明慧法会|自我を捨て旧勢力の迫害を打破する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年12月8日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1996年に修煉を始めた大法弟子で、修煉を始めて20年以上になり、悟りも多く、すべての大法弟子の修煉過程は大法を実証してきた輝く歴史であると思っています。以下では、真相を伝え衆生を救い済度する中での自分の修煉体験について交流したいと思います。

 一、大法弟子は人々が救われる唯一の希望

 師父は私たちに「大法弟子よ、皆さんは濁世に輝く金の光であり、世の人々の希望であり、師に手伝う大法徒であり、未来の法王なのです」[1]、「大法弟子よ、皆さんは濁世に輝く金の光であり、世の人々の希望であり、師に手伝う大法徒であり、未来の法王なのです」[2]と説かれました。

 1999年「7.20」江沢民が大法と大法弟子への迫害を発動した後、大法弟子も個人修煉から師父が法を正すことを手伝い、衆生を済度するという法を正す修煉へと全面的に転向しました。私も1人の大法弟子として自分の役割を果たしました。資料を作ったり資料を配ったりすることはもちろんのこと、DVDやネット封鎖突破のソフトを配ったり、横断幕をかけたり、真相シールを貼ったり、真相電話を掛けたり、面と向かって真相を伝えたり、人を救うために必要であればなんでも行い、選んだりしませんでした。迫害の初期、家の電話は盗聴され、だれかに監視され、出かけると後ろから車がついて来たので、あの頃は恐れる心が重かったのですが、多くの人が嘘にだまされ、法輪功を憎んでいるの見て焦りました。それで、通勤途中の路上を利用して自転車で路地に入ったり、路地裏(車は入れない)を走ったりして資料を配りました。資料を多く配って人を救うために、正午の昼食の時間を利用して休まず、十数キロを自転車で家まで往復して資料を取ってきて配り、監視員のそばで数年配っている内に監視員たちは現れなくなりました。

 師父は私たちに「理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広めて世人を救い済度する」[3]と説かれました。知恵はどこから来るのでしょうか? 慈悲心はどこから生まれてくるのでしょうか? 知恵は法の中におのずとあり、学法と修煉をしてはじめて慈悲心を生み出すことができるのです。学法の状態がよい時は街にあふれている人々が皆、救われたがっているように見え、自分の意気地がない時は口を動かしているだけで、救った人は少なかったのです。すべての人が親しい人であると見れば、どうして心の中で人々を救いたいと思わないでしょうか。私が真相を伝える時はいつも、相手が私の話を聞いて信じ、何の質問もせず、真相がわかった後、私の手をにぎって何度も感謝を述べ、本当に心から大法弟子に感謝していました。私はいつも真相を伝えに行く時は1日中伝えますが、水や食べ物は持って行きませんが、のどが渇いたりお腹おなかがすいたりはしませんでした。本当に師父が説かれた「修は己にありて、功は師にあり」[4]のようで、感謝する人々に向かっていつも「師父があなたを救ったのですから、師父に感謝してください」と言いました。真相を伝えることは難しいこととは感じず、重要なことは自我を放下できるかどうかにあり、自我を放下できれば、恐れる心と妨害はなくなります。完全に一筋に相手のことを思った時、人はそれを感じるので、どうして通報したり誹謗中傷したりすることがあり得るでしょうか?

 二、農村へ行って衆生を救い済度する

 2004年、私は迫害され地方で路頭に迷い、毎日学法と正念を発する以外に、自転車に乗って資料を配り、真相シールを貼り、横断幕を掛けました。その後、街には同修が多く、資料が重複して浪費されていることが多かったため、人里離れた農村へ行って資料を配ろうと思いました。

 師父は私の願望をご覧になり、すぐに按排してくださり、オートバイの男性同修と一緒に農村へ行くことになりました。表面的には、同修が「農村へ行って資料を配りませんか」と私に聞き「ある男性同修が農村へ行って資料を配るのを協力してくれる人を探しています」と言ったように見えますが、私の心の中の師父への感謝は言葉に表すことができませんでした。男性同修はアルバイトで生計をたたており、毎日遅くまで仕事をし、仕事も大変で、妻は修煉しておらず、暮らしに余裕がなかったので「オートバイのガソリン代を出します」と言いましたが、男性同修は断固として受け取ろうとしませんでした。

 仕事と家庭の制限を受けたために、毎週2回しか農村に行けず、仕事が終わった後に農村に行き、夜の10時前に帰ってきました。村をパトロールしている保安員に配った資料を持って行かれないように、ドアの下の隙間に資料を詰め込み、ドアの下に資料を入れられない時は門から東側に回って庭にはいりました(農村の庭の西側にはトイレと豚小屋があったため)。冬には冷たい風が吹き、風が強い時は何度も資料を投げ入れようとしても入らなかったので、同修がオートバイを降りて手伝ってくれました。同修のオートバイは200キロ以上あり、そのような重いオートバイを押して泥や水が溜まっている路地から路地へと回りましたが、つらいとは感じず、私の配り方が遅いと見ると配るのを手伝ってくれることもありました。その頃はまだ農村に監視カメラは設置されていませんでしたが、どの村も人を派遣してパトロールしていました。パトロール員たちは暗い角に車を止め、車の中に隠れて明かりをつけず、村のどこかで犬の鳴き声が聞こえると車を運転して突き進んできたので、何度ももう少しで捕まるところでしたが、危難の中で師父が私たちを救ってくださり、無事に危険を免れました。

