大法は我が家を救い、善へと導く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年6月24日】私はわりと平穏で、経済的余裕のある家庭に生まれました。単純で意地っ張りで、情熱がありながら傲慢な私は、わが村から飛び出した最初の者で、ずっと進学していて、人生経験はあまりありませんでした。

 結婚適齢期になると、私は当時非常に人気のある外資系企業に勤める夫に出会い、すぐに結婚しました。夫の実家は知識人の家庭として知られ、結婚用の部屋もありました。80年代にしたら、これらの条件は上等なものでした。私は友人に羨ましがられる中で、嫁入り道具と未来に対する明るい夢を抱いて、夫の実家に入りました。

 しかし、すべての夢は夫の実家に入った翌日に打ち砕かれました。婚礼がなく、暖かい迎え入れもなく、家族団らんの食事もありませんでした。単純な私は気にしませんでしたが、翌日、夫が出勤した後、姑は私を厨房に呼びました。「昨日何を食べたの?」と聞かれて、私は心配されたと思い、「夫が麺を作ってくれました」と答えました。姑は厳しい表情で「誰の小麦粉を使ったの? 教師のあなたが私の食料を盗むとは……。今後は定期的に廊下やお手洗いを掃除しないといけないし、……」と延々と苦情を言いました。私はあまりにも驚いてポカーンとして、新婚に対するすべての憧れが音を立てて、崩れていきました。

 新婚生活を過ごしていくうちに、私は自分が妊娠したことに気づきました。しかし、誰一人喜んでくれる人もいなければ、祝福もなく、姑は気にかけてくれるどころか、夫のいない隙を見て、私を鬱憤払いの対象としました。彼女は若いうちに夫を無くし、再婚相手も病床に着いています。時には、彼女は包丁を持って私の部屋に来て、「なぜ包丁についている水をきれいに拭き取らないの?」と質問攻めにします。徐々に、私は夫が多くの心配事で、心理的に歪んでいる人だと気づきました。彼は妊娠した私を配慮するどころか、自転車を借りてきて、郊外まで自転車で旅をしようと提案してきました。自転車に乗るのが下手な私は、行きたくないと思いながらも断ることができませんでした。妊娠中、涙の出ない日はなく、純真で優しい私は、婚姻に対して恨みを抱くようになりました。8日間の出産して入院中、姑は姿を見せませんでした。産後子供を保育所に託してから、私は通常通り出勤しました。

 子供が1歳半になった時、夫の会社から住宅を配布されて、やっと姑から離れて自分の住居を持つようになりましたが、気持ちはあまり晴れませんでした。ある日、家の掃除をする時、夫が書いた開いてあるノートを見ました。そこに「今年の目標は恋人を作る」という項目が書かれていました。別の日に、帰宅した私は、自分の服が他人のベランダで干されているのを見ました。いつの間にか、彼は1箱くらいの私の服をゴミ箱に捨て、それが他人に拾われていたようです。

 長期間のうっぷんと心労で、健康だった私の体に結核、低血圧、心臓の早期収縮などの赤信号がつき始めました。日に日に大きくなってくる子供を見て、私は自分を失い、茫然と苦しい人生を送っていました。夫の性格は依然として奇妙です。ある日、病気にかかった子供は吐き出してしまいました。介護を手伝ってほしいと私に呼ばれてきた彼は、子供の頬を捻りました。予定していたキャンピングのものを全部準備してから彼に声を掛けると、行かないと言われました。また、家族が一緒に山で遊ぶときも、虫が怖いと言って手で掴むことができない子供を見て、彼は子供の耳を捻ってから私たちを後にして、1人で先に下山して行きました。子供のために私は耐え難きことに耐えて、子供に完全な家庭を与えるために自分を放棄しました。時には、夫は1カ月も私と会話せず、私のネックレスやアラーム時計などのものを投げたり、株価を研究する名目で恋人を家まで連れ込んだりしました。結婚して10年が経った時、私は夫と姑に対して深い怨みを持つようになり、体中が多くの病気に苛(さいな)まれていました。

 子供が9歳になった時、私は法輪大法を修煉し始めました。その時、自分に降りかかる一切の魔難は、以前に作った業によるものだと知りました。大法に出会う幸せと興奮を感じつつ、私は圓満成就して、本来の自分の家に戻るという人生の大きな生きる目標を立てました。

