【明慧日本2016年10月16日】甘粛省慶陽市の法輪功学習者の段小燕さん(46歳)は今年8月16日、慶城県裁判所に不当な裁判にかけられた。段さんの弁護士は法廷で無実を主張した。司法官は故意に現地の方言を使い、他県の弁護士は分からないため、司法官に「標準語を使って下さい」と求めたところ、司法官は「私はいつもこのように話すのだ」と答えた。
昨年の7月初め、西安市政法委・610弁公室・西安市公安局・高新支局・長安支局などの部門は、計画的に多くの法輪功学習者を連行した。その中の段小燕さん、高小柯さん、王秀侠さん、韓秋侠さん、劉衛東さん、梁栄さん、江少華さんは7月4日に連行された。段小燕さんの父親の段維軍さんは、7月7日に自宅で連行された。
段小燕さんは昨年6月7日、法輪功への迫害を発動した元凶の江沢民を告訴した。段さんは法輪功を学んでいるという原因で、かつて何度も拘留され、労働教養を強いられ、さらに7年の懲役を宣告され、拷問で苦しめられた。青海省の女子刑務所で、段さんは電気棒で電撃され下肢が半身不随になったにも関わらず、依然として労働を強制させられた。
段さんは告訴状にこのように述べている。「1カ月以内で間をおかず、4回数本の電気棒で頭部、背中、腿、手を電撃された。顔に水ぶくれができて黄色い液体が流れ、背中は焦げて、吸い殻サイズの丸い点々が隙間なくいっぱいある。全身の感覚が麻痺していて、四肢はぐったりして力がなく、歩くのが極度に困難で、階段の手すりを頼りにして、少しずつ移動し、トイレの時に起き上がれず、あの苦痛は比類ないものだった。それに対して警官は『また装っている』と言った」。
段さんが告訴状に述べた迫害事実
私は個人経営者で、法輪功を学んでいるという理由でかつて5回拘留され、1回労働教養を強いられ、さらに判決を下された。何度も残虐な拷問で苦しめられ、体刑に苦しめられて、青海省女子刑務所で、電撃されて下半身不随になったにも関わらず、依然として労働を強制された。
私は法輪功を学び、真・善・忍の教えを守り、法輪功のために公正な話を言っただけで、1999年7月20日以来、中国共産党の残酷な迫害を受けた。
私は15歳の時、母が亡くなった。その後、私の性格は偏屈で内向的になった。中学校を卒業した後、裁縫技術を習得し個人経営者になった。私は誠意を込めて人と接し、顧客の好評を得て、商売は繁盛した。一方、小さい頃から体が弱く、少し歩くだけで疲れていた。また、婦人病を患い、ひどい時には座ることさえできず、夫婦の間のトラブルも多く、辛い日々を過ごしていた。私は夜中にこっそりと涙を流しながら、今後の人生をどのように耐えていくのかをいつも考えていた。
偶然に友達の家で法輪功の書籍を目にした時、内容を少し見て、とても良いと感じたので『轉法輪』を購入した。それ以来、私は無我夢中に本を読み、いつの間にか長年の病気が消え、生まれ変ったかのように全身が軽くなった。絶えず本を読むことを通して、自然と他人のために考えるようになり、名利に対して淡泊になった。
一、鎮原県で受けた迫害
1999年7月20日、私が出店していた場所で、2人の私服警官は私を脅迫し、中型のテープレコーダーと小型のテープレコーダーを押収し、私を鎮原県公安局に強制連行した。深夜になってようやく帰宅させた。
(1)1回目の不当な拘留(2カ月)
1999年の年末、法輪功の無実を伝えるため北京へ陳情に行き、天安門広場で連行された。その後、連れ戻され、現地の鎮原県留置場に2カ月間拘禁された。期間中、手錠、足かせをつけられ、警官に殴られ罵られたため、手足の痛みが消えず、腕も持ち上げられなくなった。また、何度も不当に尋問され、記録された。当時の留置場の所長は秦徳璽、副所長は劉俊輝で、警官の李国民、胡国勇、何金華などが迫害に加担した。
(2)2回目の不当な拘留(7日間断食)
