明慧法会|寸刻も無駄せずに衆生を救い、神念で魔難を正視して解ける
■ 印刷版
 

 【明慧日本2015 年4月18日】師父、こんにちは。同修の皆様、こんにちは。

 師が法を正すことを手伝い、衆生を救う道で真に歩んでいる大法弟子はだれでも魔難に遭遇し、喜びや悲しみを経験したことがあり、毎日新たな体験や、書き切れない物語があります。私は1998年に法を得てから今日まで15年経ちました。きょう、私はこの数年間の衆生を救う中での体験、そしてどのように神の念を用いて難を乗り越え魔難を正視したかの経験を師父にご報告を申し上げ、同修と分かち合います。

 衆生を救い、寸刻も無駄にしない

 私は法輪功の無実を人々に伝えて人を救うことを直接に話し、三退を勧めました。私は20畝の果樹園を請け負い、30の家畜を飼育していますが、これらに束縛されず、自分がこの世に来た目的は師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度するためであることを時々刻々注意しました。ときには、都会へ買い物に行く前、「生活の事は小さいことで、人を救うことは大きなことです」と一念を発しました。ときには10数人の人を救うことも出来るし、時間が足りなければ、3人ほどでした。結婚式に参列しに行く前は、まず、「きょう私は人を救いに行きます。食べたり、遊びに行くのではありません」と一念を発しました。結婚式場で救った人は多ければ10人から20人、少ないときは7、8人でした。ときには、自転車に乗っているとき、小麦を干している人に遇うと、私は袋を開けるのを手伝いながら、法輪功の無実を話すと、相手は喜んで受け入れました。夫は私が人に遇うとサロンパスのようにすぐ貼り付くと言いました。

 ある日、私は学法に行く路上で花壇のところに座っている4人の女性と1人男性を見ました。5人は私に微笑みました。彼女たちは私に救ってほしいようですが、学法に遅れないためにどうすればいいか、師父は私に学法させることが自分を修め、衆生を救い済度することだと思っておられるのではないかと考えました。私は自転車の向きを変えると、彼女たちはまだ私を見ていました。私は自転車を置き、笑顔でこの5人に声をかけ、「皆様、私は良い物を贈りに来ました」と言い、「法輪大法はすばらしい」というお守りを1人ひとりに配ると、彼女たちは気に入って見ていました。私はまたなぜ共産党を三退すべきか、法輪功とはなにかを話すと、この5人はみな喜んで聞き入れ、お礼を言ってくれました。私はまた自転車に乗り、少し走ると、三輪車に乗っている70代のお年寄りに遇いました。私が話しかけると、彼は自分が旧い中共党員であると言いました。私は中共から脱党して平安を守るように話すと、彼は受け入れました。6人の命が救われました。彼らの未来は私たちの一念の中にあり、私たちは時々刻々に正念を保たなければなりません。

 昨年9月6日、定年になったある役人が家族と友人4人で、うちの畑にトウモロコシを買いに来ました。私は三退のことを話しましたが、1人は受け入れず、あれこれと口実を設けて断りました。私は再び法輪功の無実を詳しく話すと、最後に彼の奥さんは、「私たちのために話してくださって、ありがとうございます。家に帰ったら、彼が『大法がすばらしい』を念じるかどうか見ます」と言いました。

 次に、車で4人がトウモロコシを買いに来ました。トウモロコシは売り切れでしたが、彼らはピーナツがほしいと言いました。私は彼らが救われるために来たのではないかと思い、畑に連れて行きました。彼らは私の畑の農産物がなんでも好きで、サヤインゲン、梨、きゅうり、ピーナツを採りました。彼らが喜んでいるとき、私は法輪功の無実を話し、三退を勧めました。そのとき、1人の女性は夫が公安局の人間だと言いました。私は心を動かさず、良い機会だと思い、彼女のご主人に、「そちらがなんの職業であるかは関係なく、私が救いたいのがあなたのこの生命で、公安局の人も被害者です。今日、私たちは遇ったことが縁です。今、そちらと私の家族だけですが、天は見ています。仮名で共産党の党員、団員、隊員を脱退しましょう」と話しました。次に、私は法輪功とはなにか、なぜ三退が必要であるかなどを詳しく説明し、これから大法弟子を善意に扱い、大法弟子が迫害されたら助け、悪人を助けて悪事を働かないようにしてくださいと話すと、彼はうなずきました。私は彼らに『九評共産党』、『私たちは未来を告げる』など資料をあげました。

 私はよく娘と協力し合い、法輪功の無実を伝え、1~2時間の間に十数人に三退をしてもらいました。道で歩いているとき、すでに三退した出稼ぎ農民は私に「法輪大法はすばらしい」と叫び、私は彼らが救われたことがうれしく、彼らに向かって手を振りました。ある日、同修と一緒に田舎の市場に行きましたが、私たちの協力がとてもよく、午前で40人に三退をしてもらいました。2年前、私の家の前に新しい公園が作られるとき、当時道を作る人、樹木を植える人、石を敷きつめる人が一陣一陣来て、私は彼たちを救い済度しました。秋は果物の季節で、私は大きい梨を彼らに贈り、全部で数百斤もありました。彼らは喜んで、「大法を学んでいる人は心が良く、彼らの言うことを聞くのは間違っていません」と言いました。一部の人は数カ月後、私の家に真相DVDを受け取りに来ました。夫が言うには、「あなたはすごいね、お客さんが自分で来られました」

