中国・湖北省仙桃市の童冬香さん 爪を剥がれ再び連行(写真)
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  【明慧日本2016年6月23日】今年の5月26日午後4時頃、中国・湖北省仙桃市の警官は、法輪功学習者の童冬香さんを強制的に連行し、仙桃留置場に拘禁した。

 童さんの夫の劉雄さんも法輪功を学んでいるため、今年4月13日午前6時頃、学習者の胡縫成さん・楊冬梅さんと一緒に連行された。劉雄さんは連行されてからずっと行方不明のままで、5月に入って、劉雄さんは潜江留置場に拘禁されていることが関係部門により分かった。今回、童さんが連行されたのは、夫の劉雄を救援することと関連があると見られる。


拷問の再現写真 ペンチで爪を剥がす

 十数年来、童さんは何度も残虐な迫害を受けた。以下は童さんが自ら述べた法輪功を学んで受益した体験と受けた迫害の経歴である。


拷問の再現写真 非常な苦痛を伴う野蛮な灌食

法輪大法を学び、幸せが溢れる毎日を送る

  私は法輪功を学ぶ前には、身体全身にいろんな病気を患っており、内外痔・婦人病・全身骨痛・関節痛・椎間板ヘルニア等々、年中苦しんでいた。

  30歳前の私は家事や子供の面倒さえ出来なくなり、仕方なく、身内は「気功を試したらどうか?」とアドバイスをしてくれた。

  このようにして、私は1997年7月に法輪功を学び始め、間もなく全身の病気が自然に回復した。18年来、一粒の薬も飲まず、1度も入院したことがなく元気に生活していた。その喜びの気持ちは、言葉では表現できないほどの幸せ溢れる毎日を送っていた。

  私は法輪功の先生の教えである「真・善・忍」に従って自分を律し、寛容な気持ちで、善意を持って人を助け、個人の利益の前で争わず、良い人になるように努力している。人間関係がうまく対処出来るようになり、家庭も睦まじくなり、全身を使っても使い切れないほどの力が漲(みなぎ)っている。

自らの体験を持って北京へ陳情に行く

  残念なことに、このような生活は2年も続かないうちに、江沢民が法輪功を迫害し始め、偽りの「天安門焼身自殺事件」をでっち上げた。

  私は法輪功の受益者で、黙って見過ごすわけにはいかず、迫害の真相を説明することは自分の果たすべき責務だと思って、1999年11月5日に上京して、国家の陳情部署に法輪功の真実を伝えた。その後、北京で連行され、地元に連れ戻されて、仙桃市第1留置場に拘禁された。1カ月後、留置場は家族からほぼ1万元をゆすり取った上で、家族に迎えに来させた。

  2000年7月、私は勤務先で3カ月間軟禁され、「法輪功を放棄する」保証書を書くことを強要され、毎月300元づつゆすり取られた。

仙桃市第1留置場で警官らは、暴力を振るい殴打する

  2001年1月、法輪功の無実を訴えるために、再度上京した。地元の警官らは途中で遮って不当に連行し、仙桃市第1留置場に拘禁した。警官らは尋問をする時に、各種の手段で苦しめ、暴力を振った。

 ある日の午前、警官はまた不当な尋問を行い、殴ったり蹴ったりして、髪を掴んで壁にぶつけ、午前中、絶えず暴力を振るった。その時、目と頭は激しく殴打されて変形した。警官は「午後からも継続してする」と怒鳴った。

酷刑演示:揪头发撞墙
拷問の再現写真 髪を掴んで壁にぶつけ、何度も殴打する

  2001年7月、解放されて10日目、警官はまた店舗に進入し、連行した。当時、髪を掴んで壁に何度もぶつけられて、鼻と口から血が流れて止まらなくなった。警官らは生死をまったく顧みず、市第1留置場へ連行した。余りにも酷い暴行に抗議するために断食を始めた。

