事故に遭った70歳の老人、三日で全治
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文/山東省の大法弟子

明慧日本2015年6月23日】

 私は今年で71歳になります。4月のある日、私は電動式の三輪車に乗って東から西へと向かっていました。途中の交差点で大型トラックが南北に向いて止まっており、ちょうど私の位置から左側の信号が見えませんでした。そこで私は南から北へと猛スピードで走ってきた車にはねられてしまったのです。乗っていた電動式の三輪車はひっくり返りましたが(後で、衝突で三輪車の鉄のプレートが三枚ほど曲がっていたことが分かりました)、私は西の方へ4、5メートル飛ばされ、顔から地面にたたきつけられました。

 私は気を失い、目が覚めた瞬間、すぐに自分が修煉者であることを思いだしました。師父を信じ、法を信じていれば、私は大丈夫だと思いました。しかし、私ははねられたままで、動きたくても動けないため、心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と何度も何度も言っていました。

 運転手はこの事故に驚き、慌てて救急車を呼び、私の家族にも電話しました。警察と保険会社の者が来て、私はただちに病院に運ばれていきました。医者も家族も、そして、警察もすぐに全身検査をしようとしました。その時、私はまだ動けませんでしたが、全身検査には断固として反対し、自分は大丈夫であるときっぱり断りました。医者は、以前に私と同じような患者がいて、その患者も大丈夫だと言っていたが、結局亡くなったと言いました。しかし、私は大丈夫だと言い張り、家に帰ろうとしましたが、家族も、医者も、運転手もみんな私に反対したため、仕方なく、入院することになりました。

 夜になり、私は家族や見舞いに来てくれた者を全員返しました。足はすでに腫れはじめ、ズボンが足に食い込み、左腿がどす黒く紫色に変色してしまいました。その時すでに歩けない状態になっていましたが、私は少しも心配していませんでした。自分は大丈夫だと信じ、私は足を組んで座禅を始めました。夜回りの医者が来た時、私のこの様子を見て、必ず全身検査すると言いましたが、私は座禅しなければならないので、大丈夫ですと答えました。

 翌朝、各検査をするといった医者に、「大丈夫、家に帰ります」と言いましたが、医者も家族も賛成しませんでした。しかし医者も、私の固い意志に変わりがないと分かり、あとのことは自分が責任をもつということで、退院させてくれました。家に帰るとすぐ、私は法の勉強を始めました。そして、その晩に体中が痛み出しました。翌朝3時50分に、私は頑張って起きて煉功を始めました。第五功法を煉功しているとき、心臓や胃などの内蔵が強烈に痛み出しましたが、それもがんばって耐えました。耐えていると無意識に涙があふれ出しました。これはきっと師父が私の代わりに巨大な業力を耐えて下さっているのだと分かり、言葉にいい表せられない程の感動で涙が止まりませんでした。

 煉功の後、発正念を終え、少し休むつもりで横になりましたが、結局寝てしまいました。寝て起きた頃には、自分の足の怪我などすっかり忘れていました。何もなかったかのように動き回ることができたのです。自分の足がすっかり治ったことに私が気づいたのは、しばらく経ってからのことでした。

 修煉しない人から見れば、これは不思議な事と思うかもしれません。これほど年を取っている私が、三日間で完治したのです。このことを通じて、私はさらに強く強く大法を信じ、師父を信じました。

 私はこれを機に友達や親戚、知人に真相を伝え始めました。以前、次男がなかなか中国共産党から脱退しませんでしたが、今回は喜んで脱退しました。彼は「高齢の母が、車にはねられたのに三日間で治るなんて、本当に奇跡です」と言ってくれました。私をはねた運転手が賠償しようとするのも断り、医療費を払ってもらい、三輪車を直してもらいました。そして、またこのことを機に、私は彼らに大法が迫害されている真相を伝えました。彼らは三退し、いい人に出会ったと感激しました。でなければ、何十万元もの弁償金を支払わなければならなかったでしょう。私はさらに彼らに法を広め、師父の言いつけを守り、真相を伝えました。そして彼らも大法をもっと知ろうとしているのが分かりましたので、『轉法輪』を帰ってからしっかり読む事を勧めました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/19/309680.html)
 
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