家族との関係を正しく保ち 修煉の道をより良く歩む
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2018年1月8日】皆さんと交流したいのは、修煉の過程で私がいかに家族との関係、特に妻(大法を修煉していない)との関係を正しく保ってきたかについての体験です。

 2006年に結婚したとき、私は30歳でした。中国にいる多くの青年同修は私と同じことを経験していたと思いますが、国内で中国共産党による法輪功への迫害が行われている環境の下で、結婚相手を探すのは困難なことでした。そのため、私のケースは晩婚と言えます。当時、妻が修煉しておらず、岳母(妻の母)は以前大法を修煉したことがあります。私は人の紹介を経て、妻と一緒になりました。

 結婚した後、問題が現れました。新婚の夫婦には磨り合わせの期間が必要だとよく言われています。普通の事なら、私は何でも包容し、彼女に譲りますが、グループ学法に参加することを妻から阻まれて、私は悩みました。もちろん、彼女は私が同修と頻繁に接すれば、迫害に遭ってしまうことを心配してくれています。私は人との交流が苦手なので、妻を説得させる方法が見つからない中で、嘘をつくという間違ったやり方を採りました。週に一度、私は残業があると嘘をついて、学法しに同修の家に行っていました。このような行動は真・善・忍の基準に符合しないと内心の葛藤を感じつつ、自分自身にあるそれらしい言い訳を言い聞かせていました。「グループ学法に参加するのはもっとも正しいことなので、少々の嘘は構わないだろう」と。

 ついにある日、夜の学法から帰宅した私に、妻は「今日は残業中に作業場に行ったの?」と聞きました。私は「いや、ずっとオフィスにいた」と答えました。妻は「あなたのオフィスに電話をかけたら、あなたの同僚はあなたが退社したと言ったよ。どういうことなのか説明してほしい」と言いました。私は唖然として、しばらく無言のまま突っ立った後、本当のことをありのまま話そうと決心しました。

 妻とソファーに座り、私はこう言いました。「実は、退社後、同修の家で学法していた。結婚してから毎週行っていた。嘘をつきたくなかったが、事実を言えば君に心配をかけてしまうと思った。それにどうしても同修と一緒に学法や交流をしたくて、ついこのような下手な言い訳をしてしまった。実際、結婚前から私たちはずっとグループで学法していた。何も問題は起きないので、どうか理解して行かせてほしい。そうすれば私はもう嘘をつく必要がない。私も嘘をつきたくないんだ!」

 すべてを平然と放下したとき、私は突然身体が瞬時に大きくなったと感じました。妻はそばで静かに聞いていました。最後に、妻は週1回のグループ学法への参加に同意しました。

 学法の関を乗り越えましたが、私が法輪功の資料を配っていることに関しては、妻に知らせる勇気がありませんでした。仕方なく、私は毎回同修から資料を受け取ってカバンに詰め込み、合間を縫って配ることにしました。結局、正々堂々としていないことはいずれはばれます。

 ある日、妻は「出張の帰りに、何か良い物を買って来てくれていない?」と聞きながら、いきなり私のカバンの中身を探り始め、当然、そこにある資料も見つけました。やむを得ず、私は素直に妻に言いました。「実は、私は以前からずっと資料を配っていた。何の問題もないから、心配しないで。資料を配るのは、中国人に迫害の事実を知らせて、嘘偽りに騙されて良い人を敵視しないようにしてほしいからだ。多くの人は真相を知ってから法輪功を正しく認識するようになった。この事はとても重要だ。君から理解を得たいし、資料も見てほしい」。妻は「くれぐれも安全面に注意してね。あなたはこの家の大黒柱だから」と言いました。私は妻を安心させながら、心から彼女に感謝しました。

 江沢民を告訴する活動が始まってから、私も最高裁判所宛てに訴状を出しました。最初は妻を心配させまいと思って、彼女に言いませんでした。その後、多くの訴状が各地方裁判所に戻されていると知った私は、先に妻にこのことを説明した方が良いと思いました。万が一、誰かが訴状のことで確認に来たら、彼女は何も知らないまま聞かされると、怒るかも知れません。妻に事情を説明し、訴状を見せると、彼女はまったく気に留めず、読もうともしませんでした。その後、このことを知った岳母は妻に「江沢民に対して告訴を起こすのはとても重大なことよ」と言いました。はっとなって恐れを感じた妻は帰宅後、私に文句を言いながら訴状の副本を岳母に持って行き、彼女に見せました。

