84歳の大法弟子:師父の教えに従い、修煉を怠らない
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 文/中国北京の大法弟子

 【明慧日本2016年1月24日】私は今年で84歳になり、法輪大法を修煉して、すでに17年間経ちました。健康な体を持ち、耳は遠くなく、老眼もないので、すべての大法の書籍を通読できます。顔や体に母斑はなく、しわもないため、70歳の弟よりも若く見えて、村の人は皆この老けていない爺さんの事を知っています。

ついに見つけた

 私は小さいころから神様の存在を信じ、「将来人類に災いが訪れるとき、お釈迦様が世間に舞い降りて、法輪で衆生を救済する」とよく年寄りたちから聞かされました。しかし、当時の私には、お釈迦様が一体誰なのか、そして、法輪とはどういうものなのかについては全く知りませんでした。

 1998年のある晩、空には色とりどりの法輪が、素早く回転しているという不思議な夢を見ました。翌朝、ある友人が訪ねてきて、法輪功の事を紹介してくれて、『轉法輪』という本をくれました。本の表紙を見た途端、心が大きく跳ね上がりました。夢で見た法輪はまさしくこれと同じものだったからです。表紙をめくって師父のお写真を見た時、不思議と親しみを感じ、この人こそが衆生をお救いになるお釈迦様だとすぐにわかりました。涙があふれ出しそうになりながら、師父の写真に向かって合掌し、「やっと探し求めていた、師にお会い出来ました」とお伝えしました。

 それからというもの、毎日『轉法輪』を読み、煉功し、精進しました。迫害が開始された後、不当に拘禁され、留置場や洗脳班に送られていても、毎日「論語」を暗唱していました。

この機縁を大切に

 若いころは家族の生活のため、10代のころから石炭を掘り出す仕事に就いたため、様々な病にかかり、長い間、頭痛や胃痛、腰痛、関節痛、椎間板ヘルニアなどの病気に苦しめられてきました。

 しかし、修煉を始めてから、これらの病気がいつの間にか治って体が健康になり、歩くのも誰かに背中を押されているかのように楽で、仕事をしていても疲れることはありません。師父が二度目の生命を与えてくださいました。この千万年に一度しかない、ただ一度しかないこの機縁、大法を修煉するこの機縁を大切にしなければなりません。

苦を楽とす

 10年以上も前に妻が亡くなり、私1人でこの簡素で小さな小屋に住んでいます。これを見た子供たちは他人に笑われるのを恐れて、一緒に住もうと言ってくれましたが、「私は静かなところに住みたい。それに毎日、夜中に明かりをつけて法を勉強しなければならないし、早朝ラジカセで煉功しなければならないから、お前たちの寝ているところを邪魔することになる。この小屋で十分だよ」と言って断りました。

 私は農民で、毎月村から配られるたった何百元しかない生活費で生計を立て、残ったお金は長女に渡して、法輪功への迫害の真相資料作りに役立ててもらい、一銭も無駄にはしません。

 何年か前に息子が家の天井を修繕してくれましたが、去年のある晩、突然天井が崩れ落ちてきました。私はちょうどベッド横の椅子に座っていたので、被害を免れました。これに驚いた息子一家が慌てて駆けつけてきて、自分と一緒に住もうと説得しようとしました。しかし、「ここに長年住んできたから、この家の全てを熟知している。天井にも命があり、それが突然崩れ落ちるのも偶然ではない。きっと私に隙があったから落ちたに違いない」と息子の好意を断りました。この言葉の意味を完全に理解することはできないけれど、私の決意を曲げることはできないのを知った息子は、改めて天井を修理してくれました。

法を正すことは大法弟子の責任

 自分が法を得て恩恵を受けたので、この素晴らしさを周りの人々にも教えたいと思った私は、様々な機会を利用して、友人や親せきなどに大法を広めました。中でも、姉が最も大きな恩恵を受けた一人です。姉は私より2歳上で、背骨が曲がり、顔中にあばたがでており、長年の喘息に苦しめられ、薬を飲んでも、注射しても全く治らず、ある晩のこと、咳が止まらず、一晩中眠れませんでした。しかし、法輪功を修煉してからは、すべての病が治り、白髪も少しずつ黒くなっていき、顔色も赤みがかかり、あばたの跡すら見えません。今は年を取っていくごとに若返っているようで、毎日あちこちと忙しく、とても元気に暮らしています。

 1999年7月20日から江沢民による法輪功への迫害が始まると、私は姉と共に自分たちの経験を活かして周囲の人々に、法輪功が迫害を受けている真相を伝え、中国共産党の法輪功への誹謗中傷を暴きました。2000年10月1日、私は同修でもある娘と共に天安門広場に行き、「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 我々の師父は潔白だ! 」と大声で叫びました。警察官に連行されている時でさえ「生きて求める所無く、死して留まることを惜しまず、妄念を蕩尽すれば、佛を修するは難しからず」1と師父の詩を大声で暗唱しました。

 地元の留置場に拘禁されて、毎日拷問され、警察官たちから罵られ、洗脳されても、彼らの言うことに耳を貸さず、正念を強く保っていました。私が少しも妥協しないので、警察官たちは仕方なく釈放しました。連行された日から19日間経っていました。

