大きな自我、大きな人心を取り除く
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2015年12月25日】長い間、修煉者の中にある問題が普遍的に存在していることに気づきました。それは同修の短所を広げることになるのです。本当に人を害すれば、己も害するので、人を救うことと法を正すことをひどく妨害してしまいました。

 私も同じようなことを体験したことがあります。ある同修と一度会っただけで、付き合いは一切ありませんでしたが、その同修を見ただけで嫌な感じがし、相手にしたくない気持ちになりました。そして、その同修も私の事を見下していました。あるとき、衝突してしまい、争っているときに、「あなたのこと何もかもとっくに知っていますよ。何もできないくせに、いいところがあるの?」と皮肉たっぷりに言われました。

 私は内に向かって探しました。すると、様々な執着心が見つかりました。自分を持ち上げる心、自分を実証する心、人を軽く見る心などなど。自分が抱えている問題の深刻さを認識しました。すべての事に善意を持って交流すれば、よい効果をもたらすことができると思いますが、どうしても、私は同修と会うと、なぜだか不満になり、相手を認めたくない気持ちになります。 実は、私も人からその同修の短所を聞いたことがあり、しかも、同修の法に従わない言動と短所ばかりを見ていました。

 人の不足を見たとしても、自分は大法に同化しなくてもいいのでしょうか?内に向かって探す、真・善・忍に同化するなどの法理は、みな知っています。しかし、実生活の中では、法に従わないときもあり、そのとき、人のよくないところ、人の短所ばかりを見ています。甚だしい場合は、人に良くないものをどんどん押しつけ、相手の受け入れる能力、周囲の環境、衆生は救えるかどうかのことを全く考えていません。こんなとき、一番放下できないのは、自我です。自分の事を守る、自分がいかに良いか、ほかの人は自分よりも劣っていると思い込みます。この時点で、すでにとても修煉者とは言えないのです。

 法を実証し人を救う中で、多くの同修は、人より優れている心、優越感があるため、一つの全体になれないのです。そして、お互いに心を閉ざしたり、お互いに見下したり、協力しなかったり、ひどい場合には、喧嘩をすることさえあります。私はこの執着心の激しさに気づきました。私たちの空間場がよくないので、真相を伝えたとき、精神病の人さえ妨害してきます。衆生に真相を伝えても、聞いてくれないし、嘲笑されたり、罵られたり、警察に通報されたりすることもあります。

 もう一つの問題があるのですが、人を救い済度することへの緊迫感に対して、ほとんど真相を伝えていない同修とこの面で精進している同修との理解の差には、雲泥の差があります。物事を行うとき、名利を追及する心を抱いて、時には、衆生を救い済度することを妨害されても、気づかないのです。怖れの心がある同修や修煉の次元に限りがある同修は、大法を守ることより、人間の道理を守ることの方を重視しています。すべての事はやり過ぎてはいけません。やり過ぎると極端に走り、自分の立場も分からなくなります。そのとき、誰が喜ぶのでしょうか? それは、魔が喜ぶのです。

 個人的な認識です。適当でないところがあれば、慈悲でご指摘ください。続けて、師父の経文の一部を学んでみましょう。

 「それでは、彼らの心はどういう状態なのでしょうか? それは寛容であり、非常に洪大な寛容であり、他の生命を受け容れ、本当に相手の立場に立って他の生命のことを考えてあげることができます。これは多くの人が修煉の過程でまだ到達できていないことですが、皆さんは徐々にそれを認識し、到達しようとしています。ある神がある方法を提示した時、彼らはそれをすぐに否定し、自分の方法を示し、自分の方法が最も良いと言うのではありません。彼らは他の神から出された方法の最終結果がどのようなものなのかをまず見るのです。道が異なり、一人一人の道も異なっており、生命が法から悟った理は皆それぞれ違っていますが、結果は同じかもしれません。ですから、神たちはまず結果を見るのです。到達する結果を見て、本当に達成したいところまで達成することができれば、それに同意します。神はこのように考えています。更に、足りない所があれば、無条件で黙々とそれを補い、圓満させます。神はこのようにして問題に対処しています。」[1]

 「真相を伝え、衆生を救い、これはすなわちあなたが行うべきことです。これ以外に、あなたが行うべきことはなく、この世界であなたが行うべきことはありません。あなたはこれらのことを行うべきですが、一部の人は自分が修煉しているという気持ちさえ薄れてしまい、常人のことを重く見ています。皆さんにとって、それは大法弟子の修煉の道から離れてしまったのではありませんか?」[2]

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地の説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/21/311197.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/7/1/151341.html)
 
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