文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年11月6日】今年6月11日の午後、84歳の父は突然立てなくなりました。新しく開業した大きな病院に救急搬送され、脳血栓だと診断されました。父は今回で4回目の再発で半身麻痺となり、特に足の状態がひどく、入院して1週間経っても全く好転せず、父親としてももうだめなような気がしました。結局、2万元を払って、父を我が家に運び向かい入れました。
私には5人の兄がいます。わが家は比較的に裕福で家も大きく、そこで、父を家に向かい入れることにしました。以前、義理の母が病気になった時、私はとてもよく世話をしたので、今度のことでも夫は賛成してくれました。父はわが家に来てから、村の医者に1週間の間点滴を打ってもらい、病状は少し落ち着いて来ました。
実は、家に来て初日から、ずっと父は師父の説法を聞いていました。父はすでにもう何年も聞き続けていました。家族全員十数人が総動員して、ご飯を作る人、買い物をする人、交替で世話をする人、皆は忙しくてたまりませんでした。しかし、虫の息になった父は、帰って来たその日の午後から少し元気になり、そして、翌日の午前中には前日より良くなり、午後からは午前中よりもっとよくなり、少しずつ回復の兆しが見えてきました。
その後、車椅子に座っていた父は、車椅子を押して歩けるようになり、さらに、両杖から片杖で歩くようになりました。そのため、私達も世話人を数人から1人まで減らし、次第に、父は身の周りの事を自分で出来るようになり、最後に、三輪自転車にも乗れて、さらに床まで拭こうとしました。それはさすがにさせませんでしたが、しかし、この1ヵ月半で、父はすっかり回復しました。その間、父は毎日のように師父の説法された録音をずっと聞いていました。
普通の人がこのような病気になった場合、回復するまで数年かかりますが、84歳の父はこのように奇跡的に回復しました。今度のことで、兄達も義理の姉達も夫も皆大法を信服するようになりました。少し前に私は「もうちょっとしたら、お父さんは三輪自転車に乗れるまで回復するよ」と言った時、夫は「あり得ない」と言って、信じてくれませんでした。
親戚や友達は皆「お父さんの回復が速いですね」と言いました。大法の凄さに感心した一番上の義理の姉、二番目の姉、五番目の姉も相次いで大法修煉を始めました。三番目の姉は真相を知って福報を得られ、四番目の姉一家は全員修煉者で、夫は今回はもう何も言うことがなくなり、三退に賛成しました。そして、今まで大法と師父に対するすべての失礼な発言を撤回し、私の大法修煉とわが家の学法拠点を支持すると宣言しました。本当に「 佛光は普く照らし 礼儀は圓明となる」[1]、その通りになりました。
今年の8月15日の午前中、ある同修がわが家にやって来て、「午後、派出所の人が来るから、家を片づけてください」と知らせました。私はすぐに「衆生を救い大法を実証するもので、彼らとは、救済する側とされる側の関係だ」と一念を発しました。
午後、一番上の姉は法を習いに来て、私は「後で派出所の人が来るから」と言うと、姉は「じゃ、今日、学法をやめて、下で彼らを待とう」と言いました。私は父に「お父さん、怖いですか」と聞くと、父は「怖くないよ」と答えたので、「『法輪大法は素晴らしい』と言えますか」と聞くと、父は「言える。わしはこの年でもう何も怖くない。大法はわしの病気を治してくださり、師父はわしに命を下さったから」と言いました。
私達は一緒に師父の説法の録音を聞きました。しばらくしてから、窓から村の委員2人と巡査2人がやって来るのが見えました。その中に陳という警官がいました。彼は私を2回も迫害して、中国共産党が法輪功を迫害した当時、私は4年半の懲役刑を科せられ、刑務所に拘禁されました。
彼らが家に入った後、父は師父の説法の録音を止めました。父は師父の説法の録音を宝物のように扱っています。私は彼らを座らせてお茶を入れました。巡査の陳は私に「ちょっと聞きたいが、お前はまだ煉功しているのか」と聞きました。「煉功しています。真・善・忍に基づいて自らを律するのはいけませんか」と言うと、陳ともう1人の巡査はしきりに「良いことだ。良いことだ。善良は良いことだ」と言いました。「私は迫害されて、体に5センチのしこりが何個もできました。しかし、煉功して全部治りました。しかも一円も使っていません。父の脳血栓も1ヵ月半で良くなりました。あなた達も早く脱党してください」と伝えました。
陳警官は父に「体はどうだ? まだ俺のことを覚えているか」と聞きました。父は「覚えているとも。今、娘はわしを介護しているから、彼女に何かをしたらわしは許さない」と言うと、陳警官は「もうなにもしないよ。元気にしていれば結構なことだ」と言い、立ち上がって帰ろうとしました。私はすぐに「あなたも脱党してください」と言うと、彼は「そうする」と答えました。もう1人の巡査にも名前を聞きましたが、彼は黙ってわが家を出て行きました。合わせて3分もいませんでした。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『法輪功』「第一章 概 論」