明慧法会|刑務所の中で衆生を救い 法を実証する中で人心を取り除く
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年3月6日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1994年に法輪大法を修煉し始めました。2003年、中国共産党による法輪功への迫害の中で、私は共産党の警察、検察、裁判所により懲役7年の不当な実刑判決を宣告され、5年間刑務所に入所させられました。今回の法会の機縁を借りて、自分が拘禁されている中で自分を修め衆生を救った修煉体験を、慈悲で偉大なる師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一、雨に目覚め 仕事の強化チームで三退を勧める

 不当に連行されたばかりの頃、恐れる心が災いしたためにうまくできず、師父に合わせる顔がなく、正念も足りず、ずっときちんとできずにいました。しかし、慈悲深い師父は、ずっと私を呼び覚まそうとしてくださいました。ある時、仕事の強化チームで隊列を組んだ時、日が照っているのに突然雨が降りだし、みんな緊急措置を取って軒下で雨宿りしたのですが、同修のAさんがちょうど私の前に立っており、私に「師父の『洪吟二』が出版され、師父は『少なからずに休み自省して正念を添え 不足を明らかにして再び精進す』[1]と説かれました」と言いました。それを聞いて、私は心の中が突然明るくなり、師父が私を呼び覚まそうとなさっていることがわかりました。そしてある日、トイレに通じる廊下で、同修のBさんが「師父の経文『人心を放下し、世の人々を救い済度する』ことが来ました」と言いました。続いて、仕事場で仕事していた時、同修のCさんが『洪吟二』「梅」を暗唱しました。このようにして、師父は一歩一歩、私の正念を目覚めさせてくださいました。

 ある日、大隊長が家族に合わせに私を連れて行き、2階に上がると、大隊長が突然「もし『転向』しないなら家族に会わせない」と突然、言いました。それを聞いて、私はとっさに戻って行きました。そして、大隊長が1人で私の家族に会いに行き、家族が持って来たものと、妹の伝言のすべてを私のために持って来ました。そしてこの時『洪吟二』「劫」の全文が頭の中に勢いよく現れたので、大法の中に戻って修煉し始めた自分を知りました。大法弟子の修煉に対する態度を統計するため、私の名前が呼ばれた時、私は「確固として修煉します」と答えました。

 仕事の強化チームの中の受刑者・Aさんは、もともと湖北省大悟県で仕事をしていました。Aさんと話をした時に大法の真相を伝えると、Aさんは「あなた達が良い人たちであることは知っていますが、全国人民代表大会常務委員会の『決定』は国の決定ではないのですか?」と言われ、そこで私は「それはデマで、それではその『決定』の表題から内容に至るまで、法輪功については1文字も出てきませんが、では、誰のための決定ですか? きちんと思い出してみてください」と言いました。するとAさんは「アドバイスをいただいてわかりましたが、あなた達のことは確かに書いておらず、理由を述べていないということは、あなた達を迫害する根拠にはならない、ということですね」。そこで私は「心から『法輪大法は素晴らしい』ことを認め、覚えておけば、あなたに素晴らしい未来が訪れるでしょう」。するとAさんは「あなたは以前には理解できなかった出来事をわからせてくれました、ある年、大悟県で仕事をしていて、1万ボルトの高圧電流に打たれましたが、生命の危険に直面せず、みんなが不思議に思いました。なんと、私にもこの縁があったからではないでしょうか」。そこで私は「みんな、この大法のためにやって来たのです」

 受刑者のBさんの原籍地は長春市でした。そこで、私はBさんに「長春は大法の発祥地ですから、長春出身者と大法は縁が深く、歴史上、多くの人が、大法が長春で伝わり始めたことを知っているのです。18世紀ごろ、東北地区に下る人口の大移動があり、すぐに長春を中心に展開され、つまり、東北に来て『東北三宝』を探しました。朝鮮人参、テンの毛皮、鹿茸角(ろくじょうかく・ 雄鹿の袋角の幼角で、生薬名。強精強壮薬である)を求めながらも、実際には『真・善・忍』という3文字の真言の大法を待っていたのです」。するとBさんは「そうは言っても、1995年に入院した時、友人が『轉法輪』を送ってくれましたが、当時、私は学ばず、その後、スズメの涙ほどの利益を放下できなかったために、不法な仕事をした嫌疑がかかり、ここに至って災難に遭いました。そして今日、あなたが聞かせて下ったので、これが命を救う法の宝であることがわかりました」

