2017年への執着を、すべて放下する
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文/中国大法弟子

 【明慧日本2016年12月25日】最近、人権弁護士の高先生が書いた『2017、立ち上がれ、中国』という本がネット上で公開され、私も大体読みました。高先生が高い圧力の下で大法弟子を弁護し、刑務所で信念を固く守って、屈服しないことに深く敬服し、この本を読んだ同修もみな同感だと思います。私が本日言いたいことは、2017年に執着しないということです。

 時間への執着は、実際、多くの同修の内心に深く、かつ強く隠れているのです。この点について、師父は何回もおっしゃったことがあり、明慧ネットにもこの点を指摘する文章が少なくありません。しかし、時間に執着している同修がまだ多くいます。内に向けて探せば、時間への執着はだいたい安逸心からくるものだと分かるようになります。自分は楽な環境で修煉し、危険を冒してまで真相を伝えるのが嫌で、迫害を恐れ、早く終わらせるように望み、自分が今まで払ったものがあまりにも大きく、さらにこれ以上、払うことをしたくないと考えているようです。この考え方は、迫害されて刑務所に入ったことがある同修の中に、特に著しいのです。私にもこのような考えがあったことがあり、刑務所から出た初日、家族に「法輪大法に払った全てに、栄光と誇りを感じます。しかし、ここまでです」と言いました。今思い出すと、このような考えの根本原因は、刑務所があまりにも辛く、自分の払ったものがあまりにも大きすぎて、耐える力が極限に至ったとの思いがあり、さらに師父のおっしゃった一部の人は忍耐力にも限りがあることを口実にしたからです。実際、根本から見て、時間への執着を放下せず、当時の2012年に執着し、結果が思うとおりに現れず、大法への信念が無くなったからです。

 現在、弁護士の高先生は、中国共産党が2017年に転覆することをはっきりと予言されました。高先生は大法の修煉をしていませんが、彼の本を読んだ人は皆、彼には神の保護があると分かっています。本の一部に神はどのように彼を啓示させるのかを詳細に話しました。このように、常人だけではなく、同修の中にも時間への執着心があります。私は予言に対しては「見てもみざれば、迷わず惑わず」[1]だと思っています。

 ある文書で、2012年のとき、多くの同修は中国共産党の2012年の転覆に執着し、気がとても緩んできたと指摘しました。現在の状況とよく似ています。世間の全てはみな偶然ではありません。私はこの本がこの時期に出版され、ある意味から言うと、私達にとって一つの試練だと思います。これに執着している同修、特に中国国内の同修は「2017年、中国共産党がまだ崩壊していない場合、私達は失望するか、さらに動揺するか」を自分に問うべきです。もしこのような考えがあれば、私達の念がまだ不純で、この問題の執着をまだ放下していません。このような心を持って、圓満できるでしょうか!

 法を正す時期の修煉者として、私達は待っていたり、頼ったりしてはいけません。いかなる時間にも執着することなく、やるべきことをしっかりやらなければなりません!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』 「道中」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/11/338774.html)
 
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