 翌年、再び天堂河労働教養所に拘禁され、洗脳班まで移送され、利益による誘惑など様々な迫害を受けました。しかし、修煉を続けるという一念が強いために、結局私に何もできず、警察官たちは釈放してくれました。

 修煉をやめなかったので「610弁公室」の者は、村長に圧力をかけて毎日私を監視し続けました。最初4人ほど送り込んできたので、その4人に迫害の真相を伝えようとしました。しかし、利益等による誘惑の下、「610弁公室」の者らは私の話を聞かないだけでなく、告発すると脅してきました。結局、その後悪の報いがあり、2人が脳卒中にかかり、1人が糖尿病になり、そして最後の1人は車による事故で亡くなりました。

 ある晩、娘は隣の村で迫害の真相チラシと小冊子を配りに行くと言い、私もついて行こうとしましたが、「暗いし、道も歩きづらいから、お父さんは家で発正念してください」と言われたので、私は娘の空間の邪悪を消すため、発正念することにしました。農村ではほぼすべての家が犬を飼っていましたが、その晩は一匹も吠えず、娘は無事チラシをすべて配り終えました。「私が発正念して妨害になる邪悪をすべて消したから、犬も吠えなかったのだ」と言い、娘と2人で笑いました。

 危険を免れた奇跡

 天安門広場にて大法を実証しようとした朝、同修でもある長女の家に向かいました。長女の家は遠く結構な距離があり、普段2、3時間の自転車を漕がなければなりません。しかし、その日は自転車を漕げば漕ぐほどペダルが軽く感じ、まるで飛んでいるかのようで、40分くらいでつきました。これは師父に励ましてもらっていると悟りました。

 ある晩、街に出て迫害の真相シールを張っている時、正面からバイクに乗った巡回中の警察官が、まっすぐこちらに向かって来ました。私はじっとその場に立ち、警察官に見つからないようにと発正念しました。すると、巡回中の警察官はそのまま横を通り過ぎていき、全く私に気づきませんでした。それから堂々とシールをすべて張り終えてから家に帰りました。

 またある日の出来事でした。私は電動式三輪車に乗り十字路を曲がろうとしたとき、真正面からトラックが猛スピードで突進してきました。しかし、ぶつかる寸前、誰かがハンドルを回したように三輪車が急回転し、逆の方向へ曲がり、トラックをよけたのです。もし、この三輪車が急回転しなければ、大惨事になったことでしょう。このことを通じ、師父のご加護により、自分が生死にかかわる大事故を避けることができたと悟りました。

 このような危機一髪な出来事は多数ありました。師父のご加護がなければ、今日まで歩んで来られなかったでしょう。師父は我々弟子たちのために多くの事をし、1人1人の歩む道まで事前に平らげてくださいます。我々のために全てを按配してくださる師父、その教えに従わないはずがどこにありましょうか。「三つの事」をしっかりできていない時や自分自身の言動一つでも法理からずれた時は、言葉にできないほど情けなくて、後悔してしまいます。しかし、その度に怠らずに師父に謝り、次回こそはしっかりやりますと師父に伝えています。

 江沢民告発の過程で歓喜心を取り除く

 師父が「全人類の人が魔の首魁を提訴すべきです。すべての中国人を害し、世界の多くのほかの地区の人をも害しました。これほど多くの人がその虚言のため、将来地獄に引きずられていくのです」【2】と説かれ、私は江沢民を告発することの重要性に気づき、真剣に告訴状を書き、7月7日に検察院と最高裁判所に送りました。郵便局から出た時、長い間心が塞がっていた何かが消えたように軽やかな気分になり、これ以上にないほどの喜びを感じました。姉にもこのことを伝えようと電動式三輪車に乗って家路を急いだとき、歓喜心があったために、突然、三輪車が倒れ、その弾みで車輪の下敷きになり、右側の顔をコンクリートのブロックにぶつけました。すぐに通行人が起こしてくれて、病院に行くかと聞かれましたので、「行きません。大丈夫です。私は法輪功を修煉しているから、大丈夫です」と答えました。

 姉の家まで三輪車を押していき、玄関をくぐって下を向いた瞬間、鼻血が出ました。どうしたのかと姉に聞かれたので、先ほどの出来事をすべて話しました。私の顔が赤く腫れ上がったのを見た姪っ子は、急いで私を病院に連れて行き、検査を受けさせました。すると、粉砕性骨折ですぐに入院して、手術をしなければならないと言われました。

 連絡を受けた娘も慌てて病院に駆けつけてきましたが、私は「歓喜心を起こしたからこうなったのだ。心性に漏れがあったために、旧勢力に隙をつかれたのだ。だから、家に帰って煉功しなければならない」と伝え、娘も私の考えに賛成してくれて、一緒に家に帰りました。それからすぐに師父の説法を聞き、煉功と発正念を怠らずに毎日続けたため、すぐに顔が元に戻り、あの事故が嘘のように、その傷の痕すら見えません。

 これを見た医者たちも「法輪功は奇跡を起こしました! 我々もこの目で見なければ、とても信じなかったでしょう」と声をあげ、びっくりしました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「無存」
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/12/16/320478.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/1/8/154710.html)
 
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