刑務所で法を得 正念をもって法を暗唱する
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文/中国の大法弟子 静詳

 【明慧日本2018年6月7日】誰にも法を得る機縁がありますが、本当の機縁が熟してこそ、やっと法を得られます。私の機縁が熟したのは2008年の春でした。当時、私は経済的な紛争に巻き込まれ、ありもせぬ事実により訴えられ、留置場に拘束されていました。つまり、私はあのような極めて悪い環境の下で、大法の修煉を始めました。

 当時私は刑務所ですでに1年以上拘禁されていて、監房の管理者でした。

 ある日、法輪功修煉者が入って来ました。私は刑務所の警官の友人に彼女の面倒をみるよう依頼されました。私はその修煉者と話し合い、彼女に尋ねました。「私は佛教を信仰して、20年近くになります。あなたはどうして佛教を信仰せず、よりによって法輪功なんか修煉しているのですか?」。彼女は「法輪大法はとても素晴らしいです。あなたも是非学んでください」と言いました。私は「あなたは法輪功を学んだ結果、ここ(刑務所)に入って来たのに、放棄しないばかりか、まだ私にも学ぶように勧めるのですか? 法輪功は政治に関与しています。どういうことか分かりませんが、私は学びません」と言いました。彼女は「それはあなたが分かっていないからです。私からみるとあなたは非常に素晴らしいです。私は不当に何回もここに拘禁され、毎回殴られましたが、あなたのような管理者に会ったことがありません。ですから、必ず法輪功の素晴らしさをあなたに伝えたいのです」と言いました。

 私は笑いながら「それでは、聞かせてください」と言いました。彼女は「私はうまく話せないから、書いてあげます」と言いました。彼女にペンと紙を用意しました。その時、彼女は詩を書いてくれました。「圓満となって佛果を得る 苦を嘗めるをもって楽とす」[1]

 その時、これが師父の書かれた『洪吟』の中の詩であることを知りませんでした。ただこの詩はあまりにも素晴らしいと思い、「本当に素晴らしいです、ほかにもまだありますか?」と聞きました。彼女はまたすぐに師父の文章『最後になればなるほど、精進すべき』と書いてくれました。実を言うと、当時内容的にはあまり大した感覚はありませんでした。しかし、とても不思議なことが起こりました。私がその詩を読むと、男性のとてもきれいなバリトンの声で一緒に読んでいるのが聞こえてくるのです。その声は耳元にあり、私はとても好奇心があり、また喜んで、続けて2回目、3回目、一体何回読んだか覚えていません。それは内容を読むのではなく、その声を聞くためでした。

 彼女は私がそれほど真剣に、また非常に喜んでいる様子を見て、私に「どうですか? とても素晴らしいでしょう」と聞きました。私は自分が体験した現象を彼女に告げました。彼女はとても喜んで「師父があなたを悟らせています、みたところ、あなたに機縁が訪れましたね」と言いました。

 その後、彼女は私に十数種の詩(李洪志師父の書かれた詩)と数編の文章(同様に李洪志師父の書かれた文章)を書いてくれました。それからは再びあのきれいな声を聞くことはありませんでした。しかし私は毎回真剣に読んでいました。崇拝の念がゆっくりと生じてきました。内心でこの「法輪大法は素晴らしい」は真実だと認めました。

 間もなく彼女は出所しました。しかし私は2009年11月、腐敗した司法当局に陥れられ、懲役12年の判決を言い渡され、女子刑務所に拘禁されました。国家の法律は幹部の手の中ではお金を稼ぐ道具に違いないとしみじみと感じました。どうして私はここに来ているのかと何回も自分に問いかけました。時が経つにつれ、私は心の底からずっと一つのことを待ち望んでいました。それは法輪大法を修煉する人を探すことでした。

 3カ月後、やっと1人の大法修煉者が同じ中隊に配属されてきました。私は機会を見つけて彼女に近づきました。しかし、彼女は非常に深刻な迫害を受けていたため、終始、私と話しをしませんでした。ある時トイレに行く途中で、彼女に会いました。私は我慢できず心の底から一言言いました。「法輪大法だけが中国を救うことができます!」

 それを聞いた彼女は私に向かって「中国だけでなく、人類を救うことができます」と言いました。この言葉はまた私に多くのことを分からせてくれました。私ははるかな思いをかき立てられました。その後、彼女から何も聞くことができませんでした。彼女は強制的に何かの書類を書かされ、ここから出て行ったそうです。同時に私はまた、次の大法修煉者がいつ現れるか、ひたすら待ち望んでいました。

 2011年末、やっと次の法輪功修煉者が現れました。彼女は密かに法を書いて私に渡してくれました。そして私は法を学び、法を暗記する、こうして4年近く続けました。私からみて彼女はとても素晴らしい人でした。私は一生忘れられません。彼女に対する感謝の心は言葉では言い表せません。彼女と一緒にいた歳月を思い出す度に、私の顔にはいつも涙が流れた跡が残ります。そして私の耳元に彼女の声が度々聞こえてきます。「私に感謝しないでください。このすべては師父があなたに与えられたのです」