 受刑者のCさんが真相を聞いた時、Cさんが裸足(はだし)であることに気づき、家から送ってきた綿のスリッパをあげると、Cさんは感激しました。真相がわかった後、私が真相を伝えるのを手伝うようになり、Cさんは自分が知っている大法の素晴らしさを人に伝えました。たとえば、私が受刑者のDさんに真相を伝えた時、Cさんは、ある年Cさんの村に4世帯が同居する9人家族がおり、90歳のおばあさんから3、4歳の小さな子供までが法輪功を修煉していました。ある年の干ばつで少しも雨が降らなかったのだが、村中でただその家の人のトウモロコシ畑だけに2回も雨が降った、という話をしました。立秋後、村中のほとんどの家々で産出量がなかったにもかかわらず、その人のトウモロコシ畑は収穫が多くて豊作で、このことは遠くまで知れ渡った、ということでした。自分が体験した大法の偉大さを証言し、その人の角度から、私が真相を伝え人を救うことを助けてくれました。

 2005年のある日、新来の同修Dさんが「外の同修は今ちょうど広範囲に真相を伝え、三退を勧めています」という知らせを伝えてくれました。そして、私はすぐにロビーで手に持っていたスコップをペン代わりにして、みんなの前で大理石の地面に自分の「脱党声明」を厳かに書き、さらに、年月日を明瞭に記しました。

 二、大法の縁はしっかりとしており、法を学び、煉功し、正念を発する

 仕事の強化チームから係が変わり(監区に入り)、同修間で互いに深く感動

 同修のEさんは私のために布団を持ってきて、同時に、ある地区での師父の説法を渡してくれました。それは巻きタバコの紙を使って書かれており、ブックカバーがつけられ、見返しは少し厚い白い紙で装丁されていました。それは3センチあまりの幅で、手で書き写した長方形で小型の大法書籍でした。これは私が不当に拘禁された1年余りの間で、初めて見た大法書籍だったので、いっそう感動しました。

 同修のGさんは私より年上で、関心をもって私の名前を呼び「学法時間が少ない!」と言いました。そして、そう言いながら手で書き写した師父の2冊の経文『警告の言葉』と『真修』を取り出しました。そして、私は師父の経文を受け取って、繰り返し読み、全部そらんじられるようになるまで読んで頭に入れ、常に自分を目覚めさせました。

 同修のHさんは年下で、修煉を始める前、Hさんの兄が大病院で手術を受けましたが、担当の医師はお金の入った封筒を受け取らず、Hさんと母親はたいへんすまなく思っていました。次に行った時に、何を言われようと医師にダイズ油を渡さなければならない、と思ったそうです。すると医師は「私は法輪功を習っているので受け取れません」。このことでHさんは深い印象を残しました。修煉を始めた後、Hさんは精進し着実に修煉し『7.20』の前に『轉法輪』が暗唱できるようになりました。昼休みに工場で休憩する短い時間に、私と同修のFさんとHさんは一緒に座り、Hさんが小声で『轉法輪』を暗唱するのを聞きました。

 その数年間、師父の経文は多かったのですが、ほとんどすべての経文が入ってきました。経文が1編入ってくる度に、手で書き写すことによって経文を暗記し、次に、書き写した経文を他の同修に渡し、毎日朝から晩まで、経文を1編暗記すれば次の経文を暗記し、暗記しながら学びました。そして同時に、小同修のHさんの助けを借りて、毎晩少しずつ『轉法輪』を暗記しました。

