文/大陸大法弟子
【明慧日本2016年1月2日】私は中共邪党に迫害され、10年の重い刑を受けました。子供が1歳未満のとき、連行され、洗脳班、拘留所、刑務所を経た10数年の間、洗脳、酷刑、奴隷のような強制労働など多くの迫害を受けました。そのとき、私は師父が時々刻々加護してくださっていることを感じ、同時に自分の修煉が正しかったのか正しくなかったのかがよく見えました。
家に帰ってきたとき、私はどんなことをしていても、とても幸せで光栄だと感じました。師父への年賀状を作っているとき、大法弟子の歌と音楽を聴いているとき、とても神聖だと感じました。私が師父の新経文を順番に拝読しているとき、法からいただいた感動は、自分の実際の心性が大法の基準、三つのことの要求に大きな差があるのが見え、速く付いて行くようにと励まされました。
その後、私は徐々に衆生を救い済度するプロジェックトに参加し、忙しくなりました。そのとき、自分は正法の進展に付いて行けたと思いました。
しかし、私はだんだんおかしいと感じました。このまま行くと、10数年前の状態に似てきていると思いました。迫害の初期、最も邪悪な時期に、私は執着する人心を持ちながら、あちらこちらで大法を実証する活動をしていました。当時、私の学法は形式だけで、大法の仕事に忙しくしていることで、自分の威徳を立てているのだと考えていました。結局、旧勢力の迫害の理由にされ、10数年の重い刑に処せられました。今、私は過去の道に戻ってはいけないと考えました。家に戻ってまだ長くないから、修煉の基準を低くしてはいけないと考えました。師父は「ですから、修煉の中で必ず努力して大法弟子が行なうべき三つのことをしっかり行なってくだ さい。同時に、衆生を救い済度し、大法弟子としての作用を発揮してください。これらのことをしっかり行なうために、法を良く勉強しなければなりません。 しっかり法を勉強すれば、法を正す進展についてくることができ、正々堂々と法を正す時期の、正真正銘の大法弟子になることができます」[1]とおっしゃいました。正念は法の中からいただいたものです。私は着実に大法の要求に従ってやらなければなりません。
そこで、私は自分の状態を速やかに調整し、学法で心を落着かせました。しかし、私はまだ知らず知らずに焦っていました。ときには学法の量を追求して、1時間に『転法輪』を40ページ拝読しました。その後、下記のような出来事が私に目を覚まさせました。、
毎回学法の前、私は師父に線香を立てていました。ある日、線香を立てるとき、突然一段焼き切れなかった線香が布の箱の上に落ち、焼けてひとつの穴があきました。私は不思議に思いました。師父に線香を立てるという、こんな神聖なことに、なんでこんなことがあったのか。きっと自分の学法に大きな問題があったのです。私は自分の心の状態を細かく分析しました。まず線香をあわてて立てました。これは師父に対して不敬でした。また、毎回学法のとき、心が落ち着かず、自分を追い込んでいるような感じがしました。私たちは多くの困難を経て、宇宙の真理が分かった生命です。師父と大法がなければ、宇宙の今日はありません。学法はこんなにも神聖なことです。心の底から重視せず、内心の深いところに,法に求め、さらに宇宙の大法が私の求めるものを与えてくれるべきだという考えがありました。このような恐ろしい「我」をもっていては、新宇宙の標準に達していなかったのです。師父から重い金槌で打たれたお蔭で、心を修めることがなんなのかが分かるようになりました。このようにずっとしっかり修めて行けば、自我と私心がいくら深くても、それは大法弟子として隠されず、解体されるのです。
このとき、偶然にある同修に遇いました。彼は自分の10数年間の煉体験を話してくれました。私は彼から法の中から修め出した正気を感じました。彼が行ったことは、すべて師父がご期待されたものでした。彼は学法のときに、自分に要求したのは、本性の一面を用いて法を勉強することでした。刑務所で迫害されても、三つのことをやっても、修煉の歩みがずっと正しかったのでした。私は震撼させられました。法の要求との差は言うまでもなく、この同修と比べ、多年にわたり自分はなにを修めたのでしょうか。私は自分が大法の中の1つ粒子であることが当たり前だと思っていましたが、ほんとうに1つ粒子の作用を果たしたのでしょうか。再び重い金槌で打たれたように感じました。以前、自分は一歩一歩付いて行っているから、多く離れていなくて、他人がやっていることを、自分もやっていたから良いと思っていました。このような盲目自大な心は法を知らず、法が分からない生命のようで、とても愚かで哀れでした。
私は学法の状態を変えることから始めなければなりませんでした。しかし、修煉以来の学法の中で、最大の妨害に襲われました。学法のとき、眠気に襲われました。学法しないときは眠くなく、学法すると眠気が酷いのでした。私はこれが目で見えない正と邪の対戦だと分かりました。正念を発し、邪悪を解体すること以外に、法の上で認識しました。師父のご開示のように「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]。師父は説法の中で「大法弟子は自分の道をきちんと歩き、三つのことをしっかりと行うには、法をよく勉強し、法の勉強に真剣に対処しなければなりません」[3]とおっしゃいました。実際、このような現象は旧勢力が私たちを妨害したがっていて、主な手段が私たちの学法から入り、知らない内に私たちに法をしっかり勉強できないようにさせたのです。
同時に、私は明慧のホームページに載せられた同修の学法心得を読んで、さらに分かるようになりました。私の内心で、このような妨害は学法を妨げ、意志を消耗し、真に法を習得させないようにしているのです。このような邪悪の迫害を解体して取り除かなければなりません。同時に、邪悪に迫害を続ける機会を与えないように、内心に寸分の緩みがあってはなりません。
私はどんな妨害にあっても、みな幻想にしました。学法をさせないなら突破し、勉強させなければさせないほど勉強し、勉強を続かせなければ続かせないほど続いて勉強し、一字一字を勉強し続け、安定していくようにしました。このように、同修の励まし、また自分がやり通した中で、師父の慈悲なる導き下で、一つ一つの学法ときの難関を乗り越え、やっと正念でしっかり法を勉強できるようになりました。これは心を修め、法に同化した歩みでした。法も私に更なる広大な内涵を現し始めました。学法とき、師と法を尊敬する心は学法の中で終始貫徹しなければなりません。
ある時期、私は『転法輪』を勉強していたとき、自分の根本的な執着に照らし合わせ、自分の各種の観念及び人心が見えました。私は今日のようにしっかり法を勉強していれば、曲った道を歩まなかったでしょう。私は師父が私たちに「しっかり法を勉強するように」と、何度もおっしゃったご苦心が深く理解できました。また、私は法の中で根本な執着を見つけ出したとき、法がこんな慈悲で、完全に私の命を考え、無理矢理な押し付けがなく、また相手に自卑心を持たせず、心から正念を生じさせ、速くそれらの良くない物質を解体して取り除き、法の中で洗浄させたのです。私は積極的に法に同化した良さと、法の中に溶け込んだ光景を体験しました。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法八』「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」
[2] 李洪志師父の経文:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
[3] 李洪志師父の経文:『精進要旨三』「オーストラリア法会へ」
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