【明慧日本2017年6月9日】医者の徐発領さんと教師の葉会明さんは夫婦で、河南省新郷市の法輪功学習者である。中国共産党が法輪功を迫害した後、夫婦2人は不当に連行され、長期にわたり監視され、かつて労働教養を強いられたこともある。現在、徐さんは十数歳の娘と一緒に苦難に満ちた生活を送っており、妻の葉さんは精神障害者の妹さんを連れて放浪生活を送っている。
徐さんと前妻との感動的なエピソード
徐さん(40代)は河南省医学院第二附属病院(河南省精神病院)の医者で、真面目に勤務し患者に対して責任感があり、一視同仁(いっしどうじん・だれをも差別せず、すべての人を平等に見て一様に仁愛をほどこす)し、患者からの謝礼や贈り物を一切受け取らず、皆が認める良い医者であった。
徐さんは1996年に法輪功を学び始め、至る所で真・善・忍の基準に従って自分を律し、他人のために考えるようになった。そして、前妻との間に感動させるエピソードがあった。
1997年、徐さんは両眼とも失明し車椅子に乗った、自力では生活できない女の子に出会った。その女の子は神経脊髄炎を患って、全国を走り回って診てもらっても何の効果もなく、とうとう両眼とも失明し全身不随になり、自殺することさえ考えていた。知人から法輪功を紹介され、家族は運試しのつもりで、車椅子を押して煉功場へ法輪功を学びに来た。徐さんは真に法輪功を学ぶようにと女の子を励まし、一緒に学法したり交流したりして、女の子は奇跡的に立てるようになり、人に支えられながら歩けるようになった。その後、徐さんはその女の子と結婚し、1年半後に、健康な娘が生まれた。この娘の母親は、全国を走り回って診察してもらった病院で「死刑を下された」状態にあったが、法輪功を学び、不思議にも奇跡を起こした。
当時、この事は全国の多くのメディアでセンセーション(大評判)を巻き起こした。『新郷日報』や『女友』などの刊行物でもこの件の掲載があり、新郷テレビ局は生放送を流し、記者達も相次いで取材しにやって来た。
しかし、1999年7.20から中国共産党が法輪功を迫害した後、徐さんは頻繁に迫害を受けた。徐さんの前妻は正常に学べる環境を失ったため、恐怖と高圧の下で法輪功を堅持する勇気がなくなり、持病が再発し、2001年3月21日に、2歳の娘を残して亡くなった。
徐さんは頻繁に迫害を受ける
1999年7.20後、新郷医学院と第二附属病院は、徐さんを停職させて、洗濯室での労働を命じ、監視役を付けた。
2000年末、徐さんは北京の天安門に真相を伝えた際に、北京に駐在する新郷事務所で4日間拘束され、閉じ込められた。
2001年1月2日、徐さんは勤務先の人に連れ戻され、精神病棟室に9月6日まで閉じ込められ、薬物を飲まされ、その上、3万5千700元の罰金を科され、給料から差し引かれた。
2002年10月30日、徐さんは新郷市留置所に拘禁された。そして、2003年1月16日からは労働教養を強いられ、2004年5月15日にやっと帰宅した。
2005年5月末、徐さんは思想改造施設に連行され、そこで、1カ月近く強制的に自分の思想を改造させられる迫害を受けた。
2006年6月30日、徐さんは再度不当に連行され、自宅を家宅捜索された。家の中にあったコンピューター、プリンター、テレビ、VCD器材、DVD器材、法輪功の書籍、MP3などの1万元に相当する家財が押収された。7月14日、徐さんは1年6カ月の労働教養を強いられ、2007年11月2日に帰宅した。
二度の労働教養を受けた場所はすべて河南省第3労働教養所で、徐さんが言うことを聞かないと、スタンガンによる電気ショックを与えられ、縄で吊し上げられた。そこでは、カツラを製造する作業を強制された。
2010年8月24日、徐さんは13歳の娘を連れて故郷の原陽へ向う途中、バスの中で法輪功の迫害の真相を人に伝えたため、人に通報され、原陽県の警官に原陽留置場へ連行された。8月25日、市公安局の樊建峰と牧野派出所の銭霖の指示の下で、徐さんの家財は押収された。
2011年2月の旧正月の前に、5カ月拘禁された後、徐さんは新郷市紅旗区の裁判所に秘密裏に懲役6年6カ月の不当な判決を下され、河南新密市の男子刑務所に拘禁された。その期間中、家族には一切知らされず、通知を受け取っていなかった。
昨年9月23日の午前7時頃、徐さんは出勤の途中で同市の5人の警官らに強制連行された。さらに、警官はノートパソコン、DVD、USBメモリカード3個、携帯電話4台、法輪功書籍と法輪功迫害の真相資料などの家財を押収した。この時、徐さんの銀行カードや現金までも警官らに押収され持ち去られた。
