「病」という字を頭の中から消し去ろう(二)
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文/中国の大法弟子 寒梅

 【明慧日本2013年6月25日】

 優しい心で苦難の中にいる同修に対応する

 甲さん、丙さん、丁さんはすべて「7.20」以前から私と同じ煉功の同修で、甲さん、丙さんとはすでに6年も顔を合わせたことがありませんでした。表面では3人の同修が自ら私を求めて来たように見えましたが、それは師父の按排だろうと思いました。ですから、私はできるだけ早く彼らと顔を合わせ、彼らの立場に立ってものを考え、必ず彼らが苦難から脱出することを応援してあげようと思いました。安全問題とか、効果の問題とか、自分の修煉とか、また人心の事などはすべて障害になるべきではなく、「病業」の中の同修に対しても責めることをしないで、根気よく応援し励ましました。特に甲さんに私はより多くの力を投じました。10日間近くかかりました。こうして、ここ2年間、この3人とそれ以外の同修も助けました。

 どうして私は毎回、毎回このような同修に出会って、彼らを手伝うことを決意したのでしょうか? その後、「多分、同修の信頼によるものなのか? もしかすると、私はこの方面に能力があるのか?」と一瞬思ったことがありましたが、深く考えませんでした。この原稿を書いている過程において、師父の法が耳に響きました。「修煉者が遭遇しうる一切のことが、すべて皆さんの修煉や圓満成就に関係のあることで、さもなければ、決してそのようなことに遭うことはありません」[4] これは師父が私に同修を助ける中で善の心を修めさせてくださったと、やっと悟りました。

 18年の修煉の道を振り返ってみると、私は指導・協調をする中、法理を比較的はっきり理解し、何事も法を基準にして行動ができ、13年間、法を正す道を比較的平穏に歩むことができたと思っていました。しかし同修との間で協調せず、ばらばらに行動することもしばしばありました。それは自分の言葉と心に優しさが足りないことによるものだと、去年になってやっと分かりました。師父は「仕事のときの口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです!」[5] 「善は宇宙の特性の異なった次元、異なった空間での現れで、大覚者たちの基本的な本性でもあります。ですから、修煉者は必ず善を修めて、真・善・忍の宇宙の特性に同化しなければいけません」[6]とおっしゃいました。

 二、身内の「病業」の仮相から自分を見る

 1997年に母の説得で、まだ生まれて半年の孫娘を世話することになりました。その時、夫はまだ現役で、もともと忙しかった私は本当に手が回らない程でした。

 子供は体が弱く、病気がちでした。最初は息子の嫁の要求に従って、できるだけ彼女に栄養食品、良い粉ミルク、魚、肉などを食べさせました。しかし子供はしょっちゅう病気になり、薬を飲んだり、病院に行ったりすることが絶えませんでした。毎日自分が忙し過ぎて、指導員の仕事をやめようと思いましたが、市の指導責任者に説得され、やっと続けることにしました。私は毎日常人の方法で子供の世話をしましたが、1998年6月のある日、孫娘は昼寝から起きて、師父の法像を指して、「仏陀です」と言いました。私はもう一回彼女に聞きましたが、彼女は同じことを繰り返しました。これでやっと私を目覚めさせました。私は常人の方法で彼女の世話をしてはいけないと分かりました。

 数日後、子供は嘔吐が止まりませんでした。私は最初ご飯を食べたら、病院に行って診察を受けさせようと思っていました。すると耳の辺に「患者にこの本を読んで聞かせ、患者がそれを受け入れられれば、病気は治るのです」[7]という師父の話が鳴り響きました。私は直ちに師父の済南説法の録音を流して、彼女に聞かせました。ちょっと聞いただけで、孫娘は跳んだり撥ねたりして立ち上がって「私はご飯を食べる」と言いました。夫も自分の目で大法の不思議な力を目撃しました。後で孫娘は自分から進んで師父の説法を聞くことを求めました。

 2005年の夏休み、彼女のお母さんは彼女を連れて旅行に行こうとしました。しかし、出発の前日に孫娘はまたまた39度の高熱を出しました。説法の録音を30分程聞いたら、彼女はソファーから立ち上がって、「私は良くなった」と言いました。体温を量ってみると37度でした。そばに坐っている彼女のお父さんは驚いて「複製した録音テープにもエネルギーがある、本当に神秘的だ」と叫びました。

 2006年の秋、孫娘は夜に嘔吐して、彼女のお父さんは彼女を病院に連れて行き、点滴を受けさせました。しかし、1日経っても、少しも良くなりませんでした。X線写真の結果、腸閉塞だと分かりました。午後に手術を受けることに決まりました。お昼頃になって、私は突然、午後に同修と会って、大法の事を相談する約束を思い出しました。この同修の家には電話もなく、私は師父がおっしゃった「大法弟子がどんなことをしても、法を第一位にしなければなりません。どんなことを扱う時でも、まず法のことを考えなければなりません」[8]の言葉を思い出しました。私は夫に孫娘の手術には行けないと言いました。それを聞いた夫は不機嫌になりました。私は冷静に「もし私が予定通りにすれば、予想外の結果が現れるかもしれない」と夫に言いました。夫はそれを聞いて、落ち着きました。私は急いで病院(私の家から病院まで300~400メートルの距離)に行って見ると、孫娘がそこで排便をしているではありませんか。この腸閉塞は便が出さえすれば治るのです。本当に「念を正しくすれば、悪は直に崩る」[9]ですね。

