同修間の男女の付き合いは細かいところに配慮すべき
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 【明慧日本2015年12月26日】私のまわりの同修は、男女の付き合いをする中で、細かいところに配慮していないのを見て、注意してあげましたが、ほとんどの場合は受け入れてもらえませんでした。「みんな同修だから大丈夫です。何もないんだから、心配することはない」というのです。私はその考え方は理性に欠け、愚かだと思います。現在人々の行為はこまかいところに配慮せず、その多くは自分の魔性を放縦しているのです。

 社会の道徳がはここまで退廃しており、特に中国では、男女の付き合いの中で、多くの人の行為は相当だらしなく、軽率です。そのような行為に現れた汚らわしさは言うまでもありません。この面において、われわれ修煉者はなおさら気をつけるべきです。

 男女の同修の間に付き合いがある場合、堅苦しくなく、お互いにおおらかに接することは間違っていないのですが、あまり度が過ぎて何の気兼ねもなく、思うままに行動してもいけないと思います。師父は「大志を懐きながらこまかいところに配慮し」[1]と説かれました。こまかいところに配慮するということについて、私の理解では、自重し、そして相手を尊重し、さらに人間の執着を抑制することだと思います。もしかすると、その軽はずみな言動は自分の気づきにくい執着がかくれているかも知れませんし、細かいところを気にしないことで自分の執着を隠そうとし、人間の魔性を放縦させることになるかもしれません。、旧勢力は私たちを誘惑し、自分の軽率な行動から執着心を拡大させ、最終的に私たちを壊滅させるかも知れません。

 修煉は生やさしいことではなく、非常に厳粛です。疎かにしないよう、気をつけましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/12/5/320072.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/12/8/153993.html)
 
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