明慧法会|善の念を修めて邪悪を溶かす
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文/中国の大法弟子 英悟子

 【明慧日本2017年4月3日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 中国共産党が大法弟子を迫害して以後、中国共産党に利用された悪人が様々な手段で狂ったように大法弟子を迫害し、その日々の中で、私には恨む心が生まれました。修煉の中で善を修める意味についても少し知っているだけでした。

 師父は「善は宇宙の特性の異なった次元、異なった空間での現れで、大覚者たちの基本的な本性でもあります。ですから、修煉者は必ず善を修めて、真・善・忍の宇宙の特性に同化しなければいけません」[1]と説かれました。

 しかし、迫害に直接加担した責任者が気にかかってどうしても忘れられず「彼らは最も悪く、良い人にあんなにも悪いことができるだろうか?」と思いました。師父はかつて「私はある日皆さんにこのようなことを話しましたが、あなたの敵を愛さなければ佛にはなれません。神あるいは修煉中の人はどうして常人を敵と見なすことができるのでしょうか? どうして敵があるのでしょうか? もちろんあなたたちは今まだできませんが、徐々にできるようにして、最終的にはできるようにならなければなりません。あなたの思っている敵は常人の中の人です。人はどうして神の敵になれるのでしょうか? 神の敵になる資格はあるのでしょうか?」[2]と説かれました。

 学法が一歩一歩と深まるにつれて「いつも人の観念を用いていたのでは、どうやって大覚者の基準に到達するのか?」と認識に変化が現れました。そして、恨む心はだんだんと少なくなりました。しかし、この変化は根元からの変化ではなく「大法を学んでいるのだから、師父がおっしゃるとおりに行わなければならず、手を抜いてはいけない」と思っていました。しかし、これは法から悟ったとは言えなかったのです。

 師父は様々な方法で私たちを修めて向上させました。数年前のある日、用事があって同修の家に行くと、思ってもみなかったことに、監視していた5、6人の警官と「610弁公室」によって家の中に押し入られました。1999年以後、私は捕まったことがなかったので、この風向きに驚いて、どうしていいかわからず、動悸が速くなりドキドキしました。すると突然「慈悲は能く天地の春を溶かし」[3]という師父のお言葉を思い出しました。このお言葉を繰り返し念じると、ドキドキしていた心が少し落ち着いてきました。私たち数人の同修は分断され、単独で取り調べが行われ、私の携帯電話は警官たちの手の中にあったので、警官たちは私の携帯電話に保存されている電話番号で私の家族と連絡を取ろうとしました。家族が恐慌してしまうのを避けるため、自ら名前を告げると、警察署に連れていかれました。師父が見守ってくださっていたので、その時は全く怖くなく、警官を見ても恨む心はなく「警官たちは単なる道具に過ぎない」と感じただけでした。

 取り調べの時、警官たちは静かに話し「私たちは取り調べは行わず、少し聞きたいだけです」と言いました。そこで私は、私たちがどのように共に交流して心性を修めるのか、どのように家庭の関係の中で心性を向上させるのか、どのように自分の不足を見つけるのか、などを思いっきり堂々と話しました。すると、警官たちは筆記し、最後に内容を見せたので、私はサインしました。しかし、サインをしたことが警察への協力になるとはその時は思いもよりませんでした。内容はすべて私が話したことで、自分が拘束されるとは全く思っていませんでした。いろいろ考えているうちにしばらくして家に帰されました。地元の警察署から送られた時、警察署長と握手して一言別れを告げました。家の近くの派出所に送られた後、その夜に家に帰りました。後で知ったのですが、同修2人は不当に拘禁され、その内の同修1人はその後、洗脳班に送られ迫害を受けました。そこで、私たちはともに同修を救出する活動に参加した結果、その同修は安全に家に帰ることができました。

 今回の自分の行いには多くの遺憾が残り、法の基準から大きく離れていました。しかし、はじめから終わりまで警官に対して恨む心を持たなかったために、中国共産党に利用された警官は邪悪にふるまうことができなくなったのです。自分が迫害を受けるという考えは少しも持っておらず、ただ、家に帰った時間が予想していた時間より少し長かっただけでした。

