私は大法弟子を支援することを堅持する
■ 印刷版
 

 文/中国の大法弟子の家族

 【明慧日本2016年12月13日】私は億万人の大法弟子の家族の中の1人です。1999年に法輪功が迫害されてから、今日に至るまで、私は大法弟子ではないものの、強制連行されたり、生活を乱されたり、強いられて路頭に迷ったりしました。生活の辛さ、苦しさをいろいろ耐えることにより、私はますます成熟しました。ここまで歩んで来ると、私は聡明になり、過ごした歳月は私を鍛え、沈着冷静にさせました。ここで皆さんに私のストリーを簡単に語ってみましょう。

 妻は法輪功を修煉したことを理由に拘禁され、労働教養処分を科され、呼び出されたことがあります。当時、私は毎日恐怖と闘いながら暮らしていました。妻に数回電話をかけて出てくれないと、私は恐れのあまり急いで帰宅して、大法の書籍をいつも隠していました。

 ある日、妻は法輪功の真相を伝えたため、不当に連行されました。当時、数百人の大法弟子が私に付き添って、公安局に行き、無条件で妻を解放することを要求しましたが、皆顔を知らない人ばかりでした。子供連の人や私の前に来て大指を立て「あなたは気骨のある人ですね」と言う人もいました。その時、私は心が暖かくなり、大法弟子は本当に偉大だ、我が家のために自分の安否を顧みず、私に付き添って公安局、検察庁、裁判所に一緒に訴えに来てくれるなんてと思いました。数人の大法弟子が私に「今は非常に苦難に満ちていますが、将来、あなたは必ず誉れに思う日が来ます」と言ってくれました。私は心の中で「やめてくれ、私を騙さないでくれ、今死ぬかもしれないのに」と思っていました。当時、家族の生活のこと、仕事、子供、親のことなど多くの圧力がのしかかり、たくさんのことに直面し一晩中眠れず、胸が痛み息苦しく、毎回警官に出会うと、私は緊張のあまりすぐにトレイに行きたくなり、その緊張と恐怖心は語り難いものでした。

 一度、私は師父の写真の前で、黙々と私は何も要りません。ただ妻が無事に帰ってきてほしいだけですと祈り続けました。しかし、やはり妻は帰って来ませんでした。

 この長い苦しみの中、私は強くなり、気持ちも落ち着くようになりました。1年後、妻が無事に帰って来た時、私は逆に大きな病に見舞われましたが、毎日の心配事がなくなり、やっと落ち着いて眠れるようになりました。

 数カ月の休養期間を経て、私を助けてくれた大法弟子に恩返ししようと決めました。一旦彼らが私を必要とすれば、たとえどんなに寒い日でも、暑い日でも、忙しい大晦日でも例外なく、私は必ずその仕事を受け入れました。一度、数人の弁護士と同行したことがあります。彼らは私が大法弟子でないことを知った時「あなたは何のためにここまでしてくれるのですか? 何を求めていますか? あなたは怖くないのですか?」と質問してきました。私は「何も求めていません。ただ私を助けてくれた人たちに恩返しをしたいだけです。また、あなた方弁護士も大法弟子のために、命の危険を冒して弁護し、彼らの自由を取り戻すために走り回っています。あなた方自身から希望をみました。あなた方さえ何も恐れないのに、私が何を恐れましょうか。あなた方のために役に立つことは光栄です」と答えると、それは彼らの心を打ちました。彼らは「もし中国全土のどの省にもあなたのような大法弟子の家族が1人でもいれば、そして、私たちに協力する人がいれば、それだけで嬉しくてたまりません」と言い、彼らは『全国の大法弟子の家族の第一人者』という名誉ある称号を与えてくれました。

 一度協力すると彼らはもう私の名前を呼ばなくなり、兄弟と呼びました。目的地に着くと、私を彼らの隣に座らせます。その時、私はとても光栄に感じました。また、非常に著名な弁護士が私のことを聞き、もし機会があれば会いたいと言いますので、私はごく普通の者で、これらのことは良知があれば出来ることですと答えました。

 私は車を運転し、数人の大法弟子と一緒に他所に行き、着いたら、安い旅館を探してひと眠りしようと思い、ひと回りして、最も安いところを見つけました。接待に出てきた50歳を過ぎた人は知力に少し問題があるらしく、言葉があまり流暢ではないのですが、私を見ると彼は笑顔でもし布団が薄ければ、厚いものを持ってくると言いました。またテレビのリモコンはベッドの隣の引き出しの上に置いてあると言いました。私は一睡するだけだと伝え、2時間あまりの睡眠を取ってから階段を降りると、彼は笑顔で「あなたの車は誰もさわっていません。私がずっと見ていました」と教えてくれました。その時、私は唖然とし、心の中で感じたその暖かさは言葉で表せませません。帰る途中、私は皆にこのことを伝えると「師父が、あなたが苦労して、朝早くから夜遅くまで我々の面倒をみてくれたから、あなたの面倒をみる人を按排してくださった」と言いました。

 私が住んでいる周辺に非常に偏僻な小さな村があり、その村には1人の大法弟子しかいません。毎回、彼に用事があると私は自ら手伝いに行きます。その村はあまりにも偏僻で、汽車で往復するのに1日かかります。彼の家は非常に貧困で、毎回私が行くと彼は交通費をくれようとしますが、毎回断りました。ある日、私は突然一つのメッセージを受け取りました。誰かが、私に50元の電話料金をプリペイドしてくれたというメッセージでした。ちょうどその時、彼から電話がかかってきて、買い物で今町に来ていると言ってきました。村では電話料金を払えないから、街にわざわざやって来て、電話料金をプリペイドしてくれました。電話を切った時、私は涙が出てきました。人それぞれ感動に対する感じ方が異なるでしょうが、私にとってこのプレゼントはあまりにも大きなものでした。

