嫉妬心に阻まれて
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文/内モンゴルの大法弟子

 【明慧日本2017年3月31日】ある日、同修学法を終えたあと、同修が私に長期にわたり存在する問題について真っ向から指摘してきました。「あなたは毎日定時に煉功し、学法も堅持していますが、なぜ本を置いた直後に意のままに振る舞い、修煉者の基準を持って自分を律することなく、こんなに苦しく、しんどく堅持しても、心性の向上はまったく見られません。このままではいけないでしょう」。私は口では何も言わなかったのですが、心の中でこう考えました。「私はあなたよりましですよ。あなたに言われる筋はない!」

 家に帰った後、私は数日間落ち込んで、法を見ても頭に入らず、功も煉りたくなく、心は怨みでいっぱいでした。私は指摘してくれた同修を訪ねて、「今の私の状態はぜんぶあなたのせいですよ。あなたの話にひどく傷つけられました。どうしてくれますか?」と言いました。同修は次のように言いました。「家に帰って学法するしかありませんね。師父はこうおっしゃっています。『法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです』[1]」と言われました」

 同修は午後の時間をかけて私と交流しました。帰宅後、私は「修煉とは何か? いかにすれば修煉していると言えるだろうか」と考え始めました。それから『精進要旨』を取り出して学法を始めました。『修煉とは何か』の中にこのような一節がありました。「法を学び心を修め、圓満成就の手段ー煉功を加えて、確実に本質から自分を改め、心性を高め、次元を向上させることこそ、真の修煉なのです」[2]。師父の啓示を受け、私はすぐに一つの法理が分かりました。いかに修煉すべきかが分かるようになってから、私は心を静めて学法することができて、発正念の際は手が倒れず、同修のことも怨まなくなりました。

 ある日、私は1篇の交流文章を見ました。その中で言及されていたのは退職した先生についてですが、口を開くたびに法理を並べ、衆生を救うことも率先して実行し、風雨や苦労の中で何の不平不満も言いませんが、同修から指摘を受けるたびに、笑いながら「私はあなたよりましですよ。あなたに言われる筋はない!」と心の中で思っていたようです。結局、内に向けて探さなかった彼女は旧勢力によって肉体を奪われました。これを見て、私がびっくりしました。これはまさに私のことではありませんか? セリフさえも同じでした。同修の言動は私の鏡でもあります。

 心の中でへへへと笑いながら、「私はあなたよりましだ」という考えの背後には何があるでしょうか? 生活の中の私はとても意固地な人間で、きわめて残忍で不善な要素が骨身に染み込んでいます。それに加えて、結婚後、夫の理由のない暴力を受けても訴えることが許されず、心に受けた傷は長年の積み重ねによって怨み、高慢、心の冷たさに変わりました。これらの廃物は私の思想に溶け込み、偽の私に化けました。私はそれが本当の自分だと思い込んで、特に怒るとき、「これが私! あなたは何ができるのか? 見てみなさい!」という念を発したこともあります。人々は私の身体から、「ひねくれた強い」反逆心と言うか、残忍な力と言うか、凶悪でよくない信息を発する物質を感じ取りました。話すときや、事を処理するとき、私のこの良くない物質は相手に私を猛打して初めて心の怒りを解消できるという念を誘発してしまいます! 師父はこうおっしゃっています。「悪者は嫉妬心によって、私(し)のため、怒りのために、自分が不公平だと言います」[3]。この一切の根源は、私の内にある強大な嫉妬心によるものだと悟りました。数年来、この嫉妬心に妨げられて、私は内に向けて探すことができず、心性の向上を得られず、家族や同修にも精神的苦痛をもたらしてしまいました。

 嫉妬心を見つけてから、私は本質から変わりました。心身ともに喜びを感じ、この上なく幸せです!

 慈悲で偉大なる師父に感謝します!

 注:
 [1]  李洪志師父の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [2]  李洪志師父の著作:『精進要旨』「修煉とは何か」
 [3]  李洪志師父の著作:『精進要旨』「境界」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/12/27/320723.html)
 
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