師父の慈悲なるご加護のもとで法輪大法を修煉する(三)
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文/シアトルの大法弟子

 【明慧日本2013年11月6日】先生の慈悲なるご加護があったからこそ、私は世間で引き続き人を助けることができるのです。2008年の母の日、姪が来て、私をチャイナタウンでの食事に誘ってくれました。その時、私は電気コンロで湯を沸かしていました。水は多くなく、やかんの底から3センチぐらいの水しか入っていませんでした。もともとお茶を入れて客に出すつもりで したが、姪に早くと催促されたため、私は家を出ました。その時、電気コンロの火は一番強火にしていました。チャイナタウンでご飯を食べ終わって帰って来たら、すで に3時間が経っていました。台所に入って見ると電気コンロの火は真っ赤になっていました。しかし、やかんに触っても、取手は意外にも熱くありませんでし た。

 やかんの蓋を開けてみると、水が1滴も残っていないにもかかわらず、やかんの底は抜けていないし、やかんも赤くなっていません。やかんに水を入れても水漏れもありませんでした。私は師父の写真の前に跪いて、「師父の慈悲なるご加護のおかげです。神通力でやかんの底と火を仕切って下さらなかったら、その結果は本当に考えるだけでも恐ろしいものでした」と言いました。あのやかんが熱くなったら、上のベークライトは溶け、電気コンロの下にはタオルを掛けていたので、 もしそれが燃えて床に落ちたら、下の絨毯に引火し、床に火が付いて、家全体が危なかったのです。この家は息子が40数万元を使って買ってくれたものです。 引っ越してまだ数カ月しか経っていませんでした。特に私の夫は中国に帰っていて、出発前に何度も私に火に注意するようにと言っていました。彼が出発してすぐに大きな火事を起こして家を燃やしてしまったら、私は夫と息子にどう詫びることができたでしょうか! この先どのように法を実証するだろうと思いました。

  そのほかに、私のような70代の年配者にとって、普通の人なら、いろいろな病気が出てきてもおかしくありません。この前、しばらくの間、私は心臓に何か問題 が起きたように思いました。坂道を登る時や平地を歩いても喉が熱くて辛く、長距離を走った後のように、息苦しく、心臓の具合が悪くて、ショックを起こすよ うな感じでした。その後、家の中で歩いても同じような感じがしました。もし私がそれを病気だと認めてしまえば、きっと本当に病気になり、その上きっと大病になるに違いないと思いました。私は徹底的にそれを否定しました。「私は修煉者で師父に見守られており、真善忍の特性に同化して、生死と遠く離れている人 間です」と一念を発しました。しかし、私の父は60歳にならないで心臓病で亡くなり、兄もその病気のため63歳で亡くなりました。他の2人の兄もすべて心 臓のバイパス手術を受けていました。しかし、この一族の遺伝は修煉者の私には働かないと思いました。私の心の中では生死に対する恐怖はありません。私はいつも通りやるべきことをやり、煉功をし、真相を伝え、夜には電話をかけました。1、2カ月後、これらの病状はすべて無くなり、私はまた正常に戻りました。

  2010年の冬、私達の地区では「神韻」を主催することになりました。私は発正念チームのメンバーになりました。毎日、同修達と一緒にバスに乗ってある所に行って正念を発しました。往復の時間を含めて、大体7時間が必要でした。帰って来た後、法を学び、夜にまた電話をかけなければならず、一日3時間の睡眠時間しかありませんでした。ある日の朝、起きると、突然眩暈がして、私はすぐにそこに座って手を立て「邪悪の妨害を徹底的に否定し、私のすべきことをしっかりと行うことができますように」と正念を発しました。

  立ち上がってから、私は外に出て歩きました。頭はとてもすっきりしたので、私は直ちにバスに乗って、みんなと一緒に指定された場所に発正念をしに行きまし た。その日の夜、電話をかけた時、情況は深刻になり、眩暈、耳鳴り、吐き気がして、足は自由に動かず、私はベッドを掴んでゆっくり2、3歩歩いて、ベッド の前の小さな絨毯に座り、「電話をかけて三退を勧めることは人を済度することで、いかなる邪悪も妨害する資格がありません」と正念を発し、再び電話を掛け はじめました。私は20余りの電話をした後、突然耳がはっきり聞こえるようになり、ブンブンという感覚が無くなり、頭も更にすっきりしました。私は夜明け まで電話をかけ続けました。このようにまた一つの病業の難関を師父のご加護のもとで、突破しました。師父は旧勢力の迫害をしっかりと遮断するため、どれだ け耐えてくださったのでしょうか。私は「弟子の正念が足りれば 師は回天の力有り」[4]を体得しました。

  三つのことをすると同時に、私にはまだたくさんの執着心があると師父はヒントを与えてくださいました。例えば歓喜心、顕示心、闘争心、怨む心などがありま す。これらの人心はすべて私心で、修煉の中で、修めてなくすべきものです。これらの私心を完全に取り除いて、初めて無私無欲の善の心、慈悲心が生まれ、 もっと多くの世の中の人を済度することできます。最近、電話で三退を勧めても、多くの人が電話に出ない、聞かない、三退しないのは、自分の修煉がその次元 に達していないからです。もっと多くの衆生を救いたいならば、より多くより良く法を学び、よりよく正念を発して、執着心を取り除き、その次元の要求に達しなければ、その層の衆生を救うことができません。

  師父は「法の勉強はやはり最も重要で、最も重要なことであり、あなたが行なおうとするすべての根本的な保障なのです。法の勉強がついてくることができなければ、すべておしまいなのです」[5]と説かれています。師父の慈悲なるご加護に感謝して、最後の回帰の道をしっかりと歩み、法を良く学び、正念をよく発し、より多くの人を済度し、先史の誓約を果し、引き続き努力して、師父の慈悲深い済度に報いるように、円満成就して師に従って帰ります!

 (完)

 (2013年米国西部国際法会で発表)

 注:

 [1]『法輪大法義解』

 [2]『二十年説法』

 [3]『明慧ネット十周年法会での説法』

 [4]『洪吟二』「師徒の恩」

 [5]『大法弟子が必ず法を学ばなければならない』

        

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/10/26/281725.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/10/31/142974.html)
 
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