 手書きの『轉法輪』が入ってきた後、同修のFさんは毎晩2段式ベッドの上段で腹ばいになり、きちんとていねいに毎晩1講を写し取り、2万文字以上の字で、1ページが400字詰めで50枚以上書き写しました。これがなんとも驚きの速度で、デスクの上で平らな原稿用紙に書いたのではなく、小さくて薄い巻きタバコの紙の上に、一筆たりとも間違わず、真剣に書き上げたものだったのです。Fさんはもともと文章を書いた経験が全くなかったのですが、その忘れられない歳月の中で、同修との交流において原稿を書き上げることができるようになり、真相を伝え人を救った文章を書きました。このすべてで、大法の超常さと素晴らしさを目の当たりにしました。

 全体の心性が向上するにしたがって、八方手を尽くして学法することがやはり全く不足している、と皆が認識しました。そのためには正念で収容棟の制限を突破し、発正念と煉功の環境を切り開き、正念で悪の巣の背後にあるすべての邪悪を解体しなければなりませんでした。そして皆、自分の心性の次元で法を実証し始めました。ある日の晩の6時前、私は布団の上に座って座禅を組んでから、掌を立てて正念を発しました。するとその夜、宿直の人がこっそりと私に「あなた達が夜に煉功していることについて、私達は関わりませんが、他の人が警官に報告するかもしれません。だけどその場合、私に責任はありませんか?」。そこで私は「よく分かりました、安心してください」。そして、同修達と交流し、皆で正念を発して宿直の人員の背後および周囲の環境にいる邪悪要素を根絶しました。それによって宿直の人は煉功(宿直の人は発正念も煉功だと思っていた)を妨害しないと言ったものだと、皆思いました。しかし、宿直の人はこの面において心配していました。これは私たちが真相をまだはっきり話していないことによりもたらされたことであり、私たちの問題でした。

 私たちは同じ収容棟の人たちを友人として扱い、同じ収容棟の人たちと腹を割って話し合い、真相を深く伝えました。内容は深いが表現はやさしく大法の真相を伝え、因果応報について伝え、大法を認め大法弟子に優しく対処することによって得られる福報についても伝えました。さらに「警官はあなた達に虚勢を張っていますが、彼らが本当に関心を持っているのは、夜間に殺人事件や傷害事件を出さないことです。本当に何か問題があれば、彼らはすぐに直接私たちに会いに来ます」と伝えました。そしてさらに「このように大きな福を得る機会はどこに行ってもないことですから、急いでください。まさに大きな縁なのです」。すると、収容棟の人たちは話を理解し、皆が楽に感じました。師父のご加護の下、皆が法の中で向上し、衆生を救い済度する中で、修煉環境は少しずつ開かれていきました。

 三、一視同仁し、真相を伝え、衆生を救い済度する

 そこは大型の刑務所で、数十カ所の監区があり、拘禁されている者の多数が死刑執行の者で猶予1年か2年、あるいは無期懲役などの重い刑の受刑者でした。係が変わった(監区に戻った)後、受刑者たちといつも一緒だったので、多くの真相を伝えました。しかしある日、数人の受刑者が警官の教唆(きょうさ・おだててそそのかすこと)の下、同修のMさんを殴り、殴られたMさんは地面に倒れながらも「法輪大法は素晴らしい!」と叫び続け、その叫び声はすべての監区に聞こえました。そして、私たちは交流の中で「人を救うということは、私たちの周りにいる受刑者だけについて考えるのではなく、真相を知らない警官も多くおり、彼らは中国共産党(以下、共産党)の嘘にごまかされ、利益に誘導され、共産党に思想をコントロールされ、悪いことをしてしまったかわいそうな人達です。だがしかし、彼らも法の為に来た衆生であり、救わなければならない」と認識しました。そして「正念を発して警官たちをコントロールしている邪悪生命を直接解体することが警官たちを救い済度するカギであり、各人に適したやり方で真相を伝え共産党のデマと嘘を暴露しました。すると少しずつ心を開き、その警官らが私たちが出会うべき衆生であるならば、誰も落ちていくことはないはずだ」と認識しました。