帰宅した後、警官は毎日のように父の家に来て嫌がらせをし(私は実家に住んでいる)、私が再度北京へ行くのを防ぐためだという。1カ月後、私の全身の傷がまだ回復していない状況下で、再び鎮原県留置場に拘禁された。理不尽な迫害に抗議するため、すぐ断食を始めた。3日後、灌食を強行され、両手を後ろにして手錠をはめられ、管を胃まで挿し込まれた。喉が刺激され痛みに耐えられず、後ろの手錠はずっとはずされないままで、辛くて眠ることができず、女性の受刑者の手伝いがなければトイレもいけなかった。しかも、不当な尋問が行われた。7日後、警官は責任を負うことを恐れて私を解放した。
(3)3回目の不当な拘留(1カ月)
2000年の春、私は再度北京へ行き、途中で連行され鎮原県留置場に拘禁された。煉功を堅持したため、手錠と足かせを付けられ、時には連続して数日間後ろに手錠をはめられ、手は蒸しパンのように腫れ上がって、腕がちょっと当たると激痛を感じた。また死人ベッドに24時間縛り付けられた。その1カ月後、帰宅させた。
(4)4回目の不当な拘留(1カ月後に労働教養)
長期の絶えない迫害、さらに多方面の圧力から2000年6月、商売を止めて夫の家に帰った。ある日、友人の家で裁縫作業をしていた時、警官に連行され、罵られ、臨ジン郷派出所に20数日間拘禁された。警官は兄から金を要求し、食事代だと言った。期間中、所長の芦は罪名を捏造して、私を鎮原県留置場に送った。同年9月、芦ともう1人の警官は私を甘粛省蘭州市平安台の第1女子労働教養所に拘禁した。
二、甘粛省蘭州市の平安台労働教養所で受けた迫害
私は第1女子労働教養所の7大隊1中隊に拘禁された。法輪功を放棄しないため、3人の麻薬犯に24時間体制で監視させていた。
ある日、警官の指図の下、受刑者らは私に対して暴力を振るい、「三書」を書くことを強制したが、私が妥協しないため、15日間睡眠を許さず、昼間に労働を強要させられた。私は立ったままで眠ったため、受刑者はセーターの編み針で私の頭を刺し、眠らせないようにした。時には立っていられず倒れ、受刑者は汚く罵っていた。ある日の夜中、私は便所で卒倒したため、警官らは事故を恐れて、迫害を停止した。警官の王亜麗は私を事務室に呼んで、反省文を書かせようとしたが、私は「真・善・忍を堅持することは間違いですか? 何を反省するのですか? 何を保証するのですか?」と聞いたところ、警官は答えられず諦めた。
私は断食断水で迫害に抗議したため、労働教養所の入院部で灌食され、3カ月間の刑期を延長された。
残酷な迫害の前で、耐えられず「転向」した学習者もいた。新しく拘禁されてきた法輪功学習者は、庭の野菜を保管する地下室へ引っ張られ、縄で縛り上げられて「転向」を強要されたため、一部は障害者になってしまった。労働教養所では、法輪功学習者同士の会話を禁止し、常に監視し、罵ったり殴ったりすることは日常茶飯事で、隊長に訴えても無視され、逆にひどく罵られ殴られる。受刑者らの暴力に対して、労働教養所は止めるどころか、かえって減刑して推奨していた。麻薬常習者らは労働教養所で足を洗うことができず、更に人間性がなくなっていた。
三、青海省の女子刑務所で受けた迫害
警官はいつも私の実家、夫の家および働く場所などへ嫌がらせをし、プレーシャーをかけてきたため、2002年に私は青海省に来た。
私が道を歩いていた時、待ち伏せていた警官に連行され、青海省西寧市二十里舗留置場に拘禁された。その後、警官は私の住所からパソコン、プリンター、貴重品、1万数元の現金を押収した。尋問された時、私は現金を返すようにと求めた。その時、ナプキンが1枚もなく、大変困っていたため、百元だけ返された。留置場は法輪功学習者を1棟の7階に拘禁し、迫害を実施した。
2002年の旧正月の時、私は不当に7年の判決を下され、青海省女子刑務所に拘禁された。刑務所の活動に一切参加せず、拒否したため、警官の楊海生に廊下にある鉄の門に吊り上げられた。私は薄着の状態だったが、東北の10月の天気は寒くて、特に夜の廊下の風はとても強かった。8日目の夜12時にようやく下ろされた。
