私はこれ以上傍観者でいてはならない
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文/ハルビンの大法弟子

  【明慧日本2014年2月15日】1998年、病弱だった母親は大法を修煉してからみるみる健康になり、大法が非常に良いと感じた母は、私に学法を薦めました。母子家庭に生 まれた私は病弱な母を幼い頃から見てきていたので、母に心配をかけないように、母を喜ばせようと思い、学法をスタートしました。こうして、毎朝私は母と一 緒に煉功点に行って皆と煉功しました。忙しい高校生活の中での学法の時間は昼食時しかありませんでした。

  1999年、江沢民は法輪功への迫害を発動し、家族は「共産党に逆らわないように」、「煉功して焼身自殺したではないか」といった話を持ち出して、母に修 煉をやめるさせるよう私に説得してほしいと言いました。私はこう答えました。「法輪大法を修煉する前、母は毎年毎年頭痛に悩まされ、母を知る人なら誰もが 母の病気をよく知っています。眠れないときは、3~4カ月一睡も出来ず、誰も母の代わりにその苦痛に耐えることが出来ず、母自身が耐えるしかありませんで した。毎月の微々たる給料では治療薬を買えず、耐え切れないとき、安い「痛み止め」を飲むしかなく、病みつきになりました。そのとき、共産党は面倒を見て くれましたか? 家の屋根が雨漏りしたとき、共産党は心配してくれましたか? 今は本を読んで煉功し、それだけで人間が変わり、薬を飲まずに心身ともに楽 になりました。今になってxx党が修煉するなと言って来ても駄目でしょう。煉功をやめて、病気が再発すれば誰が私たち母子の面倒を見てくれますか? 焼身 自殺した人達を私は良く知りませんが、しかし私が接してきた法輪大法を修煉している人達は心ばえが良く、そのような行動を起こす傾向もなく、そのような行 動もしません。共産党が何を言おうとも、私は自分が経験してきたことを信じます」というと、家族は私の話に納得し、その後、反対の声をあげませんでした。

  私が高校3年のとき、母は大法が迫害を受けている真相を伝えるビラを配る途中で、真相を知らない人に検挙され、留置場に連行されました。間もなく、学校に この情報が伝えられ、担任や教頭先生、校長先生は一斉に私に会話を持ちかけてきました。私は成績が優秀で、毎回クラスで一番を占めていたので、先生達は私 に良い大学に入り、学校の評価を上げてほしいのでした。彼らは私に母を説得してほしくて、事前に留置場から情報を得ており、母は大法の修煉に固い意志を示しているため、最も重い足枷を付けられていると言いました。

  そして私にこんな話をしてきました。「母親の前に行ったら、泣きながら生活の苦しさを訴え、彼女の不憫な心を起こさせれば彼女は修煉をやめるでしょう。彼 女に『三書』(所謂信仰をやめる書面)は書かせません。ただ他人が用意した『三書』にサインするだけで家に帰らせます。でなければ、彼女も家に帰れない し、あなたも大学受験の資格を剥奪され、人生が終わってしまうのです」 と言いました。私は「私の人生は壊れません。彼らは無理やり私の母を留置場に入れ て、私の生活をこんなにさせており、全ては彼らの間違いです」 と言い、私は何を言われても行かず、母が自分の信仰を全うする邪魔者になりたくないと思い ました。担任や先生達は私を動かせないのを見て、自分達が留置場に行って母親に伝えました。母は先生達の心配に感謝しましたが、何ものも自分の修煉の決心 を動揺させることはできないと言ったそうです。

  先生達が何もできずに帰って来たのを見て、校長先生は仕方なく私に「保証書」を書かせ、事件を終結させようとしました。私はそこに、勉学に励み良い生徒に なるよう頑張ると書きましたが、校長先生に書き直すよう要求され、私はそれしか書けないと答えました。全校の生徒達が恐れている校長先生ですが、私の前で なす術がなく、この件はこうしてなかったことになりました。

  この件のお陰で、先生達は私の家庭の事情を知り、その学期の学費を返してくれました。「修は己にありて、功は師にあり」[1]の法理のように、これは師父 による励ましだと思いました。私は母の姉の家に移り住んで、親戚が提供してくれたお金で学校に通い、同修たちも常に私のことを心配してくれました。ある 日、60歳を過ぎた同修が訪ねてきて(私は「爺ちゃん」と呼んでいる)、家の門に入らず、私に綺麗に折り畳んだ2枚の紙を渡し、精進しなさいと言い、私の 感謝の言葉を聞く前に帰ってしまいました。その紙は、端正な手書きで書かれた『論語』でした。私はその場で涙を流し、一気に『論語』を暗記しました。

