私心を取り除き 人を優先する
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文/中国大法弟子

 【明慧日本2015年6月18日】私は先日、苦難に遭い、自分の正念の不足と心の脆さを感じました。ある日、私は同修である家族に「助けてほしい」(家族にもっと発正念して助けてほしい)と言いました。この言葉には依頼心と諦めが混じっていただけでなく、不満もありました。しかし、この言葉が口から出た瞬間、すぐに間違っていると気づきました。「自分は他の人の助けが必要である」と思うこと自体が正しくありません。そして、すぐに言い改めました。「いいえ、違います。私は人を助けるために来たのです」

 まさに師父はこのようにおっしゃっています。「念を正しくすれば悪はすぐに崩る」『洪吟二』「何を恐れる」。私は直ちに正念が戻り、先ほどの幾つもの正しくない考えはすぐに消えてしまいました。それらには何の存在価値もないと悟りました。相手のことを優先することができ、新宇宙の基準に達せば、我々を妨害する邪悪な要素をすべて師父は取り除いてくださいます。

 私心は旧宇宙の法理で、旧勢力に隙を与えてしまいます。邪悪な要素を見分けられず、それを認めてしまうと、効果はまったく違ってくると思います。一念の差で、結果は大いに違い、それはある生命の本当の表れです。師父は他の生命を助けることができる弟子を求めておられます。

 師が法を正すことを手伝う修煉の中で、私達は人を助けるのか、人に頼るのかの選択をしています。つまり人のためか、それとも自分のためかの選択で、結果は大きく変わりす。

 以前ある物語を読みました。2人の兄弟が亡くなった後、来世にはどんな役割を担う人物を選ぶかの話でした。心の優しい兄は人を助ける人を選び、利己的な弟は人を助けるのが好きではなく、助けられる方を選びました。そして、兄はお金持ちに転生し、多くの財産で人々を助けました。しかし、弟は物乞いに転生し、いつも人の助けを必要としたのです。結果はこの兄弟の最初の選択に基づいており、これは彼らの真実の心性の体現であるという話でした。

 私達も自分たちの心を人助けの基準におけば、師父は私達にそれにふさわしい能力と条件を与えてくださり、多くの旧勢力による按排も否定されます。

 私達が持っているすべての能力は皆、師父が私達の衆生を救いたいという願望によって与えてくださったのです。教育レベルが低い、高齢の同修たちが「最先端技術」を身に着け、常人がとても信じられないような奇跡が起きるのも、最初の「衆生を救いたい、人を助けたい」という心に基づいたからです。そして、未来に師父が与えてくださるすべての栄光も、今日、私達がどれほどのことをしてきたかによります。何かを少ししただけでは、師父が与えてくださるものとはとても比較ができません。

 今日の修煉の中で、多くの同修が旧勢力の按排を素早く否定することができるのに、なぜか未だに旧勢力によるさまざまな苦難から長期にわたり、抜け出せない同修がいます。このことは、自分たちの位置についてしっかり考えていないことが一つの要因だと思います。

 衆生を救うことを第一の任務としている同修は、苦難に直面した時、真っ先に自分の内側を探し、それからすぐに衆生のことを考えます。衆生を救うことを自分の責務だと考えると、一瞬のうちに邪悪を解体するかもしれません。一方、人を助けることではなく、自分を第一に置けば、我々は旧勢力が作り出した限りない苦難に足を取られるかもしれません。なぜなら、それは自分自身の選択であり、自分自身が苦難を求めていたからです。

 私も周囲の同修も、それぞれの苦難の中で自我を放下し、全体が協力し、苦難の中にいる同修を助けたり、衆生を救うことさえできれば、自分たちの苦難はすぐに消えてしまうのです。このような例は数多くあります。

 例えば、以前明慧ネットでのある同修の体験ですが、生死の淵で多くの縁のある衆生がまだ救われていないのを思い出し、決して旧勢力の按排には従わないというこの純粋な一念で、師父は彼女の元神を肉体に戻してくださり、命を取り留めたという話でした。このような話はたくさんあります。

 法を学んでいる時、法を正す時期の大法弟子はどの生命がなってもいいというわけではないと気づきました。大法弟子一人ひとりが数限りない命を救うという使命と責任を負っているのであり、数限りない衆生が私達の救いを待っているのです。私達には果たさなければならない誓約があります。すべての大法弟子は「人を助ける」ために来たのだと私は思います。

 私と同じような状態の同修へのアドバイスとして、発正念の時に衆生を救うことを妨害しているすべての邪悪な要素を排除するだけでなく、同時に後天的に表れている依頼心や劣等感、意気消沈、落胆、絶望などの良くない心をはっきりと見極めて、強固な正念で徹底的に取り除くことも大切です。そうすることで、私達は意気消沈した泥沼から抜け出すことができ、自我を放下し、師父が要求されている「三つのこと」をしっかり行うことができるのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/7/291053.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/5/18/1219.html)
 
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