山河だけでなく 生まれつきの天性もまた変えられる 
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文/中国の大法弟子

 明慧日本2018年7月6日】「山河は簡単に変えられても、人間の天性は変えがたいものである」という諺(ことわざ)があります。即ち人間の形成された習慣はなかなか変えられないもので、山河の変遷することよりも難しいのです。

 しかしながら、大法修煉者は実践する中で、法輪大法の修煉を通じてこの諺を次のように、「山河だけでなく、人の生まれつきの天性もまた変えられる」と書き直しました。これが信じられなければ、あなたは引き続き読んでみてください。

 戴艶文さんの性格が変わる

 黒龍江省鶴崗市に在住の戴艶文さん(50歳代)は、小さい頃から気性が荒く、怒りっぽい性格の持ち主でした。工農区団結事務局の住民会主任を務めていた時、ある日のこと、事務局長が会議を開くと言っておきながら、午前中待っていてもなかなか初まらず、11時頃になってようやく開かれ、まるや否や「誰も途中で帰るな!」と皆に言い放しました。その言葉を聞いた途端に、戴さんは癇癪(かんしゃく)を起こしカッとなり、目の前のテーブルを持ち上げて事務局長に向かって投げました。イライラする性格から戴さんは多くの業力を造ってしまい、よく頭痛を起こし、その痛みは頭を壁にぶつけたくなるほど辛いものでした。戴さんの長女は7歳の時、幼くして亡くなりました。その頃から戴さんは悲しみにくれ、夜眠れなくなり非常に苦しんで、体重が四十数キロまで落ち、次女が生まれた後少しは気持ちが和らぎましたが、頭痛は相変わらず改善されませんでした。

 1995年、戴さんは千載一遇(せんざいいちぐう・千年に一度しかめぐりあえないほどまれな機会)の好機に法輪大法に出会いました。法輪大法の修煉をした後の戴さんは、生まれ変わったかのように変貌し、人に対して一度も手を上げず、何かトラブルがあれば内に向けて探し、性格も次第に優しく、温和になり、そして頑固な頭痛が治り、枕に頭をのせると直ぐにぐっすりと眠れるようになりました。家族は皆、人を善に導く法輪大法の素晴らしさを目の当たりにしました。長期間続く迫害の中で、戴さんは何度も不当に連行され、警官らに嫌がらせを受け、また刑務所で苦しめられました。しかし、法輪大法に対する金剛のような堅い心と、「真・善・忍」に対する確固たる信念は全く変わりませんでした。

 「もし誰かが王香蓮さんに法輪功を学ばせたら、それは大きな功績です」

 王香蓮さん(60歳代)は辺鄙な田舎に住んでいて、体が弱く病気がちで、苦しい家庭の環境で育てられました。思い通りにならない生活の中で、王さんは気性の荒い、口を開けば人を罵しり、手を上げて人を殴ったり、また女性なのに男性のような言動をしていました。世の中に怖いものなしの王さんは、かつて生活保護手当の支給が不公平であると、何度も郷政府に行き暴れて大騒ぎしたことがあります。畑のカボチャが盗まれた時には、アルミニウムの鍋の蓋を木にぶら下げて一晩中叩いて大声を出し、村人はうるさくて安らかに生活できませんでした。そうした王さんの恐ろしさを数回経験した村の幹部は、皆で畑仕事をする時に、王さんに男性と同じ点数を稼がせ、全郷でたった1人の特別な人物として扱いました。もしも誰かが、王さんや王さんの家族の気に障ることをすると、王さんはその相手の家の玄関先まで行き、気が済むまで罵る有様です。

 村長と幹部達は王さんに対して為す術がありませんでした。1996年前後、法輪功がこの村に伝わってきました。村長や郷幹部達は「もし誰かが王香蓮さんに法輪功を学ばせたら、それは大きな功績です」というような話が出るほどでした。そこで、「この功法はとても良く、1元も使わず病気を治せるのですよ」と勧める人がいました。王さんはちょっとやってみようと思いました。何故なら、当時の王さんの身体はすで数々の病にかかり、疲れ果てていたからです。