 ある日、観光地に行き写真を撮り、道を尋ねていた時、元気な80歳過ぎのお爺さんがやって来ました。彼と世間話をしていた時「私達のところである事が起きているが、聞いたことがありますか?」と聞かれました。私は好奇心を持って「それはなんですか」と聞いたところ、お爺さんは「みなが『共産党についての九つの論評』という本を読んでいる」と言うので「私も読んだことがあり、書かれていることは、皆正しいことばかりでした」と答えました。その時、何人かがやって来て、その中の1人が「それは法輪功の本だよ、信じてはいけないよ」と言いますので、私が「どうして信じてはいけないですか」と尋ねると「あなたは中国共産党から食べ物をもらって食べ、共産党から他にも物をもらっていながら、共産党の悪口を言っているが、これは正しいことか」と聞かれました。

 「お爺さん、あなたが仕事をしなければ、誰から食べ物をもらえますか。私達のお金は、すべてこの両手で労働して手に入れたものです。もし私が1日家で寝込んだら給料を減らされ、業績給もなくなります。私はただ良心だけ信じています」と答えました。その後、私はその80歳過ぎのお爺さんと2人で協力して真相を伝えました。周囲の人達は私達のいう言葉を聞いて質疑がなくなり、かえって私達の話に道理があると頷きました。私に共産党のものを食べていると言っていたお爺さんは、当初言葉を失いました。私はそこを離れる時、一緒に真相を伝えたお爺さんに渡たすものが何もなく、ただビンの水を1本渡し、笑顔でそこを立ち去りました。その時、お爺さんとの協力がごく自然で非常に心地よく感じ、その喜びは言葉で表せないものでした。

 ある日、数人の大法弟子と一緒に警官に不当に連行された大法弟子を救出しに行きました。出発する前に元気だった私ですが、途中で突然高い熱が出始め身体が震え出し、昏睡状態に陥りました。目的地に着いてから、少し良くなりましたが、なぜかその留置場の周囲は、すべてが警戒体制に入っていました。私達が下車する前に、すでに警官がやって来ました。私はすぐ車から降り他の同修に向けて目配せをし、先にここを離れるように言いました。大法弟子の中の1人が私と一緒に下車しようとしましたがそれを止めたので、車は皆を乗せたままそこを立ち去りました。

 数人の警官が私を取り囲み、質問し、私は来た意図を説明しました。幹部警官が私をパトカーに乗せるように命令し、そこで待つように言い、パトカーの中で警官らは尋問をはじめました。当時の雰囲気は非常に緊迫していて、まるで空気がピーンと張りつめているようでした。しばらくすると、その幹部警官が戻ってきて、私が探している人物はここにはいないと言いました。私は気を取り直し落ち着いたふりをして、警官らと言い争いましたが、断固とした態度で「あなたが探している人物はここにはいない、いないから早く帰れ」と言うので、仕方なくそこを去りました。

 そこは偏僻なところで車がまったく通らず、私は歩くしかなく、しばらく歩いていると後方の非常に遠くから、車が1台まわいを取って私をつけて来ていることに気づきました。私はすぐに他の大法弟子に電話し、早くそこを離れるように、何があってもすべて私1人が責任を取ると伝えました。

 30分以上歩くと、やっとバスターミナルが見えて来ました。私は大型店舗のスパーに入りあちこちを見て回り、トイレにしばらくいました。大丈夫だと感じた時、やっとそこを立ち去りました。あとで気づいたことですが、当時あまりにも緊張して着ていた服が汗でびっしょりと濡れ、身体中の筋肉のほうぼうが痛かったのです。

 帰宅後、妻にこの体験を話す時、将来圓満成就して自分の世界に戻った時、もしあなたの衆生が世間での体験を聞かれたら、あなたはあまり語れないかもしれないが、私は三日三晩内容が重なることなく語れると言いました。

 一度1人の大法弟子と一緒に出かけ、帰りの時間が非常に遅くなり、私に「ありがとうございます。お疲れ様でした」と言った時「私の一生の苦労をもって、心からあなた達の無事に換えたいだけです」とただ一言だけ言いました。

 これほどの長期間の中には、恐怖心もあり、悲しい出来事もありました。何回も危険なことに直面し、今回だけだ、次回からはもう彼らを助けないと何度も思ったことがありました。しかし、私が大法弟子から貰った感動は、もっとさらに多くありました!

 私のストリーを書き出したのは、さらに多くの大法弟子の家族が私と同じように立ち上がり、大法弟子に救援の手を差し伸べてほしい一心からです。彼らは私達の支援を大変必要としています。実際、私も自分が将来どこまでやっていけるか知りません。また、どれくらいの困難や障害に直面するか知りませんが、私はこれまでやって来たように、力の限り家族である大法弟子を支え、援助する道を歩んでまいります! 人の一生は長くありません。自分が何をすべきかをしっかりと把握し、家族である大法弟子を支え、周囲の大法弟子を支援し、共に明るい未来を信じて邁進しましょう!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/18/337801.html )
 
関連文章