説明することに執着しない
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年4月17日】「説明することに執着しない」これは、私が最近悟ったことです。

 修煉をしているからには常に平常心を保たなくてはなりません。トラブルが起きた時、自分の心に衝撃が与えられます。自分の心性を保ち、動じない時もありますが、往々にして、そのようなときに限り、揉め事が絶えず起こります。特に自分の親戚や友達に誤解されたとき、最も心性が守りにくく、悔しい気持ちになりがちです。私は落ち着いて物事を説明すれば、解決できると思っていますが、いつも、自分の思い通りにはなりません。説明すればするほど状況が複雑になり、争いもさらに激しくなります。もちろん、そのようなときは、自分の感情を抑えようと思いますが、しかし、矢が弓から飛んでいったように、戻ることができません。一旦爆発すれば、抑えきれずまるで常人のようです。

 このようなトラブルと争いが何度も起きた後、私は心性が守れない根本的な原因は「説明する」ということにあると気づきました。毎回トラブルが起こったとき、心に痛みが生じ、何もしなくてもつらくなります。自分は穏やかな気持ちで説明しているつもりで、問題ないと思い込んでしまっているため、トラブルがますます多くなり、ますます激しくなります。自分の心性を高めようと思っても、争いになると自分の気持ちが抑えきれないのです。すると、自分自身に疑問を持ち、特効薬がないと思い込んでしまいます。本を読んでも、道理が分かっても、実際に行うとなるとだめだと思い落ち込んでしまいます。

 私は内に向かって探してみました。やはり「口を修める」ことを重視していないし、しっかり修めていないため、脇道ばかり歩んでいることが分かりました。修練者なら余計なことに関心を持たない方がいいのです。自分の生活にかかわることと法輪功が迫害された真相を除いて、その以外のことは喋る必要がないのです。「喋る」と「説明する」は、自分の心の現れです。トラブルが起こったとき、人に誤解されたとしても、常に平和な心理状態を保てば、うまく解決できると思います。

 トラブルに立ち向かうときの沈黙は、常人の言う弱さではありません。それは修練者の心性を守っていることの現れです。不公平と誤解があっても、言いわけもしないで気にもしないなら、そのあとになったとき、釈然としてきます。もちろん、このようなトラブルが繰り返して現れても、私たちが全然気づかないときがあるかもしれません。それは私たちの次元と心性が高くなったためです。

 次元が限られているので、適当でないところがあれば、同修の慈悲でご指摘ください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/31/292807.html)
 
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