 家に帰った後、管轄の警察署の警官が思いがけず門口まで私を訪ねに来たのですが、これは今までになかったことでした。警察が来ましたがどうすればいいでしょうか、きっぱり断わるべきでしょうか? しかし、私はこの考えを否定しました。なぜなら、私は正々堂々とした修煉者であり、誰かが来たのであれば、それは真相を聞きに来たのではないでしょうか、ですからこれは真相を伝える良い機会なのです。そこで、すぐに警官を丁寧に家に入れ、平和的に話をし、対立的な気持ちを持たずに、警官を自分の子供のように扱い、距離を近づいて、自分の修煉体験や大法のすばらしさ、体に恩恵を受けたこと、および法輪功を迫害することによって中国にもたらされた悪い結果などをその警官に聞かせました。その時はまだ、周永康は在位していたので、周永康と薄熙来の悪事をその警官に伝えると、その中には警官たちでさえ知らない内容がありました。そして、その警官は大きく心を揺り動かされ、私たちは4時間近く話し、その警官は帰る時、名残り惜しげに帰っていきました。

 数十年にわたって、中国共産党は4文字を用いてその統治を維持してきており、その4文字とは「暴力、虚言」であり、一般人をだますだけでなく、内部に対しても騙し通しているので、真相がいったん表に現れると、人々の本性と良知がよみがえるので、中国共産党は真相を最も恐れており、そのため、大法弟子が真相を伝えるのをいろいろ手を尽くして妨害するのです。しかし、人々がいったん真相を理解したなら、どんなことがあっても中国共産党とともに歩むことはないでしょう。

 ある日、どうしてなのかわかりませんが、市の610弁公室の担当者が私の家に来たのですが、ちょうど私は不在で、警官が携帯電話をかけて私を見つけ「どこにいるのですか」と聞いてきたので「娘のところです」と言いました。すると思いがけず、その警官が「よかった、『あっという間にあなたはいなくなってしまったが問題はない』と市の担当者が言っています」と言いました。そう言い終わると、電話を切りました。しばらく経ち、この警官が再び電話してきて、今回は口調が非常に強硬で、まるで尋問するかのように「どこにいるのか」と尋ねてきたので「タイミングが悪く、あなたたちが来るのを知りませんでした。私に会う必要があったなら、時間を決めていただければ、私は家で待っていました」と答え、その警官に伝えました。すると、電話の向こう側ではイライラした様子で「もういい、もういい」と言いました。そして電話を切ると、ドキドキがおさまってきました。

 この警官はほかの警官の前で演技することによって私を保護したのだ、ということがわかりました。「師父が保護してくださっているのだ」と、私は涙ぐみました。実を言うと、1999年以後、直接警官と面と向かったことはなく、迫害反対の先頭を歩く同修と比べると、当時の私にはそのような勇気はなく、何も手につかなくなるように感じ、心の底から警官たちを相手にしようとは思わず、警官たちに意見したいとも思わず、当時の心性の基準はそのような位置にありました。弟子が正々堂々と法を実証する境地に到達することができないことを師父がお知りになり、弟子にこの関を乗り越えさせなければならなかったので、苦心惨憺して弟子を保護してくださったのですが、師父の慈悲なる済度に本当に言葉では言い表せないほど感謝しています。今回の出来事では、迫害に加担した人たちを敵対する者とみなさず、警官たちを救い済度すべき生命とみなし、善の心で警官たちの悪念を溶かし、善の心で警官たちの悪の一面を抑制し、迫害という悪念が主導的役割を形成できないと中国共産党に思わせ、迫害の陰謀を解体するよう師父が手伝ってくださったのです。

 私たちは正法時期の大法弟子ですから、旧勢力が変異した観念や師父を助けるという名目で、迫害という方式を用いて大法弟子に対していわゆる試練を行うことを師父は認めておらず、私たちもまた認めることはできません。しかしそれは、弟子が本当に法に則っていることを前提としており、そうでなければ師父は助けることができず、もし弟子が法から法を認識できないのであれば、旧勢力はそれを口実にして妨害してくるでしょう。修煉がそれほど精進していないことや学法にそれほど集中できないことを自ら恥じていますが、今回の出来事で少し向上し、この関を越えられるように師父が手伝ってくださいました。