 2001年、私はスムーズに理想の大学に受かり、その後就職し、地元を離れ、修煉環境からも離れ、徐々に怠けてしまいました。心の中では大 法の良さを知りつつ、功も煉らず、法もあまり学びませんでした。ただ時々明慧ネットの同修の文章を読んだり、師父の新しい経文を読みました。毎年帰省した 時、母はいつも彼女が悟った法理や、同修たちと遭遇したことにおいて如何に心性を高めたかを話してくれました。それを聞いた私が感じたのは、法理の認識に おいて私は正法の進展についていっていますが、やるべきことをあまり実行していません。そうして、私は自分自身を「傍観者」と位置づけました。修煉者の基 準からすれば、私は三つのことを実行していないので、不合格です。しかし長年私は心が大法から離れていないので、一部の法理は知っています。

  師父は『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』の中で次のように説かれました。「このような精進しないが、大法が良いと思って離れたくない人はこの 千古の機縁とすれ違わないでほしいのです。本当に着実に修煉し、自身に収穫があってはじめて大法弟子の中にいたことが無駄にならないのです」[2]  また、明慧ネットの同修のこのような文章も見ました。「彼女が精進しないのは、根本的な執着を取り除いていないからです」。私は自分の法を得た当初の きっかけを思い出しました。母を喜ばせるために大法の本を読み、催促されれば少し精進し、催促されなければ怠けてしまいました。今、私は自分の根本的な執着 を乗り除いてみたいのです。これ以上「傍観者」でいてはならず、大法弟子の中にいながら、大法からかけ離れた人でいてはなりません。

 私は精進していませんが、しかし慈悲で偉大なる師父は常に私の傍にいて、私を加護されました。以下の私の体験を持って師父の偉大さ、そして大法の素晴らしさを述べたいと思います。

  一、ある日、私は母と一緒に学法した後に床を掃除する時、数日前に主人が買って来たポーカーを思い出しました。それはいろいろなデザインで綺麗に印刷され た高級品ですが、そこには毛魔頭と江魔頭の絵も描かれていました。私は先ほど学んだばかりの師父の説法を思い起こしました。「ある学習者がある日、わたし の法身が家にやって来るのを見て、大喜びしました。先生の法身が来てくださったのだから、『どうぞお上がりください』と言いましたが、わたしの法身は『こ の部屋は大変乱れている。ものが多すぎる』と言い残して、帰っていきました。一般的には、他の空間の霊体が溢れているような時には、わたしの法身はそれを 整理し片付けてあげます。しかし彼の部屋にはでたらめな気功読本がいっぱい散らかっていました。彼はそれが分かりましたので、それらの本を燃やしたり、 売ったりして、片付けました。そうすると、その後、わたしの法身がまた来てくれたと言うのです」[1]

  私はこれらのものには非常に良くない要素があるのを知り、家に置けば私の精進を妨害し、師父や大法に対する家族の正しい認識の形成をも妨害するので、床の 掃除を終えたらすぐに片付けようと思いました。そう思うや否や、私は酷い眩暈に見舞われ、一切の気力を失い、立ち上がれず、母を呼ぼうとしても声が出てき ません。私は汗だくになって、壁に身をもたせて、心の中では「師父、助けて下さい!」と思うしかありませんでした。

  この時、母は気力を失った私に気づき、急いで私を横に寝かせ、何があったかを知らずに、ただ、「師父、早く私の娘を助けて下さい! どうか私の娘を助けて 下さい!」とお願いして数分後、話せるようになった私は本棚を指差して、「ポーカーを見つけて捨てて下さい!」と言いました。母はそこから6ケースのポーカーを見つけ、捨てようと思ったときに思いました。これはまだ封も切っていない新品ですので、他人に拾われたら良くないので、手で破ってから捨てました。 その時、私たちは気づきました。そのポーカーの背後にある共産邪党の要素が作用し、私に害を与えることによって自分が捨てられることから免れようとしてい たのです。しかし私は師父のお話に従い、師父と大法のみを信じ、その他の一切の霊体や物質、要素から強いられるのを認めないと思いました。結局、物を捨て て、私も無事になり、まるで何も発生しなかったように、師父は再び私を救ってくださいました。私は邪党文化の要素をきれいに排除することの重要性を再認識 しました。

  二、私は大都市で結婚し、子供を身籠ってから大都市での頻繁な検診が嫌で、実家に戻って出産しようと思いました。妊娠4カ月目に私は実家に帰りました。当 時、母と母の両親が同居していました。祖母は若い時からひどい精神病を患い、ここ数年良くなったと聞きましたが、私が戻ったとき、彼女の病気は再発したこ とを知りました。彼女は毎日母と私に罵声を浴びせました。彼女は、母が既に家で彼女のお金で生活している上、今度は孫の面倒を見ないといけないのかと言い ます。(実際、祖母は家庭の主婦で、一切の収入がありません。母は毎月の退職金で家庭の生計をやりくりしていて、私は自分のお金で自分の衣食住を賄ってい ます。しかも、食べ物を買いに行く度に、私は祖母の分も考え、余分に一人前を足して買っています)。しかし、私たちが家に居る限り、祖母は絶えず罵声をあ げ、時には夜中に起きて大声で私たちを罵ります。