徐さんは新郷市留置所で11日間拘禁された後、解放された。徐さんは何度も派出所に家財の返還を求めたが、コンピューター、DVD、携帯電話2台、カード読み取り機、プレーヤーだけ返してくれた。
葉さんは何度も迫害された
妻の葉さん(40代)は、河南司法幹部学校の教師で、リューマチで関節炎を患ったきっかけで、1997年に法輪功を学び始め、間もなく健康を得た。
2000年4月25日、葉さんは北京へ陳情に行ったが、勤務先に連れ戻され、県留置場に1カ月間拘禁された。期間中、葉さんは十分な食事を与えられずお腹をすかし、休むこともできなかった。うどんスープを入れてあるバケツの中には、ほんの僅かな野菜しか見えず、そのうえ野菜についた虫がいっぱい浮いていた。一つの簡易ベッドを十数人が共同で使った。毎日段ボールを作る作業で手がカサカサになった。使用する水道水は制限され、飲み水はなおさら制限されていた。出所の際にはこれまでの生活費と撮影費として300元以上ゆすり取られた。出所しても、それ以来、勤務先は葉さんに授業をさせず、ずっと掃除などの雑務をさせた。
2001年、偽りの天安門焼身自殺事件の後、葉さんは司法庁長官宛に手紙を書き、事件の真相を暴き出したため、3回も鄭州十八里河女子労働教養所に送られ「転向」を強要された。そこで一度、辛さのあまり法輪功を放棄したために持病が再発した。
2004年から、葉さんは続けて法輪功を学んでいるとの理由で、長期にわたり給料とボーナスをストップされた。そして、年末の審査の結果はいつも不合格で、あるいはやや合格と決め付けられ、賃上げの時は外されていた。
2006年6月30日、家の中の1万元に相当する家財が押収され、夫の徐さんは1年6カ月の労働教養を強いられ、葉さんは留置所まで連行されて15日間拘禁された。
2008年4月から、司法幹部学校の責任者は職員達に支給すべき福利費を迫害費として使い、これで1人の監視役には年間1万数千元の奨励金がもらえた。利益の前で、一部の職員は葉さんに対して積極的に尾行したり、電話をかけたり、家まで押しかけて嫌がらせをしたため、葉さんの心身に大きなダメージを与えた。このような形の迫害は2013年まで続いた。
2008年9月17日と2009年5月27日、丹陽派出所の警官らは葉さんの家に押し入り、家財や現金を押収した後、2回とも葉さんを留置所まで連行し、計15日間拘禁した。
徐さんは原陽県の警官に連行された翌日の2010年8月25日、市公安局の樊建峰と牧野派出所の銭霖らは、夜11時過ぎに葉さんの家に侵入し、3百数元の現金、銀行カード3枚、USBメモリカード五つ、携帯電話2台、衛星受信機、コンピューター、キーボード、DVD、預金通帳、法輪功の資料などの家財を押収し、葉さんを新郷市留置所に連行して11日間拘禁し、さらに500元の支払いを命じ、身体検査料という名目で200元をゆすり取った。
その後、葉さんは2年の労働教養を強いられ、十八里河労働教養所に送られた後、健康診断に協力せず迫害に抗議したため、9月6日に解放された。警官は葉さんの勤務先に圧力をかけて、葉さんの2年間にわたる給料をストップさせた。
2014年7月15日の朝7時40分、葉さんは朝市に買い物に出かけた時、家の中のノートパソコン、DVD、携帯電話、プレーヤー、USBメモリカード、すべての法輪功書籍、法輪功創始者の写真と法輪功迫害の真相資料などを警官に押収された。
8時30分頃、葉さんは勤務先の入り口に入った途端に、3人の私服警官らに遮られ、手提げかばんを奪われ、両手を上着で縛り付けられ、身体を持ち上げられて無理やりに車に押し込まれた。留置所に連行された葉さんは、4日間一切の飲食を与えられず、7月18日の夜8時過ぎ、3千元をゆすり取られた後、解放された。
2015年1月、王翔と于慶軍ら警官は葉さんを罪に陥れようとして、作成した公文書を衛濱区検察院に手渡したことを知り、やむを得ず葉さんは妹を連れて家を離れ、放浪生活を送っている。
迫害した者は 悪の報いを受ける
ずっと積極的に法輪功の迫害に加担した河南省新郷市政法委書記、市公安局の局長・孟鋼は、2014年8月17日、汚職の疑いで停職処分され調査を受けた。これらは偶然に見えるが、実は法輪功を迫害した必然的な悪の報いを受けた結果である。