明慧法会|転々と放浪し真相を伝え 各地を歩いて回る(一)
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年7月13日】

 私は北方の法輪功修煉者です。1997年、家の近くの小売店の店主が修煉しており、私を見るたびに「一緒に法輪功を学びましょう」と言うので、「私に本を見せてください、それから学ぶかどうか考えます」と、言いました。ところが、店主はいつも私の申し出に応じてくれず、私が法輪功を学び始めたら、本を見せると言うのです、なぜなら法輪功の本はとても大切で、買ったりすることはできないので、修煉していない人にみだりに貸すわけにはいかず、本を貸すのは心配だから、という事でした。

 このようなやりとりが長い間続き、結局私は修煉もせず、本も読みませんでしたが、小売店の店主は私を見るたびに「煉功へ行きましょう」と誘いました。何回誘われたかはっきり記憶していませんが、私は根負けして、ついにある日の晩、店主と一緒に法輪功を学びに行こうと決めました。法輪功を学んでみると、エネルギーが強くなり、とても心地よく感じたので、私はそのまま大法の修煉に入って行きました。

 やっと私は『轉法輪』を借りる事ができ、『轉法輪』を開いてみると、いきなり「修煉」の二文字が目に飛び込んできました。長年探し求めていたものをついに探し当てたかのように感じました。私の家は代々佛を信じており、小さい頃、家族は私を連れて寺へ行き、そのたびに僧侶が修行しているのを見ていました。「僧侶たちは修煉できるのに、なぜ私はできないのだろう?」と、私はいつもたずねていました。『轉法輪』を読んで、私も修煉できる、とわかりました。息子が帰って来たとき、「法輪功はお母さんが探し求めていたもので、これが修煉だよ、お母さんはついに修煉できるようになった」と、興奮して息子に教えましたが、常人の中で奮闘している家族たちは理解しませんでした。今思い返してみれば、私は「そうですね。こういう感じ方です。どこに転生しても、その記憶が残っています。コンセントのようにプラグを差し込むと電気が流れてきます」[1]という、師父が説かれたような状態だったのです。

 修煉を始めたばかりの時、学法場所が遠かったので、私の地区の3人でグループ学法を始めましたが、しばらくして2人が参加しなくなり、最後に私だけが残りました。「こんなに素晴らしい法なのだから、必ず続けたい」と、自分に向かって言い聞かせました。同修たちが法を伝えたので、ここでも修煉を始める人がだんだん多くなり、本と資料を必要とする人が多くなってきたので、私は自発的に法を伝え協調する役を受け持ち、いつも街への往復で長距離を運転し、同修たちのために大法書籍や録音・録画、それに各種資料などを買い、風の日も雨の日も続けましたが、私は毎日楽しかったのです。

 転々と放浪し真相を伝えれば どこも我が故郷

 1999年4月25日、私は何人かの同修と北京へ行き、中南海の入口に着くと、同修たちがきちんと並んで立っており、地面には紙屑一つ落ちておらず、同修たちは政府が法輪功の真相を理解してくれることを望んでいました。一台の車がやって来て、私たちを何人かの同修と一緒に一カ所に運び、1人1人事情聴取が行われました。「何を聞かれても、法輪大法がいかに素晴らしいかを伝えよう」と、私たちは思い、このようにして尋問は一晩続きました。次の日、勤め先が車をよこして、私たちを家まで送りました。

 1999年7月20日、中国共産党は大法と修煉者に対して、天地を覆うかのような迫害を始めました。あらゆるマスコミが大法の偽りの宣伝をし、至る所で大法弟子が捕まえられ、多くの同修が一夜の間に路頭に迷い、勤め先だけでなく、私の家の門や私がよく行く場所にはすべて、私の行動を監視する人がいました。善良な隣人が私の袖を引っぱって、私を保護してくれました。私の夫は朝鮮の戦場から戻って来た退役軍人です。夫は迫害の形勢を見て日に日に緊張して恐れ始め、急いで私を連れて家を離れ、娘の所に行きましたが、共産党は娘の所まで追いかけて来て、私の行方を尋問しましたが、この時、私はすでに転々と居場所を変え、南方の実家に帰っていました。

 師父が無実の罪を着せられ、大法の偽りの宣伝を目にするたびに、私の心は言葉にできない悲しみに覆われ、毎回師父の写真を見るたびに、涙が流れました。実家に帰ってから、人に会うと「法輪大法は素晴らしい」「大法は無実の罪を着せられている」と、まず親類と友人に伝え始め、隣近所の人にも伝えましたが、それではまだ不足だったので、私は外に出てより多くの人に知ってもらおうと決心し、人々に向かって正々堂々と法を実証し、昼間は真相を伝えに出かけ、夜は資料を貼りに出て行きました。

 私の住んでいる所から街まで一本のバス路線が走っており、私はいつもバスの中で真相を伝え、バス停に着くたびにバスを乗り換えて真相を伝えました。ある時、私がバスに乗っていると、鶏売りがバスに乗って来て、鶏を後ろの座席に置いたので、鶏の糞尿が臭くて胸がムカムカして耐えられなくなり、バスを降りたかったのですが、「だめだ、この人はまだ真相を聞いていない」と、考えました。「見て、電柱に、法輪大法は素晴らしいって書いてあるよ」と、この時突然、誰かがつぶやきました。バスの中は大騒ぎになり、人々があれこれ議論し始めたので、私はこの機会に大法の真相を伝え始めました。以後、私は毎日どのように人々と話す機会を探すか、どのように人の注意を向けさせるか、どのように法輪功に関する話題を引き出すかの経験を重ねたので、真相を伝える効果はだんだんと良くなってきました。

