私には師父がおられ、法輪大法がある
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月24日】私は農村の大法弟子で、1997年旧暦の7月15日に修煉を始めました。修煉する前の私は全身、上から下までいい所がないほど病気を患い、当時、私にとって最も重要な日課は、毎日病院に通い、薬を飲むことでした。そんな私は人生に希望が持てず、夫に「もう諦めてください。私が死んだら、健康なお嫁さんをもらって暮らしてくださいね」」とまで言っていました。

 1997年のある日、転機が訪れました。夫の甥は家に来て「おばさん、おばさんは助かりますよ。元気になりますよ。うちの村では法輪功を習った人は、皆元気になりましたよ」と言いに来てくれました。私は「冗談を言わないでちょうだい。そんなこと、信じられますか。病院でさえ治らないのに、法輪功で治るはずがないでしょう」と答えました。しかし、夫の再三の説得の下、7月15日に、私は数百キロも離れている叔母の家に行くことになりました。

 叔母は「栄ちゃん、この大法があれば、お前は助かるよ。大法は不思議なほど素晴らしい効めがあるからね」と勇気づけてくれながら、水の入った洗面器を持って来て、私に手を洗わせてから『轉法輪』を渡してくれました。私は渋々本を受取り、ページを開いてみたら、感電したかのように手が痺れて「わ~」と声を上げて本をオンドルに落としてしまいました。私は怖くて再び本を取ることができず、心の中で「この本は電気が通っているの?」と思いました。この時、叔母の三男坊(同修)が帰って来て、その話を聞いて笑いながら「根基は悪くないようですね、大丈夫だから、本をもう一度持ち上げて見てください」と言うので、再び本を持ち上げると、本当になんともありませんでした。これは確かに魔法の本だと信じ、叔母の家で2日間功法を習い、そして『轉法輪』と煉功のビデオテープをいただいて家に帰りました。

 家に帰った後で、法輪功を煉功し始めました。私は小さい時から修煉したい願望がありましたが、師を探しても見付からず、年を取って来ると共に生活に困惑し、修煉のことを考えることも、いつしか次第に薄れてしまいました。今、探し求めていた本物の師父に、やっと出会いました。この機会を逃さず、私は必ず師父のお話をよく聞き、師父のおっしゃる通りに行いたいと強く思いました。

 煉功して一週間、体は日に日に良くなり、薬も飲まなくて済むようになり、家事も少しずつ出来るようになりました。無病で軽快な体の素晴らしさを、身を持って体験しました。

 ある日の夜、突然胃が痛くて堪らなくなりましたが、薬を飲みませんでした。その時、師父がおっしゃった法「わたしはここで病気治療の話をしませんし、病気治療などもしません。しかし、本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですからわたしは身体を浄化してあげなければなりません。しかし身体の浄化をしてあげるのは本当に功を学びに来た人、本当に法を学びに来た人だけに限ります。もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もしてあげられないし、どうすることもできないということを強調しておきます」[1]を思い出しました。師父の法は、私に明確な答えをくださいました。師父が私の体を浄化してくださることが分かっていましたので、胃の痛みをまったく気にせず一晩寝ると、翌日には完全に良くなりました。

 体はみるみる良くなり、病気がなくなりました。次第に、親戚や隣近所の人たちもそのことを知り、誰でも法輪功は不思議だと言って、法輪功を習いたい人が増えました。こうして、私達は学法をするグループと煉功する場所を立ち上げ、とても熱心に法を広めていきました。法を学ぶことを通して、多くの身を処する道理が分かり、生活の中で、大法の「真・善・忍」の法理に基づいて自分を律するようにし、トラブルに遭えば、先に自分の問題点を探し、どこが間違ったのか、どこが悪かったのか、どうすればいいのかをすべて大法に照らし合わせて、自分を律するように努力しました。

 「私には師父がおられる。常人と同じようにしてはいけない」

 修煉したばかりの頃、師父は私の体を浄化してくださり、元気になった私は、力のおよぶ範囲の仕事をこなすようになりました。ある日、村の人々から海辺で魚を仕分けする仕事をやろうと誘われました。それは漁師がとってきた魚とエビを仕分けし、エビは漁師のものになり、残った魚は私達のものになるという仕事でした。ある日、私が袋半分ぐらいの魚を入れた時、突然、女性が魚が入った袋を私から奪って「恥ずかしくないの、私の魚を取るなんて」と言われました。この時、自分が修煉者であることを自覚して、彼女と同じように対応してはいけないと思いました。

 私は気を落ち着かせ「私の袋に名前が書いてあります。袋の底に書いてありますから」と言いましたが、彼女は「名前なんか関係ないわよ」と言って、どうしても私の魚を取ろうとしました。

