
私達も気づいていないことは両親も修煉者で、程度の違いの執着心を持っており、とりわけ子供に対する情を強く持っていることです。修煉の中で、情に対する執着は修めて放下してはいますが、しかし、子供に対して、親はどうしても情で対処しがちなので、小弟子の修煉に影響を与えてしまいます。最もよく見られることは、小弟子なら誰でも経験したことがあると思いますが、病業が起きた場合、両親は多かれ少なかれ私たちに薬を飲ませ、病院に行かせようとすることです。それは両親が子供に対する情を放下することができず、私達に苦痛を耐えさせたくない、子供を修煉者としてみなすことができないと心配しているからです。この問題については、本当に師と法を信じているかどうか、私たちが試されていることは容易に分かりますので、ほとんどの場合、私たちは師父の法に基づいてしっかりと行うことができます。
しかし、「7.20」の後、中国の複雑で厳しい環境の中で、親は子供に対して多くの情を生じ、これらの心は全ての子供の修煉を妨げています。以前、私は地元には若い同修が一人、二人しかいないと思っていましたが、その後、若い同修が実は少なくないことが分かりました。しかし、親は子供が迫害されることを恐れて、子供に同修と接触させないようにし、顔を出させませんでした。こうして、小弟子たちは常人の中で安全にはなりましたが、彼らは大法弟子の全体から離れ、三つのこともほとんどせず、多くの人は常人の染めものがめに落ちてしまいました。
一部の親同修は自分の修煉が子供の将来に影響を及ぼすのではないかと恐れ、旧勢力にその弱みを握られ、迫害の中で邪悪に妥協し、同修を白状し、修煉に汚点を残しました。また、一部の親同修は自分の邪悪の迫害には断固反対しましたが、子供の将来や仕事のため、邪悪が子供に保証書を書かせようとする場合、子供に書かせました。子供は親の言う通りに書いたため、自分に汚点を残し、最後に修煉を放棄してしまいました。また一部の親同修は自分に対する迫害は恐れないのですが、しかし、自分が迫害された場合、子どもの面倒を見る人がいなくなることを恐れて、大胆に衆生を済度することができず、協力が必要な場合、逃避したり、自己を保護したり、或いは海外に行って、この邪悪の環境を逃れることに執着したりします。一部の親同修は子どもが修煉しても精進しないことを心配して、自分が成就円満した場合、子どもの生活を考えて、子どもに恋愛や結婚をさせ、法に基づいて精進して、共に師父について本当の自分の家に帰るように導きませんでした。その結果、もともとあまり精進しない小弟子は男女の情に迷い、小弟子の漏れが逆に親同修の修煉を妨害し、最後に迫害を招き、親子ともに反対側に向かってしまったケースもありました。
修煉はとても厳粛なものです。特に最後になればなるほど、子どもに対する情は自分の修煉と衆生を救うことに大きく影響し、更に小弟子の修煉にも影響します。それが、かつての小弟子が迫害が始まってから次第に大法から離れる一つの原因ではないかと思います。
実は法の中で修め、内に向けて探すことは最も安全なことです。明慧ネットには親子の同修がお互いに協力して人を救い、法の上で共に高め合い、共に精進する例は少なくありません。ある同修から聞いた話ですが、警察が子ども弟子の将来をもって、親を脅しましたが、その同修は正念がとても強く、子どもの未来は師父が見ておられると、邪悪に協力することを拒否しました。結局、子どもの将来は影響されるどころか、子どもはもっと良い会社の上司に気に入られ、更に良い仕事に就くことができたそうです。
私の周りにいる多くの親同修は三つのことをとても良く実行しており、同修間の協力も積極的に行っています。しかし、自分だけは立派にやっているのに、周りの小弟子のことになると人心に妨害され、彼らに多く人を救うことをさせようとしません。それによって一部の小弟子は精進せず、一部は完全に常人の生活を過ごしているのに、親同修はそれを重視せず、力を入れて監督しようとしません。
修煉は年齢と関係なく、小弟子も親も共に師父の弟子なのです。小弟子にも、いろいろ修めて取り除く執着心があり、自分の歩む道と自分で済度しなければならない衆生があり、自分が果たすべき使命があります。親同修がいくら立派に行っていても、小弟子の修煉に取って代わることはできないのです。
以上は親同修の問題について話しましたが、それでは、小弟子としての私たちも自分の原因を探すべきではないでしょうか。いったい何が親同修の認識を私たちが法を師とみなすことに取って代わったのでしょうか。いったい何が親同修に私達をこれほど手放さないでしょうか? 一体何が私たちが自分の道を歩むことを妨げているのでしょうか?
まず一つの原因は、私達が幼いときから同修である両親の意見に依存しており、その依存心が旧勢力に握られているため、私達が法を師とみなすことができないようにしてしまいました。甚だしきに至って、時には大法に従うべきだと知りながらも、親同修の一つの目つき、或いは一つの言葉で、自分の法に対する認識を放棄しまうこともあります。
次の原因は、私達自身の修煉が未熟なため、両親は私たちをなかなか手離すことができないことです。多くの小弟子は修煉を始めた時、年齢は幼く、教育水準も低く、師父の説法を完全に学んでおらず、自分をずっと小弟子として位置づけて、自分に対する基準を下げていましました。私は同修の交流文章の中で、若い同修が調子にのって、無鉄砲で、大事をしたがり、執着心が多く、迫害を招いたならば、肝心な時に守りきれず、同修を白状する、などのような指摘に同感です。もう青年に成長した私達は、まず、法をしっかり学び、自分をしっかり修め、明慧ネットの理性的な交流文章をよく読み、自分の修煉の成熟に従って、多くの問題にどう理性的に対応すべきかが分かれば、親同修も自然に手を離して、いろいろなことをさせてくれるのではないでしょうか。
実は子連れで修煉する大法弟子の人数は結構多く、もし、うまく導いて行けば、とても大きな力を発揮することができます。神韻を見れば皆さんはそう感じるでしょう。また海外には大法小弟子は電話で真相を伝えて、中国人を済度することに大きな役割を果たしています。小弟子は観念が少なく、向上するスピードも早く、人を救う心も純粋で、勉強能力も強いのです。そうなれば、人手を増やせるだけでなく、人を救う効率も力量も高まります。
当然、一方で、親同修の個人の修煉状態も直接家にいる小弟子に影響を与え、小弟子の修煉状態も逆に親同修に影響を与えます。小弟子を持つ親同修は小弟子を育てる責任があり、忍耐強さと寛容さが要求され、さらに、情を放下する必要があり、迫害を恐れず彼らに使命を果たさせなければなりません。師父が私達全体の向上を待っておられることを知っていただきたいのです。
もし、私達中国大陸の昔の小弟子が誰でも自力で法に基づいて問題を考えることができ、謙虚に親同修の意見を受け入れる時、法に照らして考えれば、親たちも法に基づいて私たちの修煉を見ることができ、私たちも親同修の良い助手になれます。私たちが法の中で成熟すれば、親同修も自然に安心して人を救うことをさせてくれるでしょう。私たちがお互いに協力すればもっと大きな力を発揮することができます。
親同修にお願いしたいのは、小弟子を普通の同修とみなし、学法チームに参加させ、大法弟子の一体を形成させ、法を正す進展に追いつき、小弟子の特長を発揮させ、担えるプロジェクトを大胆に任せ、問題が起きれば、法に基づいて善意を持って注意し、法の中で切磋琢磨し、自分の家の小弟子を、修煉と人を救うことにおいて早く成長させることを期待しています。
浅はかな認識ですが、適当でない所があれば、同修のご指摘をお願いします。合掌。