 不思議なことは数多くありましたが、ここでは一例をあげます。ある晩、ある村で資料を配り終わって帰る時、資料を配るのが順調だったので警戒をゆるめ、正念を発しないで、2人で世間話をしながら街に戻りましたが、私の家の前で同修はオートバイを止めず、別の家の前でオートバイを止めました。私は「どうしてですか?」と尋ねました。すると、同修はすぐに答え、私たちが振り返ってみると、1台の黒い乗用車が後ろをつけて来ていて、突然止まりました。乗用車はすぐにはUターンできなかったので、なすすべもなく、私たちを見ながら離れていくしかありませんでした。そして、同修は私に「私の家のところまで来た時、突然頭の中に『ここでオートバイを止めてはいけない』という念が入ってきました」と伝えました。師父が再び私たちを守ってくださったことに、私と同修は両手で合掌して師父に感謝申し上げました。師父のご加護がなければ、修煉の道で私たちはまた何ができたでしょうか? 同時に師父はまた「人を救っている時に、世間話をしてはならず、心が純粋でなけらばならない」と私たちの目を覚まさせてくださいました。

 農村へ行って資料を配ることは苦しみが多く、夏は暑くて蚊や虫に刺され、冬は骨にしみる北風がダウンジャケットをも吹き抜けました。オートバイから降りると凍えて痙攣(けいれん)してしまって動けず、凍った手で資料を持つことができませんでした。同修は私よりもさらにつらく、両手が凍えてしまってハンドルが握れず、風に吹かれて涙が出てきて、黒革の手袋で涙をこすると、顔全体が黒くまだらになりました。それでも私たちはつらいとは感じず、住んでいる県の農村で資料を配っただけでなく、他県との境界にある地区の農村でも資料を配り、私たちは常に面と向かって資料を配り、面と向かって真相を伝えました。資料を配り終わった後の帰路ではいつも、体がリラックスして高揚し、心も温かくなり、なぜなら、私たちが大法弟子が行うべきことを行ったからでした。このように1年また1年と行い、他のプロジェクトで私が必要になって、はじめて農村へ行くことに終止符を打ちました。

 三、自我を放下し旧勢力の迫害を一掃する

 普段、私にはいろいろな人心があり、人心が多い時には、法に則って厳格に自分を律することができませんでしたが、危険に遭った時には、法を思い出すことができ、正念が生じ、自我を放下し、知らないうちに自分に対する旧勢力の迫害を打破することができました。

 2007年夏、私が所在する地区では、1カ月の間に連続して十数人の同修が不当に連行され、捕まったのは皆、地元の協調人と、資料拠点の同修と、資料を手渡す責任を担っていた同修でした。当時、雰囲気が非常に緊張し、息をするのでさえ抑圧を感じ、地区全体が赤い恐怖に覆われ、野菜を買いに行くのでさえ、出かけようとしない同修もいました。

 同修が捕まったという知らせが絶えず伝え出されていたので、顔を知っている同修の家に行って絶えず知らせ、不当に連行された同修のために正念を発するように伝えました。すると、ある同修が私に「あちこち出歩かないでください『610弁公室(法輪功迫害の実行機関)があちこちであなたを捕まえようとしており、名簿に載っている法輪功学習者はすべて捕まえた、と警察署の事務室で警官2人が話しているのを私の親せきが聞いています。まだ捕まっておらず残っているのはあなただけなのですから、出歩かないで、家で学法し、正念を発してください」と言いました。同修の好意は理解できましたが、協調をはかっている同修が1人また1人と捕まえられており、作り終わった20箱近い『共産党についての九つの論評』の本も避難させなければならないというのに、自分の安全のために、ただ家で学法し正念を発しろというのでしょうか、私は自分がやるべきことをやるだけでした。

 しかし、ほとんど毎日私と連絡を取っていた、とても関係の良かった同修も最後につかまってしまった後、人情がすべて出てきて、涙が出てきて泣き叫び続けました。知り合いの同修が1人また1人と不当に捕まって私から離れていき、今までになかったような孤独感に包まれ、同時に、四方八方から襲い掛かってくる危険を体が明らかに感じ取っていました。そして「次に捕まるのはお前だ」という念が頭の中に入ってきました。どうしようもなくただ捕まるのを待っている状態で、30分ほど泣いている内に「私はどうしてしまったのか? 私はまだ大法弟子ではないのか?!」と突然悟りました。師父は「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」と説かれました。同修たちが一時的に不在であれば、真相を伝え衆生を救い済度することは、私がやるべきではないでしょうか? 同修たちに代わって真相を伝え多くの人を救うべきことで、それが真に正しいことです。同修が捕まったことは、私たちが人を救うことを阻止するために、中国共産党が私たちを脅(おど)かしている、ということではないでしょうか? もう少しで旧勢力の罠にはまるところでした。そこで、正念を発すると恐れる心が消失し、邪悪は全滅しました。そして、顔を洗うと、私は家を出て、真相を伝えに行きました。