 それ以後、町会員であろうと、警官であろうと、誰を相手にするときでも、その人たちを敵対する者とみなしませんでした。すると、町会に真相を伝えた時も比較的良い効果をあげました。また、あるエピソードがあり、私が家にいなかったときに、例の警官が私の家の戸をたたき、娘と孫がちょうど私の家にいて、警官を見て、娘はとても驚いてしまいました。そこで、その警官は「むやみやたらに走らないでください、家で煉功しても誰も相手にしません」と言いました。言い終わると、その警官は行ってしまいました。私が家に帰ると娘は泣き出し、怖くて手足が冷たくなってしまったと言いました。娘から状況を聞き「怖がらないで、その人は私が知っている人ですから」と伝えました。そして、その警官とどのような話をしたのか、その後、その警官がどのように私を守ったのかについての状況を、全て娘に話しました。今まで、そのすべての過程を娘と孫に話していなかったのは、娘と孫が恐れるのではないか、と思ったからでした。しかし、このように話すと、娘の心のわだかまりが解け、心に後遺症も残らず、さらに安全に対する問題でも共通認識に達し、その後、さらにしっかりと三つのことを行うために、娘と孫の思想的障害を取り除きました。

 2015年6月、江沢民告訴に参加し、すぐに中国最高法院と最高検察庁からの返事の知らせを受け取りました。私たちの学法グループの同修もほとんどが江沢民告訴に参加しました。しかし、数カ月後、多くの修煉者が次々と騒ぎを起こされ、しかも、騒ぎを起こされた修煉者のほとんどが大法を修煉しているという身分を公開していなかったのです。このようにして、私たちの地域は大きく動揺しました。なぜなら、騒ぎを起こされた修煉者たちはなにしろ、中国共産党と直接対面したことがなく、心の準備が不足していたからでした。私たちは正々堂々としていなければならない、と感じ、何を恐れるというのでしょうか? そこで、学法グループで「彼らは私に会いに来るでしょう。なぜ江沢民を告訴するのか、と問われたら、それはあなたのため、私のため、彼のため、全中国人のため、と彼に伝え、私は八つの返答する言葉を持っており、それが彼を待っています!」と言いました。そして「来なさい、あなたを問いただし、ただではおきません」と思いました。しかし、警官たちはいつまでたっても来ませんでした。そこで、学法グループの同修は「見なさい、恐れなければ彼らは来ないのです」と言いました。私の心は少しも動きませんでした。

 しかし、年が明けた「4.25」前夜、警官が娘のところに電話し「私が警官たちと連絡を取る」とうそをつきました。しかし、ひと目で見抜き、警官たちに連絡しませんでした。その後、警官たちが家に来た時は、夫が家にいたので、私に顔を出させませんでした。しかし、警官たちはあきらめず、次の日は本来、公休日なのに、また家にやってきたのですが、私はちょうど家にいませんでした。そこで、警官たちは夫を騙してわなにかけようとし、日常のありふれた話をすることによって情報を引き出し、親戚の状況を掌握し、さらに、直接親戚の家に行って、警官たちが必要とする情報を集めました。後日、再び夫に電話をかけてきて、親戚の家の階下でもう待っているのですぐに私と会わなければならない、と言明しました。夫はとても驚き「どうすればいいのか」と聞いてきましたが、その時私は外にいて、親戚の家にいたわけではなかったので「ほっておきましょう、私が彼に電話します」と言いました。その時、ちょうど娘がそばにいたので、娘の気持ちを落ち着かせ、娘の携帯電話で返事の電話をかけました。もともと相手は自治会だと詐称していましたが、実際は警官でした。通話した時、平静に「何の用ですか?」と警官に聞きました。相手は詳しいことは言わず、ただ「会いたい」と言い、さらに私を一通りおだてました。そこで「用があるなら、今ここで話してはダメなんですか?」と言いました。すると「だめです、1分間会えればそれでいいです、一言話すだけです」と言いました。そこで、私は厳粛に「録音や録画はしませんか? もしするなら行きません」と言いました。私が断固たる口調で言うと、意外にも相手の口調がすぐに変わり「これならどうでしょうか? 私は制服を身に着けず、何も持たず、あなたが会う場所を決めて、私たちが会う、それでどうですか?」と言いました。このような状況から、私は適当な場所を探してその警官に返事の電話をして了解しました。しかし、夫は恐れ、私1人でその警官に会わせようとせず、私と一緒にその警官に会わなければならないので仕事の休みを取ってすぐに集合場所に行く、と言いました。