 法を暗唱する重要性

 あのような現世の地獄の中、4年近い間、私が学んだ大法の中の一文字、一文字は全て、これまで述べてきたあの同修が自分の記憶に基づき、他の人に気づかれないように私に書いてくれたものです。私達は出所した日が2カ月違いでした。彼女は私より2カ月前に出所しました。すなわち、私が彼女と知り合ってから、新しい経文を学ぶことができなかった期間は2カ月だけでした。

 4年近い間、私は彼女の記憶の中にある全ての経文を聞き出しました。その中には『轉法輪』の四分の三、『精進要旨』、『精進要旨二』、『精進要旨三』の一部、『洪吟』の150首以上の詩が含まれています。後になって、彼女が最もよく口にした一言は「申し訳ありません。私は記憶力がそんなに良くないので、これくらいしか覚えていません」でした。私はすでに感激して涙にむせんでいましたが、彼女は自分を責めていました。なぜなら、彼女が知っている内容を書いてくれると、私はその全てをしっかり覚えていたからです。もし彼女が少しでも多く書いてくださっていたら、私はさらにもっと多く暗記できたかもしれません。このことからみると、中国のこの極めて悪い環境の下で、法を暗記することがいかに重要かが分かります。

 自由になってから2年以上の歳月が過ぎました。師父の経文は甘露のようでした。私は毎日むさぼるように法を暗唱しています。時々緩めてしまう時、刑務所での困難や苦労を思い出すと精進の意志が倍増されます。いかなる理由をもっても精進しないわけにはいきません。慈悲で偉大な師父はこれほど素晴らしい按排をしてくださったのに、私にまだ何をためらうことがあるのでしょうか? 現在法を暗唱すること、法を暗唱すること、法を暗唱することは私の必修課目です。

 正念の威力

 あのような劣悪な環境の下、同修は記憶している師父の法を私に伝えてくれました。同修の恐れを知らない精神というより、本当に決め手になったのは正念の威力でした。

 4年近い間、常に驚き緊張するような危ない目にあいましたが、結果的に何もありませんでした。何度も遭遇する関門は私達2人の正念と正しい信念に対する試練であり、師父と大法に対する固い信念、これこそが唯一私達がこの関門を乗り越えられた理由です。発正念は私達が肝心な時の唯一の武器で宝物であり、とても感無量です。

 警官は常に監房や作業場を捜査し、よく身体検査をしました。しかし私達はいつもこの3カ所に経文を保管しています。これまで数えきれないほど、すでにもう乗り越えられないと感じた関門を、私達はただ正念を頼りに乗り越えてきました。他にいかなる方法もありませんでした。ただその場に身をおいて自ら体験した人だけが、そのハラハラとした感覚を覚えています。

 例えば、みな作業しているところに、突然大きな声がして、200人以上の人がみんな起立し、そして作業場はしんと静まりかえりました。警官は隅々まで大捜索をします。経文はまさにそこにあります。どうしましょう。正念を発するしかありません。師父が経文を守ってくださいました。師父、ありがとうございます。

 また私達が作業場で仕事をしていた時ですが、警官が監房を捜査していると知らされました。隅々まで捜査していました。「いかなる死角も見逃さない!」としきりに言っていました。その経文は布団の下にあります。どうしましょうか? 発正念し、慈悲なる師父のお守りを求めるしかありません。

 以上のように不思議なことに、いつも毎回のように危険なことから回避することができました。もし師父のご加持とお守りがなければ、4年どころか、4日ももたなかったはずです。修煉状態が最も良い時、私達は正念をもって、少しの人力しか要しないのに、警察の中隊は200人以上の作業工程をあまり変えることができないまま、意外にも私達は常に一緒に居られるようになっていました。皆の前で、私が発正念し、彼女は集中して、師父の経文を書きました。警官が隣まで来る度に、私は彼女に警官が来たと伝えました。後になって、私は彼女に告げませんでした。私はただ精神を集中して発正念するだけでした。なぜなら同修の気を散らせたくなかったからです。また私はどうしてもその経文がほしかったからです。

 最初、同修は毎回1、2枚しかくれませんでした。トイレに行く時、トイレットペーパーで包み、密かに私に渡してくれました。私は喉が渇いた人が水を飲む如く毎回それを暗記しました。彼女は自分が書く速度が私の暗記の速度に追いつかないことに気づきました。それからは、一度に5枚から10枚渡してくれました。最後にはとても早く1日に1冊書きました。上述のとおり、私が発正念し、彼女が書きました。今たまにその時の場面を思い出します。警官が同修の傍を通り過ぎても、警官は全く気づきませんでした。これは何でしょうか? 正念の威力です! 

 慈悲で偉大なる師父に感謝申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/4/4/363726.html)
 
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