 その後、同修が1人解放され「610弁公室」はすでに電話を盗聴して1年間監視し、誰が何をしているのかをすべて探り出しており、14人のリストに名を連ねているものは捕まり、ただ私だけが捕まっていない、とその同修は言いました。その頃、私はとても精進しており、自我を放下し、生死を放下し、毎日街に出て、バスの中で面と向かって資料を配って真相を伝え、捕まった同修のために正念を発し、神の道を歩む1人の修煉者を師父が保護してくださったので、旧勢力と共産党は動くことが出来なかったのではないでしょうか?

 さらにまた、電動オート三輪に乗って同修と資料拠点を建てに行った時、荷台には木と門がいっぱいに積まれており、同修は後ろからオートバイでついて来ました。十字路に差し掛かった時、信号がないために交通渋滞が起きており、道は車と人でいっぱいで誰も動けず、交通整理していなかったために、いつ通行できるようになるのかもわかりませんでした。そこで、私は真相DVDをかばんから取り出して1人の通行人に手渡すと、DVDを受け取ろうかどうしようかと、通行人が迷っていたちょうどその時、後ろから同修が「安全に気をつけて」と言いました。私が振り返ってみると、わずか7、8歩離れたところに1台のマイクロバスが見え、車の中で警官が座っており、その中の1人がちょうど窓から首を出して、私がDVDを配るのを見ていました。そこで、頭の中ですぐに「同修が私から離れ、私たちが一緒にいることを誰にも見られないように」という一念を発しました。同時に、頭も動かさず姿勢を正し、座って車の中で正念を発していると、しばらくしてからやっと通行できるようになりました。車を運転しながら正念を発し、心の中で「ついて来てはいけない」と同修に求めながら、資料拠点まで後をつけられるわけにはいかない、と恐れました。辺鄙な場所まで運転してから車を止めて振り返ると車はなく、同修が後ろについていました。そこで、同修に「さっきの十字路でDVDを配っていた時、安全に注意するように教えてくれましたが、でなければ、後ろにパトカーと警官がいるのに気が付きませんでした」と言いました。すると、同修も後ろに警察がいることは気が付かなかった、と言い、ただ人が多かったので注意しただけだ、と言いました。そこで、師父が同修の口を借りて教えてくれたのだ、ということがやっとわかりました。警察を見た瞬間、まず先に考えたのは同修の安全で、自分のことは考慮しなかったので、師父が危険を溶かしてくださり、私を保護し、私への旧勢力の迫害を打破してくださったのです。

 十数年間の真相を伝え、衆生を救う過程は修煉の過程であり、さまざまな人やさまざまな出来事に出会いました。ののしったり通報したりする人もいましたが、さらに多くの人が感謝を述べ、衆生は各自で自分の位置を決めたのです。最初は私も罵られたりすると悲しくなりましたが、今は心が動かず、常人がどのように思いどのように見ようとも、師父は聞いておられるので、自分が行うべきことをしっかりと行うだけです。

 今年、中国共産党は大法弟子に対してさらに厳しい迫害を実行し、いわゆる「ノック行動」を押し進めました。現在、私たちの地区では修煉しているかいないかに関わらず、ドアの前で写真を撮られ、ビデオを撮られ、サインをさせられました。私が住んでいるところにも警察官がドアをノックしてきましたが、最初のノックは昼間だったのでドアを開けずにいると、1週間以上たった後の夜9時半過ぎにまた来たのですが、この時はノックせずに、直接マスターキーでドアを開け、部屋は外側から鍵をかけていたので、警官たちは開けれませんでした。その後、誰もいない時に来て盗聴器を仕掛けていったようで、私たちの自家用車でさえひっくり返されました。そのため、学法に来ようとしない同修がおり「家に本や資料を置いてはならず、資料も配ってはならない」と教えに来る同修もいました。私の生命は師父から与えられ、大法から与えられたもので、私は精進して修煉しておらず、三つの事もまだ足りていませんが、私にもやらなければならないことがありますので、旧勢力がどうであろうと、共産党がどうであろうと、私に何の関係があるでしょうか? 私は師父に見守られているので、やらなければならないことはやらり、人を救うことを止めることはできません。

 法を正すことはすでに最後になっているので、これ以上、時間を浪費したいとは思わず、師父の慈悲な済度を無にせず、合格した大法弟子にならなければならず、自分の史前大願を成し遂げなければならず -- 師父が法を正すことに従って、衆生を救い済度します。

 法に基づいていないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「祝辞」
 [2] 李洪志師父の経文:『正念』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「理 性」
 [4] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/20/356189.html)
 
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