 その警官は予定の時間に集合場所に現れ、私に会うと一通りおだててから「こんなにお年を召しているのに、きちんと暮らしていらっしゃるんですね」と言いました。そう言いながら後ずさり、今にも逃げ出しそうな様子でした。そこで私は「逃げないでください、私にも話があるんです」と言いました。すると、その警官はあわてて「どうぞ、おっしゃってください」と言いました。そこで、私は静かに「十数年間、ずっとある原則に基づいて行ってきています。私たちは『真・善・忍』に基づいてよい人間になり、さらによい人になり、時にはうまく行えず、大法の基準からはまだまだで・・・」と伝えました。すると、意外にもその警官は「とてもいいです」と言いました。そこで私は「以前、私は政治活動をしていたので、党文化の影響を深く受けており、闘争意識が強く、時に話し方がよくなく、さっきあなたに電話した時は、話し方に配慮が欠けていたので、おわびをします」と伝えました。すると、意外にもその警官はまた「とてもいいです」と言いました。そして、その警官は再び数歩退き、退きながら「何事もありません、もう何事もありません」と言いました。そして、車に乗ってすぐに逃げて行きました。

 もともと私は話さなければならないことがたくさんあったのですが、警官たちが先に逃げてしまうとは思いませんでした。その警官が行ってしまってから「彼らはなぜ私に会ったのだろうか? 法輪功の三文字にはひと言も触れておらず、江沢民告訴のことにも一言も触れていないのに、いったい彼らは何をしに来たのか? 不思議だ!」とかえって不思議に感じました。夫もこの全過程を目の当たりにし、恐れる心がすぐになくなりました。そこで、私は夫に「警官は江沢民告訴のために来たのに、何も言えず、迫害がどんなに人々の支持が得られないことなのかが見てとれ、迫害がどんなに維持しがたいものなのか、ということが見て取れました」と伝えました。

 警官と会った時、恐れる心と恨む心をずっと抱かずにおり、警官たちは中国共産党の体制の中で本心に逆らって悪事を行っていますが、警官たちも良知を持っており、生命に善悪二種類の要素が存在しているのですから、法を正す時期に人を救うことは大法弟子の使命であり、私たちはよく修めた善の角度から主導して、衆生に慈悲深くし、邪悪の環境で仕事をしている人の悪の一面を作用させないようにしなければならないのです。法の中で生まれた真の念を用いて魔難を溶かすのです。師父は「真念で満天が晴れ渡る」[4]と説かれました。師父が加護してくださったことに感謝し、自分に少しばかりの正念しかなかった時に最も良い結果を弟子に与えてくださったことに感謝いたします。

 今回の騒ぎの後、自分が江沢民告訴したことを家の中ですべて公開し、家族の同意を得ました。さらに今回の出来事の後、家族が以前持っていた恐れる心も解除され、法を実証するためのゆとりのある環境が開かれました。

 自分が法の基準からまだ離れており、三つのことを行うのもなっていないことがわかっていましたが、一歩ずつ師父が私を前に引っ張って歩ませてくださったことを身にしみて感じ、師父の慈悲なる済度に感謝いたします。

 十数年間の修煉過程で体得したものはかなり奥深く、修煉の話もたくさんありますが、今日はこの少しばかりの認識を書き、師父にご報告いたします。自分でも書く価値はないと感じましたが、弟子はやはり師父にこの答案を提出しなければなりません。弟子と法の基準との差がどんなに遠くても、自分が存在している次元での体得があるはずで、その課題を師父に提出すべきだと思うので、今日は課題を提出しました!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「善を説く」
 [2] 李洪志師父の著作:『ヒューストン法会での説法』
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「法正乾坤」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟四』「感慨」

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/4/337144.html )
 
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