道楽者が修煉して改心し 新しい大法弟子に     
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年10月25日】私は2012年に法輪功を学び始めた大法弟子です。修煉を始めたのは遅かったのですが、私にとって、その変化はとてつもなく大きなものでした。もともと私は家を顧みず、1日中外で友人と飲み食いし、賭博、ケンカで、いつも悶着を起こし、友人が困難な事に遭ったと聞けば、友人の味方をし、兄弟分としての任侠を大いに発揮していました。以前の私は気性が荒くて、家の中でもすぐに怒り出し、腹を立てていました。

 いつも「鼻高々」だった私は、不幸なことに遭い、2009年、賭博の手入れから逃れるために、必死に逃げている時、階上から落ちて足を骨折しました。病院で治療していた時、体に非常に大きな痛みを受け、今までこんなに気落ちしたことがなく、とても辛い気持ちになりました。2012年、体にある症状が起きました。ある日の夜、突然頭が不快に感じ、体も辛くなり、慌てて病院に駆け込み、市内のいくつかの大病院でCT、超音波、レントゲン、MRIなどいろいろな計器で何度も検査し、医者を探し、原因を探し、たくさんのお金を使い、薬もたくさん服用しましたが、病状は好転せず、辛いままでした。

 手の打ちようがなくなった時、法輪功を修煉していた2人の兄嫁が私に会いに来て、「法輪功を修煉すれば心と体に恩恵を受け、道徳が向上し、法輪功は真の佛法ですから『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と心から念じれば福報が得られます」と、大法の素晴らしさを私に伝えました。さらに姉は、因果応報の天理と「三退」すれば平安が保たれることを私に伝えました。姉の話を聞いて、私はまず「三退」し、それから学法煉功を始めました。このようにして、私は法輪大法の修煉に入り、法輪大法の不思議さを身をもって体験し、煉功してしばらくすると全身の病状が全てなくなりました。

 本当に大法の修煉に入ってはじめて、私は大法がどれだけ素晴らしいのかを知り、良い人になることが素晴らしいことであることを知りました。修煉を始めたその日から、身についた良くない習慣、たとえば、たばこ、酒、賭博、夜になっても家に帰らないなどを改め続けました。学法と煉功以外は、いつも妻の家事をできるだけ多く手助けし、まったくの別人になりました。

 しかし、あることが、本当に私をずいぶん辛くさせました。以前、私は高利貸しをしており、大法を修煉した後「これは間違っている」と認識し、貸付をやめました。しかし、すでに貸し付けたお金は回収しなければなりません。お金を借りた人たちは、私が法輪功を修煉し始めたと聞いてお金を返さなくなり、いろいろと言い訳をして引き伸ばし、なかなかお金を返そうとしませんでした。そのことで本当に頭にきましたが、罵ろうにも罵ることができず、殴ろうにも殴ることができず、日一日と理不尽さを感じ始めましたが、辛抱強くゆっくりと待つことしかできませんでした。心の中では焦りましたが耐えなければならず、私にとっては本当に大きな関でした!

 修煉前は、私が怒れば、だれも私に嫌とは言わず、電話を1本かければすぐにお金を返しに来て、返済を遅らせるなんてことは全くなかったのです! また、村が立ち退きのために土地の測量準備をした時、ある人たちが「あなたの家は大目に測りますから・・・」と言われました。小さな土地でも数万元の価値になり、小額ではありません。以前はこのようであり、もし現在のお金が返済されないという状況が以前であったなら、心が動ぜずにいられたでしょうか? 私は師父が説かれた、修煉者は人の利益を横取りしてはいけない、という大法の法理を忘れず「横取りしてはいけない、返済される分だけ受け取ればいい」と心の中で言いました。もともと失と得の法理を理解していなかったので、知らないうちに多くの業を作ってしまいましたが、今は法で物事を判断するようになったので素晴らしいと感じています。

 修煉後、大法弟子にとって真相を伝え、三退を勧めることが、人を救うことだということがわかったので、できる限り努力して人を救っています。外出して仕事をする時は、いつも法輪功の資料を携え、どこへ行っても資料を配り、身近にいる知り合いや友人にできる限り真相を伝え、大法の福音をもたらし、知り合いや友人たちを救っています。しかし、真相を伝えても三退してくれないこともあり、そういう時は同修に頼んで真相を伝えてもらい、相手が理解し相手を救えるまで真相を伝えて、はじめて安心できました。

 この2年間、遠くの農村へ行って人を救いたいと思っている同修のために車を運転し、どんなに遠くても、どんなに走りづらくても、道中がどんなに苦しくても、食事したり水を飲んだりするどころではなく、休んでいるどころでもなく、出会った人の態度がどうであろうと、心の中には「師父が私たちに人を多く救うよう要求されているので、私たちは必ず多くの人を救い、多くの人を救って、師父の願いをお手伝いすることをやり遂げる」という念しかありませんでした。

 私は修煉する前、いろいろな場所に行ったことがあるので、周辺地域、周囲の県や市の地形、道路を熟知しており、多く人を救うためにとても役に立ちました。

 同修たちは「あんなに遠い山村や小道など、自分たちでは絶対に見つけられない道を、運転手の同修は車を走らせ、どれだけ助かっていることか、遠回りをすることも少なく、どれだけ多くの人を救ったことか・・・」とあとで交流していました。

 私の修煉後の変化を見て、多くの人が大法の威力と素晴らしさをその身で感じ、妻と家族、友人も大法の修煉に入りました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/10/18/355619.html)
 
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