同修たちよ、我々は力を尽くしたのでしょうか!
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文/中国の大法弟子 子修

 【明慧日本2016年8月29日】発正念している時に手が倒れたり、朝の煉功にも参加できなかったり、学法しても心に入らなかったり、真相を伝える時にビクビクしたりなど、これらの状態が自分の身に現れ、これが習慣化し何とも思っていない時、いつも妙な緊張感がします。すでに、2008年が過ぎ去り、2012年も過ぎました。1年また1年と時間が過ぎていく中で、今のような緊迫感を感じたことはありませんでした。

 かつては、自らの安逸や様々な執着心のために言い訳を探していました。「最後の時が来れば、きっと全ての人心を放棄することができ、師父と共に帰れる」などと考えながら、今迄何年もよろめきながら修煉の道を歩んできました。また安逸な生活に甘んじている時、ふとある念が生じたのです。「もうすでに最後の時が来たのだ。今を逃せば二度とやり直すことはできない」。これまでの7~8年間の修煉を振り返ったところ、できていない部分があまりにも多く、たくさんの機縁を無駄にしてきたことに気づきました。これ以上、昔の事をいつまでもくよくよ後悔するのをやめ、今は必死に前を向いて突き進む同修に、追いつくしか道がないことに気づきました。以下は、最近の発正念で感じたことを、同修の皆さんに伝えるべきだと思い書き留めました。

 古代の戦争の時、毎回の戦いが生死と成敗に関わります。しかしながら、我々大法弟子が発正念している時、手が倒れている人が多く、それはまるで任務のように時間になったらそこに座り、たとえ今回集中していなくとも、次回に補えばよいと考えているようです。けれども、次回は次回の事で、一体何回の「次回」がやってくるというのでしょうか。例え任務として見なしていても、これは師父から渡された任務なのです。師父に言われた任務を、いつまでもぐずぐずしながら先へ先へと伸ばしていいものでしょうか。会社で上司に言い渡されたことを、いつまでもぐずぐずして終わらせない人はいないはずです。

 戦いの時の軍令は、山のように固く揺るぎません。もし、軍令を受けても兵士たちが砂のようにバラバラに動き、元気を出さずに戦えば、例え相手がどれほど弱くても、きっと負けるでしょう。今や邪悪たちは最後の抵抗をし、それぞれ目を凝らして、我々大法弟子たちの隙につけ込もうとしています。例え最後の時になっても、旧勢力たちは迫害を続けています。もし、皆が実際の戦場にいれば、安逸に浸って呑気にしていられるでしょうか。相手が矢を飛ばしながら剣を構えて切りかかってくるのを目の前にしても、されるがまま殺されていくのでしょうか。最後まで力を尽くして戦わなければ、敵にやられて戦いに負けるしかありません。

 すでに最後の最後になったので、もしあと1年しか残されていないのなら(個人の想像)長いと感じる人も、短いと焦り出す人もいるでしょう。しかしながら、1年は365日しかなく、1日1日と時間がどんどん減っていく中で、我々の修煉は、一体どこまでたどり着けるのでしょうか。ロケットに乗って飛んで行くのも遅いと感じるくらいです。常人社会でも、大学入試前の高校3年生たちは、皆1日1日を大切にし、日々努力し続けて1秒たりとも気を緩めたりしません。法が世間を正す勢いは、時間、空間を超え、光年よりも速いスピードで進んでいます。津波がすぐ後ろまで来ているのにもかかわらず、ゆったりとした遅いスピードで歩いていけば、津波に飲み込まれ、結果は考えるまでもないでしょう。時間になれば、すべてが終わるのです。大法を修煉しているから、保険にかかっているというわけではありませんし、「法を正す時期の大法弟子」になれるというわけでもありません。自分自身が真剣に向き合わなければ、すべての神々が我々を許さないでしょう。真相を知らない常人よりも罪深いのです。常人たちは救われるのを待っているのであり、遊び半分の甘い気持ちでいる我々は、常人たちを「見殺し」にしているのですから、この重大な責任を、我々はとても背負い切れません。我々が法を得られたのも、衆生を救うという重大な使命を背負っているからで、もし、プラスの作用にならず、かえって師父に心配をおかけし、師父が法を正されるのを妨害するならば、我々は圓満成就できるでしょうか。それは永遠の罪となるのです。

 同修たちに問いかけます。我々は本当に力を尽くしたのでしょうか。師父に言われた「三つのこと」を真剣に行ったのでしょうか。確かに時間が我々の意思を少しずつ削り取っていき、仕事と生活が人心を引き起こしていますが、それでも、千万年の輪廻転生の意味やその真相、そして転生する前に師父に誓ったこと、衆生を救うという誓約を、一体誰が未だはっきりと覚えているのでしょうか。誓約を果たせなかった時は一体どうなるのでしょうか。ある交流文章の中で、「何年か前に師父は私に、遠い昔に自分が師父と結んだ誓約を見せてくださいました。ほぼすべての大法弟子が『もし、使命を果たせなかったら、姿形も、元神も滅びます』と誓いました」とその同修は書いていました。

 以前、自分がどのように生活や仕事に忙しかったのか、また、どのように使命を疎かにしたのかを心配したり、あとどのくらいの時間が残されたのかを気にしたりする必要はありません。「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」と昔の人は言いました。我々にとって1日1日がカウントダウンの日々ですが、時間の少なさを気にする必要はないのです。ただ毎日毎日の時間を大切にし、最大限の力を尽くせば、師父は、必ず必ず我々を助けてくださるのです。

 最後に師父の『洪吟』「正法の船に乗る」をもって終わりにしたいと思います。「真か玄か修することや、恍惚たるか朦朧たるか悟ることや」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/9/332717.html)
 
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