 翌年、孫娘が入浴した時に、下腹部に腫れ物の痛みが見つかりました。検査をしたら、ヘルニアで、手術が必要だと言われました。その時、私の心理状態は少し不安定で、息子には言いませんでした。手術をすれば、私の三つのことに影響されるから、落ち着いて、少し観察して見ようと思いました。その後、私もそのことを忘れました。思い出した時、再び孫娘に聞いたら、彼女はもう痛くないと言って、腫れ物もなくなりました。

 2010年の初め頃から、私はもう孫娘の世話をしなくなりました。しかし2010年の後半から、夫の体に大きな変化がありました。彼は体がやつれ、白髪も増えました。最初、私はあまり気にしませんでしたが、しかし、言う人が多くなって、私も多少心が動き、戸惑いました。私が煉功しているから、彼は受益すべきだ、彼は大法に対し、ずっと正しい認識を持っており、私が多くの大法を実証する事の手伝いもしてくれました。どうして体調が悪くなったのでしょうか? 時には突然発病することもありました。例えば、2011年の初冬、今年の端午の祝日の後、2度、腰部の激痛がありました。1回目に、私はまだ悟らず、彼に鍼灸の治療をさせて治してもらいましたが、今年の端午の日に彼がまた突然腰が痛くなりました。夫に言われる通り、前回の医師を訪ねましたが、効果はありませんでした。夜9時を過ぎ、私は冷静になってから、これは私の三つのことへの妨害ではないかとやっと分かりました。私は連続して3回、1時間毎に正念を発することにしました。翌日の朝、私が静功をしている時、夫は起きて、私に「私の腰はもう痛くなくなり、診察する必要はありません」と言いました。こんなに早く治ったのですか! 前回は4、5日もかかってやっと治ったのに、今度はどうして治療もせずに治ったのですか? また、法を正すこの13年間、孫娘がいつも病気にかかったことを連想すると、私はやっと邪悪が修煉しない家族を利用して、私を妨害していることが分かりました。私はそれにずっと気付かなかったのです。私は正念と大法が与えてくれた力によって、毎回、妨害を排除しましたが、幾らかの人を済度する時間とエネルギーを無駄に消耗してしまったことに気づかず、まだ自分は正念が強く、簡単に妨害を排除したと思ってしまいました。どうしたら、このような妨害を制止することができるかを更に踏み込んで考えてみませんでした。今回、原稿を書く過程において、師父の関連する説法を復習することに至って、やっと目が覚めました。私は師父の教えに従って、真剣に探した後、やっとかなり強い、意識していない親族の情への執着を見つけることが出来ました。

 私の18年の修煉の道を振り返ってみると、名利の心を消去し、情も薄くなったように思いましたが、2010年に孫娘の世話をしなくなってから、夫の健康に対して執着しました。私が修煉した後、体は健康になり、70を過ぎても、依然として元気に溢れ、親友、隣近所の人が私の健康に対して褒めた後、夫の健康状態を話題にする人は少なくありません。それが私の心の中に影を落としました。普段、家の中にほとんど2人だけでいて、彼の飲食、日常生活、生活習慣に対して私はいつも愚痴を並べ、勝手気ままに論じ、科学的なやり方を求めました、たとえば、栄養とか、カロリーと糖分の高いものを少なめに、野菜を多く食べるようにとか、更に彼に大法の修煉に入って欲しい、そうすれば、自分の心配がなくなると思いました。

 こうした結果は、効果がない上、いつも彼を怒らせました。本来、彼に親切にしてあげたつもりなのに、全部期待と逆な結果になりました! 他の空間の邪悪がそれをよく見ていて、隙に乗じて、彼に病気の仮相を造り出しました。

 師父ははっきりおっしゃいました。「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか? それに、後顧の憂いもなくなり、厄介なことも全部なくなれば、何をもって修煉するのでしょうか?」[7] 「親族の情に執着するならば、必ずそのために疲れ、まとわり付かれ、魔がさし・・・」[10]私が早くこの執着心を取り除けば、始めて修煉の道を正しく歩むことができ、歴史的使命と責任を果たすことができると思いました。

 今回、原稿を書くことで私は修煉の向上を確実に体得しました。同修を助ける中で自分を修め、善の心を修め、妨害に直面した時、自分に向き合い、親族の情に対する執着を消すことができました。師父が明慧ネットでの法会を通じて、私に修煉と向上の環境を提供してくださったことに感謝します。今後もきっと毎回の機会を大切にして、師尊にご満足いただける答案を提出いたします。

 師尊にお礼を申し上げます! 同修にお礼を申し上げます! 合掌!

 (完)

 注:
 [3] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年旧正月での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』(二)「大法とは圓容しているものである」
 [5] 李洪志師父の著作:『精進の要旨』「はっきりと目覚めよ」
 [6] 李洪志師父の著作:『精進の要旨』「善を説く」
 [7] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [8] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
 [9] 李洪志師父の著作:『洪吟二』「何を恐れる」
 [10] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「修める者の忌」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/6/1/274737.html)
 
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