一念の差
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文/中国・黒竜江の大法弟子

 【明慧日本2016年2月21日】私は10年以上も前に修煉を始めた若い大法弟子です。今まで個人の修煉の中で、それほど大きな困難に遭ったことがなかったため、修煉の厳粛性にはまだ気づいていません。そして、「情」という面では何度も挫折を経験してきて、精神的にも大きなダメージを受けてきたので、これで師父と共に返れるとずっと思っていました。しかし近頃あった簡単なようで簡単ではなく、全く法に基づいていない考え方が原因で、旧勢力に隙を突かれ、危うく取り返しのつかない結果になるところでした。

 1カ月前のある日、突然右足の太腿(ふともも)が少し痛みだし、歩くたびにズキズキするためよく見れば、太腿の裏側に腫物ができていました。以前に同じようなことがあり、何日か過ぎると自然に治ったので、今回も気にかけませんでした。

 しかし、翌日になると痛みが増して、法を実証することさえできなくなっていきました。すぐに身体の悪い要因を全て取り除こうと発正念をしました。1時間の発正念を終えて足を下ろし、歩いてみると痛みが減っていました。あまりにも嬉しくて「やった! もう大丈夫だよ」と跳ねながら母に伝えると、「よかったね、でも歓喜心を起こさないようにね」と母にも注意されました。

 けれど3日目の朝、立っているだけでも痛くなるほど右足の太腿が腫れ上がっていたのです。必死に痛みを我慢しながら第1功法と第3功法、そして第4功法を終えたものの、第5功法の座禅だけは足がどうしても曲がらず、漸く事の重大性に気づきました。午前中ずっと母と発正念しましたが、治る様子は一向に見られません。

 午後になると、太腿の腫れがさらにひどくなり、焼けるような痛みに変わりました。もう歩けなくなった私は壁にへばりついて、一歩一歩足を少しずつ動かしましたが、左足にしか力が入りません。立つだけでも辛く座ることなどできません。発正念をする時、1分もかけて漸く足を組むことができました。毎時間発正念をしていますが、その度に激痛が走り、正念を削り取っていく状態にまでなりました。

 こうなった以上、自分の内をじっくり探らなければなりません。このような激痛は、業を消している状態ではないので、きっと自分に非があり、旧勢力に隙を突かれたに違いありません。その時、ふと朝見た夢を思い出しました。夢の中では大勢の人が同じ方向へと進んでいます。人込みの中、ある格好いい男の子がいて、目が合うとすぐに彼は他の女の子と行ってしまいました。その後、又彼と出会いましたが、彼は私のちょうど腫れ上がっている太腿に向かって手を伸ばしてきたのです。漸くこの激痛は、旧勢力が私の「情」という隙を突いているのだと悟りました。

 現実でも夢と似たようなことがありました。去年、会社に格好が良くて人格もいい新人が入社しました。しかし、彼は最近会社のごく普通の女性社員と付き合い始めたのです。2人が一緒に歩いているところを見るたびに、「どうして彼女を選んだの、私の方がよっぽどかわいいのに」と不満に思ってしまいました。しかし、この小さな一念が修煉者への心性の要求に相応しくなく、旧勢力がこれほど大きな嫉妬心と隠れている色欲を見逃すはずがありません。根本的な執着心を見つけ出せたことで、狙いを定めて発正念することができます。

 しかし、旧勢力は最後の最後になっても諦めず、更なる抵抗をしました。夜になると右足はもう1ミリも動かせず、左を向いて眠るしかなく、寝返りを打つ力もありません。こうして朝までずっと同じ姿勢を取り続け、激痛で眠ることができず、ついに疲労困憊(こんぱい)し、限界に達しました。夜中にトイレに行きたくなったので、母に支えてもらい起き上ったところ、死ぬかと思うほどの足の激痛が体中を襲いました。その時、苦痛に耐えている私を見て、笑みを浮かべている悪魔・旧勢力の顔が見えたような気がしました。瞬時に、「これ以上、旧勢力に迫害されてはならない」「相手に弱みを見せてはならない!」と覚悟を決めました。

 トイレから出ると、「自分で歩くよ」と母に伝え、「旧勢力などに負けない! 私には師父と大法があるから、何も怖くない!」と決意を固めながら壁に伝って、一歩一歩少しずつ足を前に動かしました。そして、明日の朝は何が何でも煉功すると心に誓いました。その夜、激痛が続き一睡もできませんでした。

 翌朝、「どれほど痛くても、どれほど大変でも絶対に続けてみせる!」と決心し、母と一緒に煉功を始めました。右足があまりにも痛くて立っていられないため、つま先だけが床に着くことしかできず、体に力が入らないので第1功法の伸ばす部分は全くできませんでした。「足を伸ばして」と母に言われましたが、「無理だよ、右足が短くなった感じがする」と伝えました。第2功法の四つ目のポーズの時は虚脱状態に陥るほど限界に達したため、休まざるを得ませんでした。第4功法は最も難しく、大変でした。激痛を我慢しながら少しずつしゃがんでいき、スピードは大幅に遅れているものの、できる限り痛みを考えないようにして師父の言葉だけを聞き、やっと最後までやりとげることができました。その時、大法に対する自分の揺るぎない心が感じ取れました。

 そして奇跡的にも2回目からは足が自然と真っ直ぐになり、普段のように立つことができました。わずか一瞬で痛みが消えていったことに驚きを隠せません。もしかすると、私の揺るぎない心を見られた師父が、助けてくださったのかもしれません。感激で涙を流しながら、「治ったよ」と母に伝えると、母も喜んでくれました。五つの功法のすべてを終えた時、右足はほぼ正常に動けるようになり、太腿の大きな腫物も、破れて中から膿と汚い血膿が全部流れ出てきました。

 こうしてこの4日間に渡って、生死にかかわるような試練を乗り越えることができました。旧勢力に嫉妬心という隙を突かれ、これを理由に苦しめられたと悟りました。もし師父の教えがなければ、ご加護がなければきっと半身不随になっていたと、今でもそれを思い出すとぞーとします。

 今回の教訓を受けて、大法弟子の一念がどれほど重要なものなのかを悟りました。トラブルに遭ってから、自分の内を探るようでは遅すぎるのです。そして、悪い一念があっても実際行動には移していないからという僥倖(訳注:ぎょうこうとは、偶然にめぐってくる幸せ)を望む心理を抱くのもいけません。

 最後の時が近づけば近づくほど、我々大法弟子に対する要求も高くなり、宇宙全ての神々が我々の行動と思考が、法に基づいているかどうかをじっと見つめておられる中、旧勢力もほんのわずかな隙と漏れを必死に探しているのです。大法弟子は師父の教え通りに、自分自身の全ての行動と思考を正しく要求し、しっかり修めていくことで、最後の道を真っ直ぐに歩んでいけるのです。

師父に感謝します!

同修のみなさんに感謝します!

合掌!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/2/9/323839.html)
 
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