色欲の心に足を引っ張られないように
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文/日本の大法弟子 晨曦

 【明慧日本2012年10月31日】私はある夢を見てしばらく落ち込んでいましたが、さんざん迷ったあげく書き出すことにしました。自分に警鐘を鳴らすと同時に、若い同修達の参考になればと思います。

 その夢の場面は鮮明に記憶に残っており、私は第三者の立場で夢を見ていました(私はベッドで寝ていた)。夢の中で、一人の男性同修が大きな重い旅行鞄を背負って訪ねてきました。鞄の中には私の為に買ってきてくれた食品、贈り物等がたくさん入っていました。リビ ングでしばらく話を交わしていたら、外がうっすらと暗くなってきました。私は「もう遅くなったので、そろそろ帰った方がいいのではないですか」と彼の帰宅を促しました。彼は席を立って何かを訴えようとしながら私に近づいてきました。私は本能的に後ろに下がり、厳粛な態度で断りました。彼は目に涙を浮かべながら「遠方からわざわざあなたを訪ねてきたのに、すぐに別れるなんて・・・」と言いました。

  彼の涙を見て何となく気弱になった私に、彼はまた一歩近づいてきました。私はすぐに警戒意識が高まり、大声で「すぐに帰ってください」と厳しい口調で言いま した。彼は悲しそうに旅行鞄を持って玄関を出て行きましたが、階段を降りながら何度も後ろを振り返って私を見ていました。私も彼を見返していました・・・。その時、ここまでずっと「観ていた」私の人間の一面が夢から覚めました。

  目が覚めた後、内心では問題の深刻さを感じて大変複雑な気持ちでした。その男性同修が夢に現れたのは今回が二度目でした。「普段その男性同修と話す時、気安い口調と態度を取っていないか、気付いても放ったままでいなかったか、気付かないうちに法に関係ない話をしなかったか」と深く反省しました。もしかしたら、その男性同修に対して情が生まれたのではないかと思いました。実はそのすべては「色欲の心」でした。

  色欲の心の危険性については皆よく分かっているはずです。特に若い大法弟子が偶に大きく揺さぶられた事を深く痛感しています。「大法弟子よ、色欲は修煉者 にとって最も乗り越えがたい関であると私は随分前に既に言いました。常人のこの情にひどく動かされています。これほどのことでさえ、自ら抜け出すことがで きません」と師父は説かれました。

  私自身は思想の中で常に素晴らしさを追求して、いつも幻想的に空想していました。修煉者なので自己制御しなければならないと分かっていながら、知らず知らずのうちに情の思いが沸いてきます。即刻抑えなければその思いは延々と続いてしまいます。ほとんどの場合は執着だとはっきり分かっていても、なかなか放下できません。楽しむ気持ちすら感じてしまいます。空想をそのまま放っておけば手綱のない暴走する馬のように気持ちがおさまらなくなり、学法発正念まで悪い影響をもたらしてしまいます。

  情に動じられ始めたら、必ず法に則って自分を正さなければなりません。私達は修煉者です。修煉者は「情」を乗り越えなければなりません。正しくない状態をもたらした原因について、はっきり言えば、自ら「欲望」と「素晴らしさ」を求めていたからです。師父は「情というのは常人のもので、常人とはほかならぬこ の情のために生きているものです」と説かれました。私たちは生まれた日から情という物質の中に浸っています。生きている以上、情を断つことはできません。 それがまさに常人の状態です。

  今までの私は誰かに「関心を持たれたい」、「気遣われたい」、「愛されたい」と渇望していたことに気づきました。しかも、その執着は大変深刻でした。その気持ちを素晴らしいと感じて、手に入れたいと明らかに憧れていました。例えば街の中で男性が女性に優しくマフラーを掛けたところを見ると心が激しく揺れ、気持ちが乱れてしまいます。羨望、惨め、遺憾など、自分の条件も悪くないのに、どうして常にそばで愛し守ってくれる気が合う相手がいないのか? などの不平不 満、もろもろの感情が沸いてきます。一刻も早くこの根強い執着心を取り除かなければ、一定の水準まで積み重なっていけば、他空間でかなり頑固な物質になってしまい、自分の修煉の道において自ら人為的な魔難を作ってしまうことになります。