8日間吊り上げられ、私の足は腫れて、体は極度に衰弱し、翌日になっても手足は依然として動かないにも関わらず、仕事場に連れて行かれた。
私は労働を拒否し、断食断水で迫害に抗議し、無罪で解放することを求めた。断食の6日目、刑務所長の丁秀蘭、警官の庄雪峰の指図の下で、受刑者は私に対して灌食を行い、40日余りに及んだ。
断食の期間中、警官の命令に従わず、煉功を続け、「法輪大法は素晴らしい」と叫んだため、1カ月内に間をおかず、4回電気棒でひどく電撃された。
私は何度も受刑者に片腕を掴まれ、3階から下へ引きずり降ろされた。また、3階の作業場に引っ張られたりして、服が汚れ、全身の痛みに我慢できず、両手の力が抜けてしまい、話すことさえできなくなった。それでも労働を命じられ、私は拒否したところ、警官の庄雪峰は「働かなければ、この正方形のタイルの上に立って動くな」と言った。作業が終わって部屋に戻っても、夜12時まで両手とべッドに手錠をはめられた。
冬はとても寒くて、私は毎日階段の冷たい鉄の手すりに沿って、作業の行き来をしていた。毎日24時間監視され、時にはトイレも許されない。非人道的な虐待で、下肢が半身不随になり、自立して生活ができず、衰弱した体は1杯の水さえ持つことができず、寝返りも困難となった。給湯室からの供給が足りず、時に好意の受刑者がお湯を1杯を入れてくれたが、警官へ告発されたため、手伝いをすることを禁止された。
青海刑務所は犯罪を覆い隠すため、近くの赤十字病院に連れて検査をした。警官は私が歩けないことを知っても、無理やり歩くようにと強制したが、本当に駄目だと見て、受刑者に私を車まで背負わせた。病院では神経性の半身不随と診断された。一切の費用を家族に支払わせた。
青海省女子刑務所は対外で「スター有限会社」と称している。刑務所はいつも急ぎの納品があるという理由で重労働をさせた。午前7時から作業を始め、休憩はなく、12時に昼食、まだ食べ終わっていないうちから作業が始まった。夜10時まで作業をし、徹夜の時もあり、日曜日と祝日がなく、残業も多かった。作業内容は労働教養所の布団、シーツ、囚人服、青海省師範大学、青海大学、蘭州大学などで使う布団、敷き布団、シーツ、軍隊の迷彩服、警察の服、マスクなどがある。
2009年8月24日、不当な拘禁は満期になった。青海刑務所は家族を恐れて、鎮原県の臨ジン司法所の職員に迎えにこさせた。司法所の職員は私を背負い汽車に乗った。
私は現地の司法所の事務室に一週間滞在した。夜はソファーで寝て、ご飯を供給してくれる日もあり、与えてくれない日もあった。その後、司法所の職員は実家の家族を騙したりして、私を実家に帰した。現地の610弁公室はよく嫌がらせに来ていた。2009年、私は身分証を申請したが、代金は20元なのに40元を支払わせ、身分証は未だに渡されていない。
四、家族に対する迫害
私は長期にわたり迫害され、父も法輪功を学んだという理由で3年の判決を下された。家族に極めて大きな傷をつけた。
長兄が遠くから青海省刑務所へ見舞いに来た時、刑務所は面会を許さなかった。長兄が強く抗議した後、刑務所は受刑者に私を背負わせて面会させた。私を見て、長兄は辛くて涙を我慢していた。
息子は学校でよく一人ぼっちになる。私の迫害された話を聞いて泣いた。夫は各方面の圧力から逃れるためよそでアルバイトし、痩せこけている。
この10数年間続く残忍非道な迫害は、私の家庭を分散し、帰る家がなくなった。夫側の身内に対しても、実家の身内に対しても大きな傷をつけた。精神上の迫害は肉体の迫害をはるかに超えるものである。
そのため、私は最高人民検察院に法律に基づいて迫害の元凶の江沢民を告訴し、法律に基づいて江沢民を処罰することを求める。同時に江沢民が国家、政府の名義で法輪功に対して作り出した間違った理論、規定、禁令、制限と影響を徹底的に取り除き、直ちに拘留され、拘禁され、判決されたすべての法輪功学習者を解放し、法輪功創始者の李洪志先生の潔白を返すことを強く要求する。