 最初の数日間、私はあまり気にしませんでした。師父は仰いました。「しかし、往々にしてトラブルが発生するとき、それが人の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません[1]  時間が経つにつれて、私は段々耐えられなくなりました。同修達が遊びに来ても祖母の罵声に耐えきれずに帰ってしまい、再び同修に会うとき、母と一緒に家 を出てはどうかと言われ、妊娠中に、夜に休みを取れず、気持ちが良くなければ子供の成長にも悪影響を及ぼし、罵声を浴びせられるのは胎教にも良くないので はないかと言われました。同修達は私たちの事を心配し、情があるゆえにこのような話をしたと私は思いました。

  母と相談してみると、母が言うには、出ていくのは簡単ですが、しかし常人が見ればどう思うでしょう? 生まれる子供のために年寄りを1人で家に残し、常人 の親孝行の視点から見ても良くないでしょう。大法は私たちに常人の中での良い人になるよう要求されていて、師父は私たちに最大限に常人の状態に符合しなが ら修煉するよう教えられています。最も重要なのは、私たちは大法弟子で、トラブルに遭ったら避けて通ってはいけません。師父は仰いました。「修煉者とし て、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」[3] これは私たちの心性を高め るチャンスであり、無理な叱責より、彼女に寛容を持って接し、怨まず、この生命に責任を持ち、これ以上大法弟子に対し罪を犯さないようにすべきです。もし 私たちの心性が高まれば、彼女も罵らなくなるでしょう。私は母の意見が法理に沿っていると思い、引っ越しなどをせず、彼女と一緒にこの家の環境の中で修め ていくことを決めました。

  母は同修と「真相伝えのプロジェクト」を立ち上げ、私も加わり、昼間はほとんど家に居なくなりました。夜帰宅すると、祖母はまた罵声を上げ、私は次の経文 を暗唱することにしました。「視ても見ざれば、迷わず惑わず、聴いても聞かざれば、其の心乱れ難し」[4] 私は自分に寛容であるよう、そして内に向けて 探すよう言い聞かせ、ここ数年、私は殆ど家にいなく、何故今は毎日罵られるのですか? 私は何の心を修めるべきですか? 私は小さいころから良い学生とし て知られ、家でも従順な子で、聞いてきたのは称賛の言葉ばかりでした。恐らく私は面子を重んじる心や、耳に痛い言葉を聞きたくない心があるから、これらの 心を否定し、取り除くと同時に、私は祖母の背後にある一切の邪悪の要素を排除するよう発正念しました。

  ある日、祖母はまた罵声を上げ、私は彼女を正視し、その時目にしたのは汚くて、毛が抜けて、片方の目が見えなくなっている一匹の狐でした。私はびっくりし て、じっくり見てみようと思ったとき、狐が消えて、そこにいるのはやはり祖母でした。当時彼女も片方の目を瞑っていました。私は祖母が狐につかれたのを知り、発正念を強めました。その後、他空間の邪悪の操りがなくなり、祖母も以前の正常時の状態に戻りました。(そもそも祖母は大法の良さを知っていました)

 しばらくして私は順調に出産しました。娘は非常に聡明で健康で、1歳半のときから自分でMP3を操作し、師父の説法を聞き始め、胎教の良くない影響など何一つ受けず、祖母は私以上に彼女を可愛がっています。

  三、私は妊娠7カ月のとき、ある日、母と一緒に学法をする途中、突然目の前が真っ暗になって、気力を失い、本も持てずに動悸が激しく、体はまったく自分の 意のままにはなりませんでした。しかし意識だけははっきりしていて、私は真っ先に師父の説法を思い出しました。「どんなに辛くても、ぜひ頑張って受講に来 てください。この会場に入ればすべての症状が消え、何の危険もありません」[1] 私は今学法をしていて、この場が非常に良いはずで、どんな良くない状態 があっても私は認めません。私と胎児は師父のお話を聞き、全てを師父に委ね、どんな状況も私の師父と法を信じる心を揺るがせないと思いました。

 私は続けて母が読む法を聞き、邪悪の妨害を否定し、師父に加持を願い、最後まで何の危険もなく学法を終えました。

 数年来、私が経験した奇跡や心を修めること、師父に悟らせられたことはまだ多くあります。私の精進如何に関わらず、どんな状況があっても、どんな妨害も私の師父と大法を信じる心を揺るがすことは出来ませんでした。

 不適切な部分があれば同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「修める者はおのずとその中にいる」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟』「道中」

 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/1/18/285841.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/2/9/145304.html)
 
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