 同修のGさんは警官のBさんに真相を伝えると、Bさんは最初、大法弟子が連行された時、警官が何の手続きも踏まなかったことを信じませんでした。そこでGさんはBさんに、手続きを踏まなかっただけでなく、Gさんを率先して連行した警官は、遠縁の親戚だったので、Gさんがよい人であることを知っていたはずです。だがこの親戚は個人的な利益のために、江沢民に命を売り、法輪功を迫害し、公然と法律を踏みにじり、法を曲げてGさんを捕まえて自分の功績としました。そして、上級機関に申請し賞を受けたので、全村民からひどく罵られた、と伝えました。そしてさらに「江沢民は法輪功を学ぶよい人を迫害したために、全国の法曹関係者に本当に損害を与えてしまいました。そして、法曹関係者の中にはすでに多くの人が因果応報に遭いましたが、この因果応報はさらに大きな因果応報が訪れる前の警告に過ぎません。真相があなたの生命の縁であると私が話すのを、あなたは聞き入れる事ができ、戒めがありありと目に浮かんでくると思いますが、自分と家族の未来のことを考えましょう」と言うと、Bさんは頷(うなず)きました。そして、Gさんと大法弟子に対して、Bさんの態度は明らかに変わり、温和になりました。

 同修のFさんと同じ収容棟にいた受刑者のEさん(かつて地方で大型の加工工場の社長をしていた)は私に関するFさんの話を聞いた後、私の所にやって来ました。私と握手をして、Eさんは「ありがとうございます」と言いました。お互いの各自の情況を紹介した後、2000年の中国中央テレビの「焦点訪談」報道のいわゆる法輪功「殺人事件」は法輪功を誹謗中傷した世人を欺くうそだ、ということを話しました。そして「私が知っている事実と真相は、その殺人事件の容疑者の上級部門(ある省庁級の部門の事務所)が、その容疑者は法輪功を学んでいない、と直接指摘しました。さらに、その容疑者の家庭背景と仕事、および、殺人の経過について話した、ということです」。すると、私の話を聞いてEさんが率直に「あなたが言っているのは本当のことで、その容疑者の父親は中国共産党の幹部で、共産党の610弁公室に利用され、彼を騙して『お子さんが法輪功を修煉していると認めれば、殺人罪の判決を数年短くする事ができる』と言い、こうして法輪功を罪に陥れる案件が作り出されたのです」。Eさんが法輪功殺人事件の内幕を知っていたのは、この幹部がEさんの岳父で、岳母はEさんの同僚であり、Eさんと幹部が個人的に話をした時に、この幹部が自分で話したからです。その後、私は大隊の指導員のAに、この全国を驚かせ、法輪功に泥を塗り罪に陥れた案件についての事実をはっきりと伝え、はっきりとわからせました。Aは私の話を聞いた後、最後に「これはあなたが直接聞いた話ですか?」と聞かれ、そこで私は「そうです、しかし、誰から聞いたかをあなたに話すわけにはいきませんが、もし興味があるなら立場を変えて、直接その場所に行き、周囲のお年寄りに聞いてみれば、彼らは皆、この真相を知っているはずです」。すると、Aは理解し、心を打たれたようでした。

 同修のFさんが私に知らせてくれたのですが、廊下の伝言板に、法律の条文を適用し審査するのは警官の職責である、と書かれているのを見つけた、ということでした。私はこの言葉を切り口として、警官のCに真相を伝え、直接「法輪功への迫害は法に基づいた行為ではなく、江沢民が嘘と罪のなすりつけ、暴力的鎮圧を手段として発動した信仰への迫害であり、よい人を迫害した政治運動であり、法律を踏みにじった共産党の暴政です」と伝えました。すると、Cはいったんは温和に事を処理し、人をあしらう態度を取りましたが、突然「あれは国家が決めたことだ」と大きな声で叫びました。そこで私は「あなたはペテンにかかっており、全人代の『邪教組織を取り締まり、邪教活動を処罰し防止することに関する決定』には法輪功とは一言も書かれていないのですが、それでは何のための決定ですか?」と言うと、Cはギョッとして「明日また話そう」と言って立ち去りました。この時、Cには見通しがつかず、かえって資料を探しに行ったのだ、とわかりました。翌日、再びCに会いましたが、Cは何も言ってきませんでした。その後、私が手で書き写した『轉法輪』を読んでいた時、Cが入って来て、パラパラとめくり「あなたが読んでいたのはこれですか、この本を渡してほしい」と言い、その後Cは真相を理解し、面倒を掛けなくなりました。

