【明慧日本2015年6月28日】
三 どこへ行っても法を実証する
師父の経文『悪を取り除く』が発表されてから、私は田舎へ『共産党についての九つの論評』を配りに行き、そこで私は警官に連行されました。彼らは労働教養所で私に1年半の拘禁刑を科そうとしていました。私と数名の同修は、数名の他の受刑者と10数人の警官と作業員と一緒に、大きなトラックに乗せられ、労働教養所へ送られました。そのトラックの中で、私は、天安門焼身自殺の真相や、天が中国共産党を罰することを皆に伝え、「私は犯罪者ではありません。この行為は罪も無い良い人を迫害しているのです。私は無罪だから、警察は、私が喉が乾いたら水を買い、お腹が空いたらご飯を買ってくれるべきだと思います」と主張しました。私は教養所までの150キロの道中、数時間にわたり真相を伝え続けました。
トラックが保定市の労働教養所に着くと、私たちは健康検査を受けさせられました、その検査で私の血圧の最高値は200以上という数値でした。それは深刻な高血圧の状態であり、私はその労働教養所に受け入れを拒否されました。610弁公室の人は諦めきれず、再検査させられましたが、2回目も結果は同じでした。労働教養所の医者は「この人の血管はいつ破裂するか分からないから、ここに受け入れる事はできない、すぐ連れて帰って下さい」と言いました。私には師父がいます、すべては師父が決められるので、私には何もないと分かっていました。本来なら私はすぐに釈放され、すぐ帰宅させられるべきだったのですが、顕示心と歓喜心が表れたことで、それから1カ月以上も看守所から出られませんでした。
看守所の中で、看守に「規則を覚えるように」と言われると、私は「私は罪人ではないから、覚えません」と言いました。また、本来なら規則の暗記に使うノートに、私は師父の『洪吟』を書いて、受刑者たちに教え、三退をさせました。そして隣の受刑者にも忘れず、真相を伝え、三退を勧めました。ある若い受刑者は「おばさんは他の法輪功学習者と違う、誰もあなたをいじめたりできません」と言いました。私は受刑者の頭に真相を伝え、善悪に報いがあるという天の理や、他人をいじめるとどうなるかを話しました。それを聞いた受刑者たちは互いにいじめなくなり、室内が穏やかな雰囲気になりました。毎日、正念を発する以外に、私は真相を伝え、終わったら煉功しました。そうしたら釈放されたのです。
釈放されて家に戻った私は仕立て屋を開きました。店に来るお客さんに真相を伝えて、その80%の人が三退しました。また私は紙幣に真相内容を書いて使っていました。ある同修が交流しに来た時、「その前、警官に監視されていたかもしれない」と言いました。しばらくすると、610弁公室の警官が入ってきて、家宅捜査して、真相を書いたお金を見つけると、どこで手に入れたと聞いてきました。私は「あなたたちとは関係ありません!」と言いました。「なぜ紙幣にこんな事を書くのか」と聞かれ、私は「それは人を救うために書いているのです。ここに書いてあることは全て真実です。大法弟子は真実しか話しません」と答えました。しかし最後には警官に連行され、彼らは私の現金7000元を奪いました。また彼らは労働教養1年半の刑を科そうとしましたが、その時、私は心の中で「すべて師父にお任せします」と思いました。
私はお金を奪った国保隊長に、人間の行為には善悪の報いがあるという天の理を話して、「私から奪ったその7000元は子供の教育に使うお金です。あなたも子供がいるでしょう。あなたも一人の人間として私にどんな事をしているのか考えてみてください」と人間としての道理を話し、最後に「法律を執行する立場にありながら故意に法律違反をしてはいけません、私には信仰の自由がある」と真実を話し、さらに「受けた迫害を暴露し、自分の師父の無実を求めるのは、どこが間違っていますか?」と聞きました。すると警官は仕方なく5000元を返してくれました。
数日後、更に10名の同修が入所してきて私と同じ部屋に入れられました。その中の5名は絶食して迫害に反対し始めました。しかし正念を発する時、何人かは眠くて倒れそうでした。私はそんな様子を見て焦り、心で師父に「師父、彼女たちを助けて下さい。真相を伝えて衆生を救い済度することが待っているから、先に彼女たちに正念でここから出てもらいたいのです。私は最後に出て行きます」と話しました。そして早く邪悪を解体するため、1時間ごとに正念を発するようみんなに声をかけて、一緒に「法輪大法は素晴らしい」を叫びました。そして私は「紅潮末の運にあり 花已に落ちる 敗勢に天災、邪党の禍 権力の為に厚かまし 悪徳官吏は冒険に走る 人心に善の念無し 高圧にてなお怨みを蒸す 誰がまだ迫害するや 責任追及して倦まず」[2]と大声で暗唱すると、悪事を働く警官たちはみんな怖がっていました。
それからもみんなで毎日「法輪大法は素晴らしい」を叫びました。警官たちは耐えられなくなり、5名の同修は病院へ運ばれ、ここから出ることができました。私は残り2名の同修に「早く法を実証しましょう。誰か歌を歌えませんか?」と聞くと、1人が「歌詞はあまり覚えていないけど、歌える」と言うので、私ともう1人の同修で歌詞を暗記しました。それから、同修がソプラノを歌って、私が低い声を生かしてアルトを歌い、私たちは昼休み以外の時間に、歌いたい時に歌いました。受刑者たちが私たちの歌声を聞くと、「法輪功の人が歌っている、いい歌だ」と言いました。私たちの歌う声は醜い鬼を滅し、邪悪をおびえさせました。私たちは毎日歌い続け、歌い終わったら真相を伝え、終わったら正念を発して、煉功しました。看守所もどうしようもありませんでした。私は、正念が強ければ神の状態なので、誰も干渉できない、自分は妖怪のお腹に入った孫悟空と同じだと悟りました。
3人が絶食していましたが、邪悪は仕方なく、他の2名を釈放しました。それから残り10日で大晦日になるという日、警官が来て、私に仕方がない様子で「さあ立って、牢屋から出て、家に帰れ」と言いました。こうして彼らの労働教養させる陰謀は解体されました。私が帰る日、受刑者たちはみな「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。
2008年、北京オリンピックの時、邪悪は私が北京へ行くのを恐れ、村幹部二人が訪ねて来ました。私は、「何も言わないで、メロンでも食べませんか? 食べながら真実をきいて下さい」と言い、真相を伝え、三退を勧めました。書記はきっぱり「脱退する」と言い、主任は「考えてみる」と言いました。私は主任に「考える余地などないのではないでしょうか、考えると言うなら、私は明日すぐ北京へ行きます」と言いました。すると主任も同意しました。主任は家に帰った後、安心できずに電話までかけてきて「私は本当に脱退しますから、決して北京へ行かないでくれ」と言いました。