神韻のチケット販売情況から見た師を信じる事と法を信じること
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文/米国大法弟子

 【明慧日本2015年12月10日】今年地元で初めて神韻を担当しました。神韻のパンフレットを見たとき、大きな変化に気がつきました。それは、最初のページで大法と神韻の主催者、及び主催過程など紹介している事です。

 この点から、再度神韻を担当することと修煉の関係を思いつきました。新宇宙は大法によって作られました。旧宇宙は既に過去のものとなりました。そうすると、新宇宙に入る乗船切符は何でしょうか。常人の科学と技術の発達等は、宇宙人の文化です。それは乗船切符にはならないのです。では、神から伝えられた文化を復興するこの神韻は、人を乗せて新宇宙へ入る使命を持っているのではないでしょうか。大法弟子は師父を助け、法を正すために来たのです。今年の神韻パンフレットにある師父に関するご紹介は、再度私たちに注意を促しています。大法弟子は必ず誓約を実現しなければなりません。師父がご自身で作られた神韻は、新宇宙と正法に必要なのではないでしょうか。これは個人の理解、趣味、能力を超え、大法が人を救い済度する際の巨大な威徳のあらわれなのです。

 当時は、師父が言われた「法を正すことは必ず成功し、大法弟子は必ず円満成就します」【注1】を暗誦することで、地元の神韻のチケット販売にかなりの効果が表れました。しかし、多くの地域にまだ損失と入場率が高くない現象が現れているのは、旧勢力の妨害です。大法弟子の間の協調に、多くの矛盾を発生させていると思います。大法弟子が旧勢力に利用されたのは、たくさんの大法弟子に慢心する心と圓満成就を求めている心があるからだと思います。師父は「しかし大法弟子に使命があり、法を正す時期の大法修煉は違います。個人の修煉に執着していれば、それは執着になります!」【注2】と言われました。

 神韻に少しばかりの成果や効果が見えれば、一部の大法弟子は緩んでしまいます。慢心し、うぬぼれます。成功したのは、自分の技術や、智慧や能力があるからだと思ってしまいます。人を救い済度する根本の大法のことを忘れてしまいます。チケットを買う事は、救い済度されたとは言えません。公演を観れば、救われることになります。常人の公演では、レベルがいくら高くても、人を救う目的には達しません。神韻が人を救うと言えるのは、プログラムの按配と製作を師父が自らの手で作られているからです。公演中も、師父の法身と神々の助けが得られているので、救い済度する事ができるようになります。一部の大法弟子の慢心は、旧宇宙の成住壊滅のルールに沿っているのではないでしょうか。慢心や、油断などは法から離れていることです。神の気遣いと助けを失います。自我に対する執着を放下できなければ、旧宇宙の成住壊滅の輪廻から抜け出せません。

 師父の言われた「初心を忘れずに修煉していけば」から見れば大法に対する敬虔も含めていると気付きました。当初、我々が法を得た時、大法に対してどのような気持ちだったのでしょうか。これ以上に嬉しい事はなく、幸せで、尊敬していました。本当に大法に対する感激と感謝する心を持っていました。今はまだどのぐらい残っているでしょうか。神韻のチケット販売の中で、見えた現状の多くは、一部の大法弟子が自分の技術と方法を誇示しているのです。自身を証明し誇示して、個人の権力と名利の争いまでしています。当時、初めて神韻活動をした時の、大法を堅信することや人を救い済度する心と比べたら、どれほどの差があるでしょうか。これは今の私たちがどのような方法で行ってもチケットがうまく販売できない原因だと思います。チケットを販売する方法ではなくて、人を救い済度すると言う大法弟子の心にかかっています。

 ところで、最近明慧ネットで多くの「他人のためを優先して考える」という文章が掲載されています。圓満成就を求める心は、実際に私のための心です。なぜ正法の進捗に従えないのか、間違った方向に行ってしまったのかは、それは私心に支配されたからです。これも我々が旧宇宙から離れられるかどうかの至難の関になります。ある大法弟子が神韻の宣伝をする目的は不純で、威徳と圓満成就を求めている心を持っています。さらに、正法も気にせずにやっています。私の目的を持っている同修がいれば、旧勢力に利用され、同修の間で対立などをつくるようになります。お互いにうまく協調できず、たくさんの人を排除しました。どうしても自分でやりたがります。やってみたものの大した効果がないだけでなく、大量の人力と財力を費やしただけでした。積極的に見えていますが、確実に妨害です。以前この現象は弱かったのですが、今は目立っています。師父は「大法の純正、大法の威厳、この威徳、この力、救い済度する中で示された正しい部分は神が見ても驚かされ、誰もマイナスの作用を働く気になりません。しかし、それらはいずれも正しい形で表れてきて、その中から得ようとするものを手に入れ、場合によっては広範にわたって何かを形成させ、このようにするのです。これはすなわち旧勢力であり、これはすなわち、妨害と破壊なのです」【注3】と言われました。今まで、旧勢力の迫害は正法に対する妨害だと認識していましたが、外部からの迫害は行き詰まるところまで来た現在から見れば、旧勢力は大法弟子の間で分裂を発生させるようにしていると分かりました。『西遊記』の中で、ある妖怪が孫悟空に変身したので、多くの人々は本物と偽物が見分けられなくなりました。つまり、大法弟子は、法を師として真に修煉し、実修し、人心を放下する事こそ、自分に責任を取り、大法に責任を取っていると言えます。

 神韻のパンフレットのトップページに師父のご紹介を載せたことから見て、、私たちは本当に大法弟子として師父を助け法を正すことをしたのでしょうか。今やっていることは、師父が大法弟子と衆生に多くを費やされたことに本当に申し訳が立ちますか。今回の西部法会で、師父の厳しい訓示を前にして、大法弟子は今こそ確実に目覚めるべきです。私たちは永遠に人類社会に属しません。私たちの目的は、衆生を救い済度することです。私たちは本当に自分の使命を達成できたのでしょうか。自分の誓いを実現できたのでしょうか。師父が自ら作られた神韻の中で、私たちは本当に師を助け法を正したと言えるのでしょうか。私たちは、自分の持っている技術を信じるのではなく、大法を堅く信じることこそ、神韻を上手く宣伝でき、衆生を救い済度する使命を完成できるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨三』「挨拶」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『各地説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/28/319743.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/12/5/153959.html)
 
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