九死に一生の黒龍江綏化市の劉忠傑さんが脳梗塞に
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 【明慧日本2018年3月22日】黒龍江省綏化市天成弁護士事務所の弁護士で法輪功学習者の劉忠傑さんは、何度も家財を押収され、不当に連行、拘禁され、労働教養を強いられたため、やむを得ず10年もの間放浪生活をした。2012年9月10日、劉さんは再度、不当に連行され、迫害により脳梗塞になり、意識不明になった。それにもかかわらず、2013年3月5日、綏化市北林裁判所は、劉さんに対して懲役1年6カ月の実刑判決を宣告した。その後、家族の強い要求の下で、裁判所は執行猶予2年を宣告した。

  法輪功への迫害の中で、劉さんは子供が中学の時、しかたなく夫と離婚し帰る家を失った。数年来、劉さんは姉の家に身を寄せており、1人で食事ができないため、姉に一口一口食べさせてもらい、毎日何度も昏睡状態に陥り、記憶力も喪失してしまい、以前より数十キロも瘦せ細った状態にある。

  劉さんの両親は以前の健康だった娘の様子を思い出しては、現在の娘の様子と見比べては悲しみ、憤る気持ちや辛さの中で耐え続けていたが、2018年1月、劉さんの母親は無念の中でこの世を去った。

 法輪功を学ぶ前に、弁護士としての劉さんは現実社会の影響を受けて、依頼者から代行費以外の世話料を受け取ったことがある。法輪功を学んだ後、劉さんは「真・善・忍」に基づいて自分を律し、依頼者の苦しみを最優先に考えて、自分もできる限り努力し、案件の代行費用を最も低い基準に抑え、かつて受け取った世話料を依頼者に返した。

  上京して陳情したため迫害され、危篤状態に陥る

  1999年10月29日、劉さんは北京に行って法輪功の無実を訴えたため、地元に戻され2カ月半、不当に拘禁された。劉さんを再度上京させないように、劉さんの上司・朱千春は積極的に迫害機関に協力したため、2000年4月19日、劉さんは留置所に拘禁されて8カ月間迫害された。

  劉さんは断食、断水で理不尽な迫害に抗議した。留置所の所長らは縄で劉さんを縛り上げ、野蛮な灌食を行い、不明な薬物入りの液体を注射した。それによって、劉さんの月経が緑色に変色し、激しい痙攣(けいれん)を引き起こすなどの症状が現れ、危篤状態に陥ったため、やむおえず留置所側は家族を迎えに来させた。

酷刑演示:打毒针(绘画)

拷問のイメージ図:不明薬物を注射する

 労働教養所で苦しめられる

 劉さんは留置所から帰宅した後、勤務先は劉さんを出勤させず、交替で監視役を配置し、甚だしいときには劉さんの家に泊まり込んでまで監視した。

 2001年1月17日、劉さんは迫害の真相資料を配布していた時、発展郷派出所の警官に不当に連行され、1月22日、他の2人の女性法輪功学習者と一緒にチチハル双合労働教養所に移送され、1年間迫害を受けた。

酷刑演示:铁椅子

拷問の実演:鉄の椅子

 労働教養所の警官は、テープで劉さんの口を封じて、劉さんを鉄の椅子に押さえ付け、両足を鉄の穴に固定し、歯が付いている手錠で両手を後ろに反らしてはめ込んだ。5、6日間連続して苦しめられた劉さんは、全身の感覚を失い、両手と両足が蒸しパンのように腫れあがり、何回も人事不省(昏睡状態に陥ること)になった。

  2002年1月、警官らは無理やりゴムの管を劉さんの鼻に挿し込んで、灌食を行った。鼻から出血し、胸が張り裂けるような痛みで、劉さんは気絶した。その際に、劉さんの手を押さえていた大隊長の王岩は、苦しみもがく劉さんを見ながら、鼻歌を歌って得意満面の様子だったという。

酷刑演示:野蛮灌食

拷問の実演:野蛮に灌食される

 警官は2、3日置きに嫌がらせをし、「絶対に死なせてやる」と公言

  2002年1月17日、劉さんは労働教養所から家に帰された。翌日、勤務先の責任者は数人を連れて劉さんの家に来て、劉さんを弁護士業界から除名したと話した。一緒に随行してきた警官は「早くこの女と離婚しなさい! このようになったら、もう一緒に生活する意味がないだろう、この女はあなたの出世に影響し、さらに全身に疥癬ができ、自分の身に移るのを恐れないのか」と劉さんの夫に言った。

  現地の警官は2、3日置きに劉さんの家に嫌がらせに来た。ある警官は「もしも、今度再び俺のところに来たら、絶対に殺してやる」と公言した。

  再度連行され、迫害により脳梗塞になる

  10年の間、放浪生活をした劉さんは2012年9月10日、法輪功学習者・趙敏さんと一緒に不当に連行された。迫害によって脳梗塞になり、意識不明になった。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/3/2/362392.html)
 
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