 彼女がめちゃくちゃなことをするから、私は台車からもう一つの袋を取り出して、魚を入れようとすると、彼女は再び私の袋を奪って「恥を知らないの。私の魚と袋を取るなんて」とまた言いがかりします。この時、私は師父の法、「さて、どうしてこういうことにぶつかるのでしょうか? それらはみな自分自身の業力によるものです。われわれはすでに数え切れないほど多くの業力を消してあげました。残ったわずかなものは、あなたの心性を高め、心を錬磨し、さまざまな執着心を取り除くために、「難」として各次元に割り当てました。それらの難はもとよりあなた自身が持っているもので、われわれはあなたの心性を高めるためにそれらを利用するのですが、いずれも乗り越えられるようにしてあります。あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです。したがって今後、何かトラブルに遭遇した時は、それを偶然なことだと考えてはなりません。なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです。あなたが平素から煉功者として自覚してさえいれば、それに正しく対処することができるでしょう」 [1]を思い出しました。

 魚もなくなり、袋もなくなり、手ぶらになって「もういいわ。借りがあれば返さなければならない」と思って、家に帰ろうと思いました。心の中で「師父、私は彼女の魚を取っていないのをご存じですね」と言いながら、少し悔しい気持ちで、台車を押しながら帰ろうとしました。ちょっと歩くと、近くの海辺で二つの袋が置いてあるのを見つけました。私は「おーい、あの二つの袋はあなたの物じゃないですか」と大声で彼女に知らせました。彼女はそれを見て、自分の物だと言いました。「あなたの魚が見つかったのだから、先程の魚を返してもらってもいいですね」と言って、魚を受け取りました。私は心から、師父が心性を高める機会を按排して下さったことに感謝いたしました。

 翌日、私は菜園に行き、昨日私の魚を奪おうとした彼女に出会いました。本当は彼女に知らん顔をしたかったのですが、師父の法を思い出し、私から進んで彼女に挨拶すると、彼女は恥ずかしそうに顔が赤くなりました。

 師父は息子の居場所を教えて下さった

 大法修煉の中で、私は多くの不思議なことを体験しました。ある日、15歳の息子がオートバイに乗って出かけた時、オートバイを無くしました。やらかした息子は家に帰るのが怖くなって、なんと50日余りも行方不明となりました。周辺の数百キロを探しても見付からず、生きているかどうかもわかりませんでした。家族は皆心配し、私も心配して居ても立ってもおられず、どうしょうもない時、師父にお願いしました。息子の居場所が閃(ひらめ)いた私は、すぐに電話で夫に教え、その場所に行くと、息子が本当にそこにいました。夫から息子が見つかったとの電話をもらった時、嬉しくて涙が出ました。私は合掌して慈悲で偉大な師父に、感謝しました。師父、ありがとうございました。

 心を込めて警官に真相を話す

 1999年の「7・20」以降、江沢民集団は天安門の焼身自殺事件を自作自演し、邪悪が真っ赤なうそを流し、気違いじみたように大法弟子を迫害しました。多くの同修が学法にも煉功にも来なくなりました。ある日、私は家で煉功していて、第二式を煉っている時、たくさんの警官らが突然押し入って来ました。私は急いでテープレコーダーを奥の部屋に持って行き、隠しました。

 その中の派出所の所長が「お前は法輪功の修煉者で、しかも責任者だそうだな。ここは煉功をする場所だと聞いたが」と言いました。私は「煉功をしていても、責任者はいません。ここは皆年配者が来ており、彼らは読み書きもできず、ただ本を読んであげているだけです」と答えました。所長は「今日、我々がここに来たのは、法輪功を煉ってはいけないことを知らせるためだ」と言うので「あなた方は実に悪い方ですね。これは素晴らしい功法で、病院でも治療できない病気が、煉功すれば治るのです。煉功をさせないことは、実に悪いことです」と言いました。所長は慌てて「我々が悪いのではなく、政府が煉功を禁止したからだ」と言うので「政府が悪いのでしょうか」と聞くと、所長は「ここにサインすればいいだけだ。これからもう煉功を止めなさい」と強く言いました。私は「サインしません。煉功させないことは、死ねというのと同じです。政府はここまで悪いのですか! 私は15、6年の間、病気になったときに、政府が見舞いに来ましたか。あれだけ長く入院し薬を飲んでいた時、政府が一銭でもくれましたか。この中国は、一体全体なんという国でしょう。人を長生きさせたくないのでしょうか」と尋ねました。

 私は泣きながら「この政府は悪すぎます。誰であろうとも煉功を禁止してはいけません。絶対に駄目なものは駄目です」と言うと、所長は「煉功が本当にそんなに素晴らしいものなのか?」と聞きました。私は彼らに修煉前にかかった病気、苦労したこと、もう生きる望みがなくなった時に、法輪大法に救われ、慈悲で偉大な師父に救われ、二度目の命を授かったこと、そして一銭のお金も払っていない事を、涙ながらに訴えました。警官らは皆、静かに私の話を聞いていました。最後に、所長は「煉功が本当に効くならば、あなたは家で煉ってください」と言い残して、帰って行きました。師父は「弟子として、魔難がやってくるときに、本当に平然として動ぜず、または異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するよう心を放下することができれば、充分に関を乗り越えます」 [2]と説かれていますが、本当に、本当にそうでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「道法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/15/338616.html)
 
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