 私の訴状の仕上げが良かったのかもしれませんが(インターネットから訴状の様式を調べ、心を込めて書き上げた後、身分証のコピーも添えた)、彼女たちはそれがなかなか良い文だと言いました。怖がっている妻は時々ブツブツ言いますが、この関は何とか乗り越えました。その後、岳母も別名で江沢民を通報しました。私の訴状が地元の派出所に戻された後、警官は私の住所を確かめにきて、すぐに帰って行きました。怖くて仕方がない妻は私が逮捕されることを心配しつつ、私に不満をぶつけました。彼女を慰めながら内心に少し不安を覚えた私は、どんなことが起きても思い切って直面しようと考えました。

 翌日、この辺りを管轄していると自称する警官から電話がありました。私は江沢民を告訴した事実を認め、彼女に簡単に真相を話しました。それから2年近くになりますが、彼らは再び私を訪ねて来ませんでした。

 私は随分昔から、自分の家で法輪功の資料を作って衆生を救いたいという願望を持っていました。しかし、妻はずっと賛成しませんでした。この間に、資料を作成する同修が病業の関に遭い、しばらくは資料を作ることができなくなりました。「私がこの責任を引き受けるべきだ。資料がなくなってはいけない」と私は思いました。法輪功の真相が分かった常人たちが私たちの定期刊行物を褒めるのを耳にする度に、私はこれらの資料が大変貴重だと感じていました!

 家に戻って、私は妻にこう言いました。「私に資料を渡してくれていたおばあさんは脳血栓のような症状が現われて、しばらく資料を作ることができなくなった。私は彼女のプリンターを持ってきてしばらく資料を作って、彼女が良くなったらまたプリンターを戻したい。いいかな?」。 妻は「彼女の体調が良くなったら、プリンターを戻すのよ」と言いました。こうして、私は資料を作り始めました。師父に感謝しています。

 しばらくしてから、同修は健康をほぼ取り戻し、妻も私の資料作りを阻止しなくなりました。私が消耗品の購入に自己資金を出しても妻は止めず、時に買い出しにも付き合ってくれました。その後、私は新しいプリンターを買いました。明慧ネットにある資料がとても良くできていて、私は手放したくないほど読んでいます。世人が読めばきっと救われるといつも思っています。今、自分も資料を作ることができるようになったので、とても嬉しいです!

 資料を作る過程も順風満帆ではなく、あれこれと問題がありましたが、今まで同修にお願いをせず、すべてを自分で解決しました。通常、インターネットで調べればすぐに解決方法が見つかりました。師父に感謝しています。

 昨年の端午の節句の期間中、共産党が行なった「ノック行動」も私に波及しました。警官が電話で写真撮りとビデオ撮影をしに来るというので、妻と岳母は心配していました。最初、私も少し不安になって、プリンターをしまってから自ら警官に電話をかけて、法輪功の真相を伝えようとしました。それでも、彼は撮影をしに来ると言いました。最後に、私は「来ないで下さい」と言い残して、電話を切りました。その後、岳母がプリンターを自分の家に持って来るように提案してきましたが、私は岳母を利用した邪悪の妨害を認めてはいけないと思って、答えを曖昧にしました。岳母もこのことを再び言及しませんでした。今、私は衆生を救う資料の作成を再開しました!

 風雨を通り抜けた今、私が言いたいのは、家族も確かに大変でしたが、私たちは正しく修煉の道を歩んではじめて家族や衆生に対して顔向けができると思います。もし、これらの偉大なことを正々堂々と行なわなければ、ある意味、私たちは家族を妨害や迫害を行なっている邪悪への加担という立場に置いてしまうのではないでしょうか? そうであれば、彼らを害してしまうことになるのではないでしょうか?

 最後に、再び師父に感謝の意を申し上げたいです。師父のご加護がなければ、私の今日もありえません。修煉を始める前の私は色欲の心がとても強い人間でした。今日、法理に導かれて自分を清め、法を正す師に手伝うことができて、この上なく光栄に思っています!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/6/356390.html)
 
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