 数年前、私には60畝の果樹園があり、アルバイトに来る人も一陣一陣で、わたしは1人も漏らさず、皆に三退を勧めました。一部はキリスト教を信じ、一部は仏教を信じでいますが、大多数の人はみな受け入れました。聞き入れない人に対して、私は焦らず、昼ごはんのとき、再び話しました。彼らは私が大法弟子の歌を歌うことが好きで、ときには20人、30人聞き、その雰囲気は言葉で表現できません。一部の人は、「私たちはどの職場でも、よくあなたのことを取り沙汰し、大法を学んでいる人は心が善良で、またあなたの畑で仕事すると、雨が降っても濡れず、家に着いてからはじめて大雨が降り、とても不思議でした」と言い、一部の人は、「これは大法を学んでいる人の福で、神は彼女を助けています。他の農地はあまり儲からず、彼女の農地は百万元以上儲かり、なにをやっても順調で、ほんとうに大法からいただい福です」と言いました。

 私がよく思うには、人を救うことはなんと厳粛な事で、縁がある人に遇って、救えなかったとき、とても悔しく、師父の法像の前を通るとき、頭を下げて歩き、師父に敢えて顔を見せられませんでした。法輪功の無実を伝え、衆生を救い済度することは大法弟子の責任で、私たちの誓約、そして神聖な使命であり、師父が私たちに威徳を樹立させる機会であり、そして私たちは心を修め、心性を高める修煉の過程でもあります。

 師を信じ、法を信じ、神の念で魔難を正視する

 2006年、私は中共に迫害され、最も酷い年でした。当時、私の腰の第5髄骨が断裂され、両足のかかとが粉砕骨折し、足首が変形して大きく腫れ、左足には感覚がなく、腰は術後に鋼板で固定されました。それから、私は時々刻々に自分に戒めました。私は常人ではなく、神の道を歩んでいる修煉者です。

 当時、私の骨折の状況が酷く、警察官2人が24時間順番に私を監視しましたが、私は怖がらず、医者は私が一生身体障碍者だと言いましたが、私は信じず、術後4日目に退院を求めました。当時、家族は反対し、医者も皮肉な目付きと言葉で、病室の病人らはみな理解出来ず、その中の1人の果物屋さんは交通事故で足首を骨折して1カ月経ちましたが、まだ床に着けませんでした。彼は、「こんな様子で、家に帰ったらたいへん、私のこの小さいけがでも1カ月すぎても退院できませんでした」と言いました。私は、「私は修煉者で、師父に見守られているから、1年後、私がどんな様子かを見に来てください」と言って家の住所を彼に紹介しました。

 家に帰ってきた後、親戚や友人もみな理解できず、官僚である友人もうわさを聞いて来ました。私は法輪功の無実を話し、三退を勧めると、彼らは、「あなたはこんな状況で、まだその話をしているのでしょうか、今誰があなたをケアするのでしょうか」と言いました。私は「安心してください。私には師父がいらっしゃるから、必ず元に戻る様子をお見せます」と言いました。彼らは、「では、あなたが回復したとき、私たちは始めてほんとうにあなたに感服し、三退します。私たちは帰ります。あなたは家であなたの師父の治療を待ってください」と言って私を皮肉り、よくなることを信じませんでした。

 1年経たないうちに、私が畑で軽い仕事が出来たとき、彼らが来て、私が歩くのを見て、「ほんとうによくなったの? 不思議!」と驚きました。私は「あなたたちは約束を忘れないでください」と言うと、彼らはみな仮名で三退を表明しました。

 この回復の過程は、言うのは容易ですが、ほんとうに自分を神とし、行動は容易ではありませんでした。私の家庭、子女の情の難関については一つ一つを言いませんが、いろんな苦難が来たとき、最初の反応、最初の念が神の念であるか、人の念であるかが非常に重要です。

 師父は「この一念の差も異なる結果をもたらす」[1]とおっしゃいました。寝たきりの間、私は師を信じ、法を信じて過ごしました。私は毎日ベッドで仰臥しながら、法を勉強し、煉功し、抱輪のとき、全身ががくがくしても堅持しました。身体の変化はとても速く、7日目に左足に感覚が現れました。始めて久しぶりに足が床に着いたとき、足が痛く、私は辛抱して一歩ずつ歩きました。師父、加持してください、私はまだ多くの衆生を救っておらず、私の身体に現れた奇跡を用いて大法を実証します。

 私は障害ということをまったく考えたことがなく、杖も使ったことがなく、治癒も求めたことがなく、神の一念で、必ずよくなると信じました。足が歩いて痛くなったら、私は足に、「私は神の身体で、高エネルギー物質で構成され、配列順序が変わっていないのに、あなたは私に痛くさせる、私は認めません」と言いました。

 夫は1年後病院で腰に着けた鋼板を取り出すのは7、8千元かかると言いました。私は、「取り出さなくでもいい、回復したら無くなる、大法はなんでもできます」と言いました。今、私は60歳で、6年過ぎでも、私は自分の身体になにか鋼板があるとは全く感じていません。この件を知った人たちはみな賛嘆し、大法の素晴らしさが分かりました。

 師父は私に完全な身体を与えてくださいました。私も自分の約束を果たし、この奇跡を衆生に伝え、正々堂々と法を実証します。

 私は常に自分を反省しています。師父がおっしゃるには、大法弟子が歩んで来た道は未来の人に残します。私はなにを残すのでしょうか、それは日常生活の中で師父の法に従ってしっかりやり、各種の執着を取り除き、常に内に向けて探し、衆生に大法の素晴らしさを見せます。同修の皆様、私たちは師が法を正すことを助け、衆生を救い済度する史前の約束を果たし、この歴史上肝心な時期で、師にしっかり従い、輝く一篇に残りましょう。

 弟子は師父を拝み、感謝します。

 合掌。

 [1]李洪志師父著作:『転法輪

(明慧ネット第10回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/20/281567.html)
 
関連文章