修煉者の病業についての悟り
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年6月14日】私も母も大法弟子です。最近、母が長い間病業状態に陥っており、心配で少し落ち込んでいます。私には親子の情に対する執着を放下出来ていない部分もあり、病業および病院治療に対して正しく認識していない部分もあります。また、修煉者の心性がまだそれを乗り越える基準に達しておらず、ただメンツのために病院に行かないだけなら、病業状態はもっと深刻な状態になるかもしれません。もしその時、病院に行って治療したなら、いったい私はどのように修煉と病気治療の関係を認識すべきかを考えると、とまどいを隠せません。

 師父の各地説法の中の病業に関する部分を読んで、同修と交流してから、自分の心配や思惑は、常人の次元に下がっているとはじめて気付きました。本当に恥ずかしく思います!

 師父は『法輪大法義解・長春法輪大法輔導員のための説法』で、「修めるには目標がなくてはならず、高次元を目指して修めていくことは、あなた自身の立てた願に基づき、さらにあなたがどれくらいの高さまで修煉できるかを結び合わせて、師父があなたのために按排するのです。皆非常に科学的なのです。あなたは本来鋼なのに、鉄として按排されたら、それはいけません。あなたが菩薩果位にまで修めることができるのに、羅漢果位に按排されたら、これもいけません。非常に正確に見ており、それは見当違いは少しもありません」とおっしゃいました。

 その説法を読んでから私はこう悟りました。実は、修煉者は修煉を決心したその時から、修煉者のすべてはすでに師父に管理され、按排されるようになりました。その中に修煉者が歩んだ一歩一歩、出遭った難、遭遇した関をよく乗り越えられるか、よく乗り越えられないか、最後にどの次元まで修煉できるかも、最初から決められているもなので、修煉者はただ師父の教えに従ってやるべきことをやれば良いのです。放下できない執着心を放下して、一時乗り越えられなかった関を、頑張ってもう一度乗り越えれば良いのです。修煉を決心したのなら、心に雑念を抱くことなく、師父に従って、すべてを師父にお任せすれば良いのです。そのことで生きようが死のうが私たちは大法弟子ですから、何を恐れる必要があるのでしょうか。何を心配して、何を焦るのでしょうか? これまでを振り返ってみると、当時の常人レベルの考え方が本当におかしくてなりません。

 また、現代科学がもたらした観念も、修煉者の病業に対する正念を妨害しています。現代科学は物事、人体、物質の表面だけを研究し、物質は第一、精神は第二という間違った方向へ人類を導いてしまいました。ずっと我々の中で形成されてきた、現代科学と西洋医学を盲信する観念はとても固い殻のように人を覆っています。正念をもってその殻を打ち破り、修煉する前に形成した今までの良くない習慣や良くない考え方を改めて、修煉の角度から問題を見るべきです。

 最後に私自身について少し話したいと思います。修煉する前の私は、体の健康状態に対して非常に敏感で、少しでも体調が悪かったらすぐに心配し、何かの病気になっていないかとすぐ妄想しました。19年間も修煉してきましたが、その執着をずっと捨てられませんでした。最近の1年間でも、腹部に硬いものがあるとまた悪いほうに妄想を走らせます。その状態は正しくないと十分に分かっていても、この悪い妄想から抜け出せませんでした。

 師父は『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』で、「あなたは修煉者になったから、これらの問題に遭遇しました。あなたが修煉者になったから、これらのことは良い影響があっても悪い影響があっても、いずれも良いことです。(熱烈な拍手)なぜなら、それはあなたの修煉の道のりであなたの向上のために用意されたものだからです」とおっしゃいました。

 旧勢力は修煉者の修煉上の出来ていない部分に対して迫害を加えてきますが、修煉者は正念でそれを否定し、それを向上する機会にし、自分の至らない部分を改めて向上しなければいけません。

 法を正す時期の大法弟子として、たとえ病業の状態になっても、何を恐れるのですか。古人でさえ「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」の気概を持っているのに、大法に同化している我々修煉者は、何も恐れるものはありません。大法に溶け込む時、私たちのすべては正されています。幸運にも法輪大法の修煉者になった我々は、病業状態を正念でもって対処すれば、いかなる問題も修煉の障害になりません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/4/305846.html)
 
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