 同修のBさんは囚人服を着なかったために独房に拘禁されました。刑務所の各大隊に迫害された同修はみな声援に回りました。そして、私たちは真相を伝えることから取り掛からなければならないと思い、皆で相談しました。その結果、Fさんが執筆し、大隊あてに真相を伝え善を勧める手紙を書き、手紙の最後で、Bさんを独房に拘禁して迫害していることをすぐに解除するよう要求しました。同修たちは手紙の上に自分の名前を署名し、Gさんは「あなたが持って行ってください」。以前、私たちは大隊あてに真相を書いた手紙を一度書いた事がありました。私はすぐに指導員のAに会いました。Aは手紙を読んだ後「二つの意見がある、第一は、他の隊の事には関わらないこと。第二は、これはあなた達が連名で態度を表明したものなので、1人が1部ずつ書くべきだ」。そこで私は「他のことについては私たちは関わりませんが、Bさんが独房に拘禁されていることについては関わらないわけにはいかず、私たちは事実を伝え本当の話をしています。あなたに実情を伝えているのですから、私たちの心の声を直接刑務所に反映させてください。二つ目の意見については持ち帰らせてください」。そして戻ってから同修と交流しましたが、これは師父がAの口を借りて私たちを悟らせようとしたものだ、ということを誰も悟らず、連名で再度態度を表明し、大法を堅く修め、迫害に最後まで反対する態度を一人一人が自ら表明すべきでした。

 師父の新経文『世間に向かって輪を回す』と『政治に参与しているのではない』が刑務所内にも伝わって来たので「三退」の人の平安を保つ深い内涵をみんなが理解しました。それから、刑務所内の各所で、受刑者がいる場所では、どこでも同修たちが「三退」を勧めました。ある日の晩、収容棟の廊下で、2人の受刑者が話しており、1人が「『三退』した後、特に頭がはっきりとしてきた」と言うと、もう1人が続けて「私は別にそんなに敏感には感じなかったけど」。すると「その原因はあなた自らが知るべきであり、あなたの三退の仕方がまずかったんですよ! あなたにはまだ未練があり、少年先鋒隊は脱退したが共青団は脱退しておらず、はっきりと全て三退していません。これを『心の中に誠(まこと)がない』というのです!」。するともう1人は「あなたはすごい、私が共青団に入っていることをどうして知っているのですか?」。「以前、自分で話していましたよ、急いでもう一度、三退し直しなさい」

 手で書き写した『共産党についての九つの論評』が入って来てから、毎日、工場の昼休みに同修のFさんが小声で読み、それを私が注意深く聞き、毎日1評を読みました。9日間が経つと、受刑者が感慨深げに同修に「この数日、あなたは私たちが寝ていると思っていましたか? 偽りは申しませんが、私たちはずっと聞いていたのです」。確かに、この数日の昼休みは人が歩いたりせず、話し声も聞こえず、静かでした。その後、手で書き写した『共産党についての九つの論評』を回し読みしました。

 ある日、食事の前に雨が降りだしたので、もともとのスケジュールが乱れ、その時、私のそばに立っていた壮年の男性は他の大隊の人でしたが、私が真相を伝えると嬉しそうにして「私は真相がわかり『三退』しただけでなく、大法の修煉も始め、死刑執行猶予の受刑者が刑務所で、法輪大法を修煉することを公にした真の修煉者になりました。偉大なる師父が私に新しい生命を与えてくださった」と言いました。