  以前、同修から聞いた「情への幻想と色欲の心は他空間で見れば固まった糞便だった」という話がまだ記憶に残っています。私も同じような夢を見たことがある ので間違いありません。夢の中で自分がスコップですくい取ってもすくい取っても延々と出てきて終わりが来ませんでした。本当に嫌悪感を覚えました。「どう して何度も繰り返すのか? どうして未だに抱え込んだまま、取り除くことができないのか?」と自問しました。その素晴らしさは、実に幻想的な泡に過ぎず、神からみれば不潔でたまらないものです。幻想的な空想は思想業をもたらし、執着心を強めるなど修煉に悪い影響を与える以外一つも良いところはありませ ん。「どうして求め続けてきたのか?」と自分に問いかけてみました。「実は修煉自身は難しくなく、常人の心を放下すること、人の執着を放下することこそ最 も難しいのです」と師父は説かれました。

  ここでもう一つ若い同修達に気を付けていただきたいのは、彼(彼女)との会話を楽しく感じる、「気が合う」と思う、彼(彼女)の事に対して関心を持つよう になる、彼(彼女)の情報を知りたがり、常に彼(彼女)が何をしているか気になる、また集団学法の時に彼(彼女)の近くに座りたがるような気持ちが芽生えたら、自分に警鐘を鳴らさなければなりません。それは危険の合図です。その様々な気持ちの表れは、すでに色欲の心の浮上と情の動揺です。

  実は、色と欲はまるで糖衣に包まれている毒薬です。もしも色欲と空想を放任していたら、素晴らしさと「スイーツ」の罠に深く陥ってしまい、執着だと分かりつつ手放すことができません。しかも抜け出せずに益々深くはまり、最後は下に落ちて駄目になってしまいます。修煉の道は最後の最後のところまで進んできました。衆神と旧勢力が私を注目しています。不正な念が旧勢力に掴まれた時、厳重に注意しなければ、その執着はどんどん膨らんでいきます。結果は考えてみれば分かることです。実際に行動を起こさなければ心配はいらないというわけではありません。思想は物質と同一性を持っているので、正しくない気持ちを 抱えていれば修煉の道において大きな障害になるばかりか、不必要なトラブルを引き起こす原因にもなります。

  この文章を書く数日前、まぎれもなく自分が下へ落ちているのを感じていました(敏感なタイプなので)。修煉は極めて厳粛なことです。私達は高い基準を要求されているので、色欲の心が動じたら本当に次元が下がります。執着心がまだ根本的に取り除かれておらず、少し前まで自分に対して厳重に重視できていなかったため、正しくない思想を放任したことすらありました。現在はとうとう一定の水準を超えて悔やみ切れないほどの沈痛な教訓をもたらしています。

  色欲の心の問題は、師父が説法の中でたくさん触れられませんでしたが、しかし毎回このテーマを持ち出される度に、厳重に注意されました。ですから私達は一つの考え、一つの思いを全て正さなければなりません。このようなことに絶対に動じられてはなりません! もし今になってもまだ即刻に取り除くことを決断できなければ、最後になって待っているのは無限の自責と取り戻せない遺憾となります。なぜならば、色欲の心を取り除かなければ絶対に円満成就できないからです。色欲の心は断然断つべきです。くれぐれも色欲の心に足を引っ張られてはなりません。

  最後に、師父の説法をもって同修達と共に精進に励みましょう。「私は旧勢力の妨害について話したことがありますが、皆さんは考えたことがあるのでしょう か? これも牽制の要素なのです! 旧勢力、旧宇宙は何を最も重く見ているのでしょうか? まさに色欲であり、男女間の問題、このことを最も重く見ていま す。昔、これに関する戒律を犯したなら、お寺から追い出され、まったく修煉できなくなるのです。現在、神はどのようにこのことを見ているのでしょうか?  彼らが残した予言の中に、どのように言われているのか知っていますか? 彼らは、「最後に残る大法弟子は、みなこのことにおいて、純潔さを保った人です」 と予言しました。つまり、彼らがこれらのことを非常に重く見ているので、このことにおいて戒律を犯した人、このことを正しく行なわなかった人であれば、旧 勢力、宇宙のすべての神はあなたを守らないのです。その上、あなたを下へ落とします」(『ロサンゼルス市法会での説法』)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/13/263966.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/21/135987.html)
 
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