文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年12月16日】私は修煉の中にある昇華する過程は、実は放棄する過程だと、理解しています。師父は『轉法輪』のはじめの見出しで「本当に高い次元へ人を導く」[1]と語られました。この法に対して、自分の次元の理解では、これは昇華する意味で、そのあとの説法は、どうすれば昇華できるか、あるいは放棄する過程だと思い ます。
師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[1]と語られました。師父は釈迦牟尼は最後になったときに、本体さえ放棄した例も挙げられました。修煉中に「佛家は空を唱え、道家は無を唱えていますが」[1] と語られました。
私たちは、常人の中で生活しています。実際に見たり聞いたりするのは、やはり名、利、情のようなものです。これらのものは常人に対して、大きな誘惑と吸引力があります。しかし、これらは、修煉者にとって、放棄すべきものなのです。
私はこれまで、名、利、情を放棄することは、そんなに難しいことではないと思っていました。しかし、真剣に法を学び、内に向かって探すことによって、自分の情の難関をまだ乗り越えていないことに気づきました。特に母子の情です。人はそれぞれの運命があり、誰にも左右されないことが分かっていますが、この執着心はなかなか放棄できないのです。結局、精神的なダメージを受け、耐えきれないほどの境地に陥り、苦しみの極限に達しました。そのため、この生身の体に反映され、今までに体験したことのない辛さを感じ、病気なりました。そのころ、私にある各種の人心も出てきました。自分は生き残る必要があるのかどうか、世の中のすべてに名残惜しくありませんでした。しかし、ただひとつ、大法と師父だけ、手放したくなかったのです。ここまで書いたところで、涙が出てきました。
慈悲なる師父は、私にまだ修煉したい心があると察してくださいました。師父は手伝ってくださり、私の命を延長してくださいました。1週間後、体の調子が良くなりました。
修煉は心を修めることです。軽い気持ちで修煉してはいけない。時間も待ってくれない。これから、私は執着心を放棄することを成し遂げるために努力します。人はそれぞれの出どころが違うし、根基と業力も違います。「放棄」に対して、よくできている人もいれば、全然わからない人もいます。あなた方もどう行っているか、深く考えるべきです。
自分が悟ったものを、みなさんと共有したいと思います。ともに昇華できるように、しっかり内に向かって探しましょう。師父は私たちが昇華できるよう望んでおられます。しかし、師父の法に達することができるかどうかは、わたしたち次第です。
自分は堅実に修めていないので、適当でなければ、厳しく指摘ください。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
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