 村の中ではまだ修煉者がおらず、王さんは市内で修煉者を見つけました。1997年6月28日、王さんは貴重な『轉法輪』を胸に抱えて帰りました。そして、素晴らしいものに飢えていたかのように、むさぼり読みました。そして、感激のあまり王さんは何回も泣きました。初めて人生の本当の意義が分かり、今まで争ったり、闘ったりしてきた自分を振り返ってみて、その疲れる生き方に対して後悔しました。『轉法輪』を読んだ王さんは道理がわかり、長年の積み重ねた恨みがすべて溶けました。心のわだかまりがなくなり、心の扉が開かれたように生活の生き甲斐を感じ、それはまるで、道に迷っていた自分がようやく本当の家を見つけたような心境でした。

 王さんは今までの負けず嫌いで人とよく喧嘩する性格を改め、他人を尊重し、トラブルの前でも忍耐するようになりました。そして、損をしても争わず、皆と仲よく暮らし、人に接する時は礼儀正しく暖かい心接し、「真・善・忍」に従ってまず他人のために考えるようになりました。すると法輪功を学んで6力月後、王さんの身体は無病状態の身となり、以前よりもいっそう若くなりました。

 以前、村の幹部は会費を徴収しに行っても、王さんはお金があっても無くても払ったことがありませんでした。修煉してからは何も文句を言わずに快く払うようになりました。例年通りに徴収に行くと、またひと悶着あると覚悟していた村の幹部達はこの変化に驚きました。「我々は村中を回りましたが、どこの家も支払ってくれていないのに、今年はあなただけが支払ってくれました。あなたは本当に変わりました。以前のあなたと比べると目を見張るほどの変わりようです。いったいどんな力があなたに人情と道理を教え、良い人に変えたのですか?」と王さんに尋ねました。王さんは「私は法輪功の修煉をしていますから、法輪大法が私を変えたのです。私の師父は何処にいても、他人のために考えるような良い人になるように」と教えて下さいました。数人の村の幹部たちは皆親指を立てて「本当にあなた達の師父に敬服します、法輪功に敬服します。あなた達の師父は本当に偉大な方ですね」

 同郷の人達は修煉後の王さんの大きな変化を見て、「王さんは本当に生まれ変わりました。まるで別人のようです。法輪大法は本当に凄いですね」とみんなが言いました。以前なら、村の人々は王さんに会うのを避けるようにしていましたが、今では、王さんの家を建てる時、村人全員が手伝いに来ました。これらは修煉を通じて大きく変化した王さんを受け入れ、そして、法輪大法に対する信頼と理解の現れだとも言えます。

 「商平手」は生まれ変わる

 商鍚平さんは法輪功を学ぶ前に、かつて樺南林業局公安局の三道溝派出所の副所長を務めたことがあります。社会の良くない風紀と共産党文化に影響され、商さんは酒と遊び事にふけって、亭主関白でした。また、トラブルの中で自分が正しいと思うと絶対に相手を許さず、自分が正しくなくても負けずに論争し、自分の気にそぐわないとすぐ癇癪を起こしていました。そして仕事の上で他人の物をゆすり取ったり、汚職に手を染めるなどが習慣となり、勤務態度も悪く横暴でした。特に個人の利益のために職権を利用して随意に罰金を取り、その罰金の金額も自分勝手に決めていました。商さんの身長は180センチ以上もあり、たくましい体格で、よく大きな手で力いっぱい人を殴っていたため、「商平手」というニックネームが付けられていました。

 その後法輪功の修煉をした商さんは、「真・善・忍」の基準に基づき良い人になるように努力し、心身ともに受益しました。病気が治っただけでなく、今までの官界の風習をすべて捨てて、腐敗している大波に巻き込まれず、人を殴ったりしなくなりました。仕事面では利益を図らず賄賂を受け取らなくなり、自分に対して絶えずさらに良い人になるように努力し、要求するようになり、社会や家庭の中で公認される良い人になりました。

 明慧ネットでは、法輪功を修煉した後に生まれ変わったかのように、心身ともに受益し、道徳レベルが向上した事例は数え切れないほど沢山あり、上げきれません。彼らは修煉の実践を通して、法輪大法が高徳の大法であることを実証しました。中国共産党の残酷な迫害に直面しても、依然として法輪大法を学び続ける信念は変わらず、却ってますます強まりました。中国共産党の強権を恐れず、暴政を怖がらないのはなぜでしょうか? それは法輪大法のお陰で人生の真の意義が明確に分かり、心性を修めて、善に向かって返本帰真するという人生の真諦(しんたい・仏教の最高真理。絶対・究極の真理)を知ったからにほかなりません。そして、「真・善・忍」がすでに修煉者の心の中に深く根を下ろしているからです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/2/364810.html)
 
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