 大法によって私は一変し、生きる希望を持つようになりました。まだ30歳の私ですが、子供と家庭のために頑張りながら、真の自分を取り戻したような気がしました。

 修煉当初、私は家事と仕事以外の時間を全部学法煉功、大法を広めることに使いました。私が学法グループに参加した理由で、夫は大法の本を破り、師父の説法ビデオを壊しました。夫の悪行に心が痛んだものの、私はずっと「真・善・忍」に則て自分を律し、家事をきちんとこなし、彼に家庭の暖かさを感じるように努力しました。徐々に、私の内心の変化によって、夫の冷たい顔にも笑顔が現れるようになりました。

 夫は奇異な性格(小さい頃はお祖母さんと同居し、5歳の時から両親と一緒に住むようになりましたが、よく両親から虐待を受けていたそうです)によって、高血圧、前立腺炎、腰筋過労などの病気を患っています。夜、私が師父の説法ビデオを見ていた時、彼も横で寝ながら少しは見ました。翌日、夫は「あなたの師父の話は、良い話だったね」と言いました。その後、彼に知らせないまま、私は大法を実証するために北京に行きました。彼は2回ほど北京を訪ねて私を見つけました。以前の彼なら、きっと私に暴力を振るったでしょうが、しかし、予想外に、彼は私の肩を撫でて「あなたを見つけてよかった」と言いました。いつの間にか、私が彼にとって重要な存在となっていました。

 夫の奇異な性格は人間関係にも支障を与えています。彼は物事を深く考えず、上司の仕事のやり方が気に入らないという理由で、いきなり辞表を出して、二十数年の職歴を捨てて家に籠るようになりました。当時、子供が高校三年生で、夫は私の2倍ほどの給料をもらっていました。彼の辞職で家の大黒柱が倒れて、彼自身も私への負担となりました。しかし、法輪大法修煉者として、私はきっとこの関を乗り越えることができると思いました。私はいつも通り彼に優しく接し、食事をきちんと用意し、子供の勉学にも気を配りました。1年後、子供は地方の有名な大学に合格しました。私は関心を持って夫と会話を交わし、まだ45歳の彼が再就職した方が良いと言いました。

 数年来の生活の重荷を背負ってきたにもかかわらず、大法の力によって私は数々の難関を乗り越えました。大法を修めることは、本当に福をもたらします。ここ数年、私はいつも週末にお金を儲ける機会に恵まれ、大学に通う子供の生活を賄うことができました。今、すでに卒業した子供は、自分の好きな仕事に就いて、そこそこの収入を得ています。夫にはもっと大きな変化があり、毎日笑って過ごし、顔つきも優しくなりました。

 ある日、道端である女性に声を掛けられて、振り向いてみると、夫の同僚でした。彼女は驚いた表情で「あなたはまだまだお若いですね。本当にすごいですね。1人で家庭を支えてきたのでしょう!」と言われました。私は彼女に、大法による力で難関を乗り越え、今日に至ったことを教えました。

 夫の性格が変わってから、家でよく彼の笑い声が聞こえます。彼は「大法のお蔭で優しくしてくれる良い嫁をもらってから、心理障害も改善できたので、大法や大法の師父に感謝している」とよく口にします。今の彼は時々アルバイトをして、体を鍛え、家事も少し手伝ってくれるようになりました。彼はよくアルバイトで稼いだお金で、私にプレゼントして、感謝の意を示したいと言い、私を喜ばせるために一緒に煉功し、抱輪の感覚が良いと言います。高血圧を除くすべての病気は、彼の体から消えました。

 去年年末、私は80歳を超え、衰弱して行動が不便になった姑を家に迎え入れました。大法弟子の家には、佛光が普く照らされています。来て間もなく、姑は元気になって、散歩に出たり、買い物したり、1人で食事を作ることもできるようになりました。ある日、夫の友人が遊びに来て、同居する姑を見て、「今のご時勢に、老人と同居したがる者など、どこを探してもいないよ…」と感嘆しました。

 師尊の慈悲なる済度に真に感謝致します。法輪大法の超常的な力によって、私とわが一家は救われました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/4/329122.html )
 
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