 受刑者のGさんと私たち数人の大法弟子の関係が近くなり、Gさんは「三退」しただけでなく、大法を修煉したいという願望が心から芽生えました。その頃、警官がGさんに会いに来ました。その時、Gさんは大法弟子を疎遠にはせず、他に人に堂々と「私は彼らと近づき、大法弟子といつも一緒にいるうちに、彼らが人のために行うことをこの目で見ました。さらに、多くの知識を私に教えてくれただけでなく、今までわからなかった多くの道理と伝統文化の内涵を教えてくれました。彼らの品格ある行為から彼らが良い人であることがわかり、品格が高く高尚な修煉者であることがわかりました。彼らは生活においてここにいる迫害を受けた多くの仲間を無私に助け、これらのことは誰もが目にすることができます」と言いました。

 仕事の強化チームから新しく係が変わると、受刑者が監区を移動になったり、監区を出たり、作業場の職種や場所や任務が変更されたり調整されたりしました。当然私たち修煉者の隣に座れば、みんな機会を逃さず真相を伝えました。同修のLさんは係りが変わった後、仕事の採点板に名簿が書いてあることを発見し、いつもそれを見て、まだ三退していない人がどの職種にいるのかを覚えておき、黙々と多くの人を救いました。また、Lさんと同修のGさんは私が発正念で意識がぼんやりして掌が倒れてしまったのを見ると、夜に布団の上で私と一緒に正念を発し、時間を延長して、目を開けながら正念を発し掌が倒れなくなるまで続けました。

 引き続き「三退」によって人を救い続けましたが、衆生はさらに焦っていました。ある日、ある人が廊下で私を押しとどめ、私を通らせず「私を差別しないでください!」と言いました。そこで私は「差別はしていませんよ」と言うと、その人は「他の人には良いことをしているのに、どうして私にはしてくれないのですか?」。「あっ!」突然、私は理解しました。そこで私は「あなたは少年先鋒隊に入ったことがありますか?」。「あります」。「共青団は?」。「あります」。そして、その人は「しかし、共産党には入っていません」と言いました。そこで私は「あなたは心から少年先鋒隊を脱退し、共青団を脱退することに同意しますか?」。すると、その人は「同意します、そのためにあなたを探していたのです」。そこで私は「あなたに幼名はありますか?」。すると、その人は「幼名はありませんが、自分で『黒旋風』という名前を付けました」。そこで私が「わかりました、では、この名前で共青団と少年先鋒隊を脱退しましょう」と言うと、その人は喜んで歩いて行きました。

 四、人心を捨てれば すべては師父が決めてくださる

 2008年の秋が過ぎ去ったある日、私が作業場に座って静かに『轉法輪』第8講を暗唱していた時、それは私が初めて1講を通して暗唱した時であり、心臓が回転するのを感じ、紫色の血を吐き出しました。私は別の作業場にいた同修のFさんと交流し、これがよいことであると認識し、続いて数日内に胸と心臓に痛みを覚え、さらにその夜、浅紅色に近いピンクの液体を吐き出しました。そして、別の人が警官に報告し、私の体温を測ると39.7度だったので、警官は人を派遣して私を刑務所内の病院に運びました。

 この時、私の意識ははっきりしており、元気があり、恐れの念はなく、その夜のうちに熱は下がり、次の朝早く、退院の手続きを取りました。しかし、病院の門を出ようとすると病院に引き戻され、肺結核ということで伝染病科に送られました。病院では毎日強制的に7本の薬を点滴されましたが、何の薬なのかはわかりませんでした。医者が回診に来たので「病院は結核の治療を行っていますが、確かですか?」と医者に状況を説明しました。すると医者は「確かです」と言うので、「私は肺結核ではありません」。すると医者は「どうしてわかるのですか?」。私は「ここに来た時は高熱がありましたが、その日の夜のうちに熱は下がり、肺結核なら顔が赤くなり、寝汗をかき食欲不振になるはずですが、私にこのような症状はないからです」と言うと、医者は何も言わずに出て行きました。