沙洋女子労働教養所で、唐辛子汁を無理やり注がれる

  3日後、沙洋女子労働教養所へ移送され、2人の警官が電気棒で電撃したので、両腿はすべて焼け焦げて、酷い火傷をおった。

  引き続き、警官は足で膝を踏みにじり正座をさせ、受刑者に監視させ睡眠とトイレを許さず、しゃがむ姿勢を強要した。要求に従わないため、鉄の門に縛り付けられ、照りつける太陽の真下で深夜まで立たされた。

  女性警官と教養所の医者は押さえつけ、鼻をつまんで口を開けさせ、無理やり唐辛子の汁を注いだ。受刑者は減刑してもらうため、鉄のひしゃくでむやみに突つき回したので、口の中は血だらけになった。

野蛮灌食用的开口器
灌食の時に使われる家畜用の開口器

 断食してから1週間後、労働教養所の病院に運ばれて注射され、灌食された。警官はいつも開口器(家畜に使用する道具)で口の中にを最大限度に詰め込み、灌食する時以外、ずっと詰め込み放しにしていた。あのような死ぬより辛い苦痛は、言葉では形容することができない。長時間入れられたままで、口の中はぼろぼろになり変形した。

  百日間余り断食した後に、瀕死の状態になり、警官らは責任を負うことを恐れて、帰宅させた。

北京海淀区留置場で、不明な液体を注がれる

  2001年11月、迫害を受けた事実を伝えるため、再度北京へ陳情に行き、北京の警官に連行され、海淀区留置場に移送される。

酷刑演示:野蛮灌食(绘画)
絵画 野蛮な灌食

  警官らに迫害の真相を伝えたがまったく聞きいれず、かえって暴力を振るわれ、苦しめられた。迫害に抗議するために断食すると、警官はホースを鼻に挿し込んで、灌食を行った。1週間後、警官らは地下室に移動させ、ベッドに縛り付けて、細い管を鼻に固定し、2時間ごとに不明な液体を注ぎ込んだ。

  1カ月後、警官は武漢行きの列車に送り込み、帰宅させた。

仙桃市第1留置場で殴打され、長期間野蛮な灌食を受ける

  2002年、三伏タン鎮で法輪功の資料を配布していた時、三伏タン派出所の警官らに連行された。翌日、仙桃市第1留置場に拘禁され、留置場で2人の受刑者から滅多打ちされ、胸を強く蹴られた瞬間、死ぬところだった。目の周りは腫れ上がって、何も見えなくなった。

  警官らはまた灌食を行い、数日後、死にそうになったのを見て、家族に迎えに来させた。

沙洋労動教養所で、14カ月間不当に拘禁される

  2003年7月22日、仙桃市の警官は、また店舗に進入し、再び沙洋労働教養所へ強制連行した。

  労働教養所で、警官らの命令に従わないため、手を掴んで無理やり引っ張ったところ、右手の人差し指の爪が剥がれた。警官はまた受刑者に指図して、灌食を行わせ、吐いたものを集めて再びそれを注ぎ込んだ。このような人間性を無視した地獄の刑務所生活が長く続いた。2004年11月に、ようやく帰宅できた。

仕方なく、1年間の放浪生活を余儀なくする

  2007年9月25日の晩、仙桃市の警官らが店舗に来て、連行しようとしたが留守のためできず、友人の家などあちこちを探し回ったために帰れず、路頭に迷い、仕方なく1年間の放浪生活を余儀なくした。

洗脳班で騙され、2カ月間迫害される

  2009年9月、仙桃市の「610弁公室」の警官は「拘禁されている夫を迎えに行く」と言って騙し、警官らと一緒に武漢板橋の洗脳班に行った。着いた途端に連行され、洗脳などの迫害を受け、2カ月後に帰宅した。その期間中、警官らは勤務先から2万元をゆすり取った。

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/11/329936.html )
 
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