病魔の妨げによる悟り:積極的に大法に同化しなければならない
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2013年7月4日】二年来、ずっと旧勢力に押しつけられている病業の仮象に陥っていました。日常生活の中で自立できなくなる程、状況が悪くなりました。特に最近一カ月、突然両肩の関節に激痛が走り、眠れない夜が続きました。毎晩堪らない苦痛で涙と鼻水で顔中がめちゃくちゃになりました。心の中では絶えずに師父に助けを求めていましたが、しかし効果がありませんでした。「このような有様になっても師父は助けてくれないなんて」と内心では微かに師父に対して怨む気持ちすら生まれてしまいました。しかし法理上では「自分の状態をもたらした根本的な原因は間違いなく自分自身にある」と断定していました。長い間、内に向けて探し、確かにたくさんの執着が見つかり、たくさんの執着も取り除きました。ところが病業が日増しに重くなり、現実は一向に変わりませんでした。それにしても終始、法は万能だと深く信じていました。いずれ基準に到達できたら神様が必ず奇跡を見せてくれると、疑うことはありませんでした。

 昨日、学法している時に突然悟りました。あってはならない強烈な求める心と頼る心を持っていることに気づきました。よく振り返ってみれば、病業の仮象が現れ始めた時から、ずっと一つの観念が脳内に潜んでいました。しっかり行っていれば体内の良くない物は、師父が必ず取り除いてくださるという観念でした。その観念に気づかないまま、やることの全てに現れていました。学法、煉功発正念、内に向けて探すなどの全てのところに、求める心が現れていました。全ての問題解決は師父をあてにしていました。

 全ての行いは受動的で病業を取り除く為でした。渇望の心をもって自発的に大法に同化しようとしませんでした。煉功や、法の基準に達する為に内に向けて探すことや、衆生を救い済度する為に発正念をすることなどの全ては、積極的ではありませんでした。しっかり行っていなければ師父が助けてくれないのではないかと恐れていた為、体が良くならないと態度も消極的になっていました。

 鏡に映った自分の浮かない顔を見て、まるで誰かに深い怨みを抱えている婦人のようで、少しも修煉者の風采が見られませんでした。その原因は強く求める心が満たされていないからではありませんか? この汚れた「私心」を手放せなかったせいで、二年余りの貴重な時間を無駄に過ごしてしまいました。

 師父は万能の法を賜り、更にこの上ない威力を持つ「佛法神通」を賜りました。全ての大法弟子は困難、魔難に見舞われる際、勇気を出して積極的に直面しなければなりません。師父からそのための十分な能力を賦与されているからです。

 私にもう一つの悟りがありました。「個人修煉、師が法を正すことを手伝う、及び衆生を救い済度する過程において、私たち大法弟子は宇宙を護衛し、宇宙を管理する能力を鍛えなければなりません。一人一人の大法弟子は宇宙の主であるからです。現在直面している課題は、私たちの未来の宇宙にやってくるかもしれません。法の基準をもって積極的に問題を解決できるよう学び、未来の為にしっかりと基盤を築かなければなりません」と悟りました。仮に私達の宇宙に魔難がやってきた、あるいは衆生が宇宙の基準から逸脱してしまったと想像してみれば、さすがにその時、師父に頼るわけにはいきません。

 それを悟ってから、重い気持ちは軽快になりました。どのように現実に直面するかが分かり、痛みも恐れなくなりました。昨晩は、ここ一カ月で最も落ち着いて熟睡することができました。

 以上は個人の浅い心得となりますが、私と同様の気持ちを持っている同修にご参考いただければ幸いです。次元が限られていますので、足りない点につきまして、同修による慈悲なるご叱正をお願いいたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/7/1/276038.html)
 
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