文/中国の大法弟子 梅
【明慧日本2016年9月28日】大法弟子として、魔難や関門に出遭った時、十分の正念を持って、自分は師父に加護されている弟子であることをしっかり認識できるかどうか、その一念はとても大事です。そのわずかな考え違いで、雲泥の差を生じ、生死の分かれ目となります。以下は、自ら経験したことをお話したいと思います。
昨年の11月の中旬ごろ、夫は脳血栓を再発して入院しました。今回は、前回よりもさらに酷く、自分で寝返りを打つことすらできず、起き上がれず、食べるのも、飲むのも、排泄するのもすべてベッドの上となりました。私は頭が真っ白になりました。医者から治療期間中、リハビリをしなければならないと言われました。子供は傍にいないし、私一人で、昼も夜も病院から離れられず、夫の看病をして、水を飲ませ、ご飯を食べさせ、排泄物を処理し、体の向きを変え、手足を動かしました。夜になっても、あれこれと手伝いをして、ほとんど寝られません。夫の体が重たくて、体の向きを変える時、なかなか動かせないのに、夫は全く協力してくれません。私は恨んだり、怒ったり、焦ったりして、同時に無力感、絶望感も感じ、人心が全部出てきました。
学法も煉功も遅れ、心性も守り切れず、それに加えて丸2日間一睡もできず、体がだるく目眩(めまい)がして疲れ果て、もうこれ以上持ちこたえられないと思い、ベッドに横たわってしまいました。その時、心臓が突然急にドキドキしてきて、激しい動悸がしました。私はやばいと思って、邪悪に隙に乗じられたと思いました。その時、茶わんの底ぐらいの大きさの皿が見えました。その皿の真ん中に10円玉の大きさの穴があり、穴の周りに、星型の小さな凹みが三周ほどあり、サファイアのような石2個が凹みの中に転がり、私の心臓もそれに応じて激しく動悸しました。私は一生懸命に自分を抑えようとしましたが、しかし、なかなか抑えきれません。今度、三つ目の宝石が現れ、私の心臓の動きがドキンドキンとさらに加速しました。私の命を奪おうとしているのが、はっきりと分かりました。
この時、「この皿のすべての凹み部分に石がいっぱいになれば、お前は死ぬのだ」という恐ろしい声が聞こえてきました。私は、「命がなければないで構わない。もう結構だ、楽になりたい・・・。いいえ、だめです、私は大法弟子です、誰も私を動じさせることはできません!」とすぐさま、思い直し、心の底から、「師父、考え違いをしていました。どうか、私を助けてください! 師父について家に帰りたいのです!」と叫びました。どれだけ叫んだか覚えていないほど叫び続けました。すると、その皿は突然消えてなくなりました。私はすぐに飛び上がりました。この時、全身汗びっしょりになりました。「師父、助けていただき、ありがとうございました」と泣きながらお礼を言いました。
わずかな考え違いで、もう少しで命を落とすところでした。修煉者にとって、この一思一念がどれだけ大切でしょうか!
その関門を乗り越えられたのも、同修の見守りと助けがあったからです。同修達は私の為に発正念をし、法に基づいて心性の向上を助け、人間から脱出するように助言をしてくれました。私は全体の力と暖かさを感じました。さらに、同修は私の家にやって来て、一緒に法を学び、法理を切磋琢磨し、それによって、私は多くの人心を取り除き、心性も高まりました。今では、夫もだいぶ元気になり、支えがあれば、階段を下りられるまでに回復しました。嬉しいことに、私も迫害の真相を伝えに行けるようになりました。
この魔難を通して、普段常に心性を修めることの大切さを体得しました。くれぐれも問題を溜めないようにし、魔難に直面した時は、必ず頭をはっきりさせて、自分が大法弟子であることをしっかりと意識し、法を持って自分を正し、肝心な時には、師父にお願いすること、それから、同修が魔難に遭遇している時は、周りの同修は必ず同修を助け、邪悪に同修を迫害する隙を与えてはならないことを、身にしみて体得しました。
師父の慈悲なるご済度に感謝いたします。同修の助けに感謝します。
合掌