 その他にも、真相を伝え正念を発すると神が助けてくださるような感覚を持つようになりました。たとえば大雨の日、人々は外に出たがらず、私は雨の日はいつもバスに乗るのですが、運転手は「なんだ、このおかしな天気は! いくら待っても客は来ねえな」と、愚痴ります。「心配しないで、すぐにお客さんでいっぱいになりますよ」と、私は運転手を慰めました。結果、私がバスに乗ってから、少しすると車内が客でいっぱいになりました。修煉者が発する言葉にはエネルギーがあり、師父が縁のある人に真相を聞かせるように按排されるのです。それからは、車内に人が少ない時、私が人々に真相を聞かせたいと一念を発すると、すぐに車内が客でいっぱいになりました。それからというもの、運転手たちは私が乗って来るととても喜び、「私たちはこのバスの中で佛を修めているのだ」と、ある運転手は言いました。時には私はバスに乗らず、バス停を一区間ずつ歩き、通りがかりの小さな店一軒一軒で真相を伝えました。ある店では水を買い、ある店では食べ物を買い、一つの通りを通過すれば、その通りで真相を伝え終わりました。

 その頃、私は昼間に真相を伝える以外に、色鉛筆と紙を買って来て、「法輪大法は素晴らしい」という標語を書いて、夜に貼りに出かけました。その時は迫害の勢いがとても厳しく、夫は私の安全を心配して私を外出させませんでした。ある時、夫が紙と色鉛筆を隠してしまい、私がどんなに探しても見つからず、心の中で焦りました。師父に助けを求めて、再び引き出しをあけてみると、紙と色鉛筆は引き出しの中にきれいに揃えて置いてありました。

 その時、私は街で貼るだけではなく、近くの農村にも行って貼る事がよくありました。ある時、農村で貼り終わると、もう空が暗くなっており、どれだけの範囲を歩き回ったのかもわからず、迷子になってしまったので、師父に助けを求めました。すると、すぐに付近の農家の犬が吠え始め、犬が吠えた方向に歩いて行くと、元の道に出たので、私は嬉しくなり師父に感謝しました。「もう吠えないでいいのよ、もう道がわかったから」と、私は心の中で犬に向かって言いました。犬はすぐに吠えなくなり、私は順調に家に帰りました。

 その後、私は転々として南方のある街にたどり着きました。この時、夫は90歳に近く、私ももうすぐ80歳で、夫の体には時に重い病業状態が現れ、ひどい時はベッドの上で動けなくなり介護が必要になったので、私はいつも夫の日常生活を手配してから真相を伝えに出かけ、雨天でも行きました。夫はとても理解してくれて、私が帰って来ると、「今日は何人三退した?」といつも私に聞いて励まし、私のために意見を言ってくれました。息子が私たちの世話するようお手伝いさんを頼んでくれました。お手伝いさん夫婦に真相を伝えると、夫婦は真相を受け入れて、法輪功を学び修煉を始めました。しばらくして息子がお手伝いさんを辞めさせようとしたので、「彼ら夫婦は修煉を始めたばかりなので、辞めさせるなら、彼らがちゃんと修煉できるようになってからにしなさい」と、私は言いました。このようにして、1カ月法輪功を学んだあと、夫婦が実家に帰るために別れを告げて出て行く前に、「私の実家の近くに修煉したがっている友人がいる」というので、私は喜んで夫婦のために大法の資料を準備しました。

 思い出してみると、この大きな街にやって来たばかりの時、私は慣れる事ができず、どこに行っても知らない人たちで、ここに来た事が正しかったのかどうかわかりませんでした。ある晩、夢の中で師父は私に2匹のえびを見せてくださいました。「2匹のえびなら、来て正しかったのだ」と、私はすぐに悟りました。そうです、大都市には人が多く、それは真相を伝え、三退を勧めるには良い環境なのです。師父の御慈悲の下で、私は毎日真相を伝えに出かけ、工事現場で、バス停で、小料理屋で、小売り店で・・・、いまは40度以上の真夏の暑さですが、忙しそうなホワイトカラーの通行人だろうと、焼けつくような日差しの下で仕事をしている出稼ぎ労働者であろうと、「こういう暑い日には、水をたくさん飲んで、体に気を付けてくださいね」と、私はいつも機会があれば一言挨拶をします。すると、人々は喜んで私に微笑み返し、その後、私は「三退すれば平安が保たれる、という事を、あなたたちは聞いた事がありますか・・・」と、真相を伝え始めます。すると、大体の人は興味を持ち始めます。

 私は教養が高くないので、深い内容の真相は伝えられないので、真相を伝える時に、私はすぐに主題に入り、はっきりと真相を伝え、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい、党、共青団、少年先鋒隊を脱退すれば平安が保たれる」と直接真相を伝えます。このように伝えると、多くの人が受け入れてくれるので、毎日少なくとも真相を伝えて十数人が三退し、多い時には1人に伝えると10人が、10人に伝えると100人が三退するという状況が起こりました。

 注:
 [1]李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/20/281654.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/12/15/143625.html)
 
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