同修である息子を正しく指導する
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文/スウェーデンの大法弟子

 【明慧日本2014年2月24日】最近、息子がオンラインでの学法に参加するようになりました。その過程において心性の関もあれば病業の関もありましたが、息子と共に乗り越えることによって心性の向上ができました。今になって振り返ってみれば、すべてにおいて師父による慈悲なるご加護がありました。師父に感謝いたします。

 息子がオンラインでの学法を始めてまもなく消業の状態が始まりました。咳、風邪の症状が現れ、ひいては血痰を吐くこともありました。息子は妻に励まされながらなんとか続けていましたが、数日後私が集団学法に行った時のことでした。息子と一緒にオンラインで学法をしている同修に、「お宅の息子さんは、学法への参加が遅れた時、いつもどこまで進んでいるかを尋ねて他人の学法を邪魔しています」と言われました。その話を聞いた私は少々焦り気味で、「息子は今まで集団学法へ参加することはほとんどなかった。オンラインでの学法に参加した矢先に、同修達を邪魔することは、絶対に許せない」と、帰宅したらしっかり叱っておこうと心に決めました。その時、指摘した同修は更に「今後、もしスタート時間に間に合わなければ、来なくてもいいです」とつけ加えました。私の心は激しく揺れました。厳重な警告としてその言葉をそっくり息子に伝えておこうと決心が固まりました。

 学法の帰りに先ほど言われた事について別の同修に相談してみました。心外なことに全く反対の意見を聞かされました。「息子さんは法をよく読めていますよ。私達は大歓迎です。子供の気持ちは変わりやすいので厳しく言い過ぎると抵抗して逆効果になります。くれぐれも怒らないようにしてください。息子さんに同じ学法チームのおじちゃんとおばちゃんがとても上手だと褒めていたと伝えた上で、今後はもう少し早く参加したら完璧だと慎重に注意してあげたほうがより効果的ですよ」と目覚めさせてくれました。

 もし私が息子に対して納得がいかないような怒り方をしたら、彼の性格だと間違いなく必死に反抗して学法をやめてしまいます。師父は子供弟子に良い機縁を按排して彼らの佛性を啓発するように加護されています。子供弟子の他次元における葛藤を解して常人社会の誘惑による束縛から脱出させるなどご苦労されていることは、私たちの想像を遥かに超えています。しかしその全てが危うく私の言葉でダメにされてしまうところでした。なんと危険で無責任だったかと気づきました。私は「息子のためだ。大法のためだ」という名目を付けて本当にいけないことをしようとしていました。慈悲なる師父は他の同修の口を借りて私を悟らせてくださり、幸いに大事にいたらずに済みました。

 帰宅後、妻にそのことを話すと、「これからは私ができるだけ早めに食事を済まさせ、学法の時間になったら注意するように心がけます」と妻は約束してくれました。それ以来二度と息子が学法に遅刻する噂を聞きませんでした。

 しかし暫くして、またある同修に、「お宅の息子さんは学法の時によく席を外します。彼の番になってもいないからよく人を待たせています。それは師と法に対する不敬です」と注意されました。私は聞いて、「師と法に対する不敬とは大変なことだ。多くの同修は旧勢力に隙に付けいられて迫害の口実にされた。それだけはどうしても許せない」と焦って、すぐ妻に電話をしました。妻は腑に落ちない口調で、「事情が分からないのに出まかせを言わないでください。確かに2回程消業のせいで、咳がひどくてトイレに入っていました。ある時は血痰が出たので彼自身もびっくりして、学法の順番を見逃してしまいましたが、しかし師と法への彼の心はとても純粋ですよ。咳がひどくてとりあえず学法を休むと言い出した時、『それは学法できないようにさせる魔の干渉です。絶対あきらめないで続けましょう。師父は業を消して下さっているのです。もうすぐ治りますよ』と私の励ましで、また続けていましたよ」と話しました。

 妻の話を聞いてとても恥かしく思いました。何度も同じ過ちを犯させられそうになった執着はなにかと落ち着いて考えてみると、息子への重い情があったのです。息子が精進せず、業を作ることを恐れて正念を失い、なかなか冷静になれませんでした。一方で、息子がよくできていると鼻が高くなり、よくできていなかったら怒るのは、明らかに名利を求める強い人心ではないでしょうか? 同修から息子への指摘を聞いたときは冷静になって善意と知恵をもって解決方法を見つけるのではなく、軽率に独断に走り、人心をもって常人のやり方で問題を解決しようとしていました。自ら心性が向上するどころか、返って事情を複雑化してしまうところでした。息子も先史に重大な誓約をして法を得に降りてきた神だということを忘れていました。法を得る過程において度重なる阻みを突破して数知れない難関を克服しても、一つの関を乗り越えられなければ大法と擦れ違ってしまい、千万年の期待は泡となってしまいます。正念を揺るぎなく持つように、細心の注意を払って加護し善意をもって励まさなければなりません。知恵をもって啓発しなければなりません。厳しく叱責したりダメだというレッテルを張ったりするようなことは、実質上彼に難を加えてしまうのです。それは旧勢力のロジックではないでしょうか。

 子供弟子を正しく指導することは簡単ではないことが分かりました。明慧のホームページの精進の実例を読ませれば自ら変わるような簡単な問題ではありません。父親は自らの執着を取り除かなければならないことも含めて大変難しい役です。頭の中の党文化の害毒を取り除いて自ら向上して初めて、子供弟子を正しく指導することができます。子供弟子を軽くみてはいけません。正念をもって慈悲をもって接してはじめて良い結果に結びつくのです。

 それを悟った途端、私に消業の状態が始まりました。体中が無数の針に刺されているかのようで痛みがとまりませんでした。もっとも激しい痛みが走る時、心の中で「このちっぽけな業力は絶対に耐えられる。師父は私の為に、同時に他空間でこれより千倍も万倍も私の業力のために耐えておられる」との念が出ると、師父への感謝の気持ちが泉のように湧いて、涙が止まりませんでした。師父は様々な機縁を作り、私達大法弟子を少しでも向上させる為に自らの執着を気づかせ、大法弟子を啓発し、悟らせ、私達の心性が少しでも向上したら巨大な業力を消して下さいます。以上は、十数年にわたる修煉過程の中のごく普通の断片に過ぎません。

 師父への感謝の気持ちは、この世の言葉では語り尽くせません。しっかり実修してひたすら精進し、師父による慈悲なる救い済度というご恩の万分の一でも報いたいと思います。

 以上は、自らの些細な悟りなので、不適当なところがありましたら同修による慈悲なるご叱正をお願いいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/8/287311.html)
 
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