 ある日、病院に専門家が来て私の体を検査し、主に腹と胸を検査し、忙しくしていて何も話しませんでした。そしてある日、刑務所の医者が「病院では今、あなたが危篤であるという報告書の準備をしています」。警官のDは私の身内に通知し「今すでに入院しているので会いに来て薬を飲むように勧めてください」。そして、同修である妻と弟とおばが病院に来て、伝染病科の病棟で私の両足がすでに腫れているのを見ると涙を流し、その場にいた教改科長と大隊長、そして刑務所の医者に私の解放を要求しました。すると、大隊長と教改科長は「保証人を立て一時出所し入院させるには、一定の手続きを踏まなければならないので、刑務所のリーダーに状況を報告します」。この時、刑務所の同修は皆、正念を発していました。

 指定病院に行って専門家の鑑定を受ける前に、刑務所の医者は私の尿を採取し、市内で検査を行った後「検査の結果が出ました」。肝臓と腎臓は正常でした。このような複雑な状況に直面しましたが、私は揺るぎなく師と法を信じました。

 同修のMさんは大隊で病人を介護する機会を得たので、病院で私と会い、同修のNさんと交流するように私に提案しました。Nさんは隣の病室におり、Nさんは学法と法を暗記することを重視しているので、法理がはっきりとわかっており、内に向けて探し自分を修めることを重視していました。交流の中でNさんは鍵となる二つの問題を見つけ出してくれました。一つ目は「現在の情況からすると、保証人を立て一時出所し、入院して刑務所を出て法を実証し、三つのことをしっかり行うことが最も望ましく、思想的に障害を背負わず、もしかしたら、これは師父がこのような形式であなたを外に出させようとなさっているのかもしれない」とNさんは思っていました。二つ目は「私たちは初めて交流したが、修煉体験とその過程を多く話すことよりも、旧勢力を全面的に否定し、内に向けて探して心性を向上させることを把握することがカギである」ということでした。このような特殊な環境下で、師父は私に内に向けて探し、向上する得難い機会を与えてくださり、そのことで、ある昔のことが頭に浮かんできました。

 それは職場の元社長が任期満了になる前にある公務を処理しており、新しい社長が就任した後にこのことを審査した結果、私のアイデアが採用され、なぜならこの公務文書は私が起草したものだったからです。しかしその時、私はすでに大法を修煉していたので、人情や道理にかなう思いもよらないような問題解決方式を採用し、関係する各方面が苦境から脱し、新しいリーダーは体面を保ち、各方面から出現しかねなかった不協和音を避けることができました。

 これは師父が難関を溶かし、私を救ってくださったのだということがわかり、新しい社長の仕事に対してもできる限り支持しました。しかし、心の奥底では潜在意識の中で新しいリーダーに対する恨みが存在し、きちんと問題を処理したのは自分であるという顕示心と名利心が存在し、内在には嫉妬心が存在し、その時はこれらの執着に気づいていませんでした。そして今回、Nさんと交流し、自分の心の中にはまだ恨みと名利心、顕示心が本当の意味で取り除かれずにいることに気づきました。師父は難関を溶かしてくださいましたが、この問題をきちんと処理したのは自分であると長期にわたって心の中で得意になっており、これは強烈な自我への執着であり、天の功を自分のものにするようなものであり、これは師を敬わず、法を敬わないことの表れでした。このことに気づくと、頭から足まである種の物質が「サーッ」と取り除かれたような感じでした。

 師父は「身は牢屋に臥すれども哀しまないで 正念正行して法在り 幾多の執着の事を静かに考え 人心を片付けば悪は自ら敗る」[2]と説かれました。数日後のある日の朝、私は「昨日、あなたの家族がすでに外套と着ていたものを送って来たので、本日午前8時半前に、あなたを家に帰すために迎えに来る」という通知を受け取りました。

 師父のご加護の下「保証人を立て一時出所し入院させる」という形式で、2年前倒しで正念で刑務所を出て、さらに大きな範囲で法を正し、人を救う潮流の中に溶け込んでいきました。

 慈悲で偉大なる師父、ありがとうございました!

 同修の皆さん、ありがとうございました!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「理智醒覚」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「哀しまないで」

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/16/356190.html)
 
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