常人に 同修の悪口を言われた時
■ 印刷版
 

文/霊子

 【明慧日本2016年8月21日】今日、常人の友達が家に来て、世間話をしました。その中で友達は「法輪大法を学んで、何かいいことがありますか? 私の友達のお母さんも数年前から法輪功を学んでいますが、先日会った時、ずっと息子の嫁の悪口を言っていましたよ」と言いました。

 私は答えることができず、しばらく考えてから言いました。「修煉者も心性を守れない時、文句を言ったり、トラブルを起こしたりします。表面から見て、その行為は常人と同じように見えますが、しかし、家に帰ってから、常人は何も考えないかもしれないのに対して、修煉者は帰ってから自分の悪いところを探し、今日はどうして人と言い争いをしたのか? 次回、同じことに出遭ったら、私は相手の気持ちを考え、決して二度と言い争いをしてはいけないと考えるのですよ」

 「その友達のお母さんもきっと同じで、よく修めていないところもあり、あなたに心の中のうっ憤を話してしまったのよ。しかし、家に帰ったら、お母さんはきっと後悔して自分の不足を探したと思います。次回にまた何か良くないことをしたら、帰ってからまた自分の不足を探すと思います。その不足を取り除くまで、何回も繰り返すかもしれません。これこそが修煉の過程で、法輪大法の素晴らしいところです。師父は私達に内に向けて探し、無私無我の境地に至るまで修煉するようにと教えてくださっています。法輪大法の修煉、良くないですか?!」

 友達は私の話を聞いて、長い時間呆然としていました。大法の慈悲の力に震撼されたのでしょう。私は同修の味方をして、同修を守るために弁護したいのではありません。修煉とは何か、大法弟子と常人の違いを友達に教えたのです。これも真相を伝え、大法を実証することだと思います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/9/30/316070.html)
 
関連文章