師父はずっと私のそばにおられる
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2018年10月5日】

 一、師父のご加護 正念で神の奇跡が現れる

 私は1996年6月から法輪大法の修煉を始めました。師父の慈悲なるご加護で、現在まで歩んできました。2002年に日本に来て、同修法輪功の資料を配る際に、言葉も通じないし、周りの環境もわからず迷子になってしまいました。どうすればよいかわからない時、「後ろに行ってください」という師父の声が聞こえたようでした。すると、戻ってまもなく路肩に止まっている同修の車が見えました。涙が出てしまい、師父の慈悲なるご加護に感謝いたします。

 ある日、同修の家で資料を整理した後、立ちあがろうとして急に倒れました。同修にも骨折したようなパチリという音が聞こえました。私は立てなくなり、腰が痛くてたまりませんでした。同修は私をベッドに横にさせてくれました。そのとき、「師父が身体を浄化してくださっている、病気ではない。これは邪悪の迫害に過ぎない、絶対にこの状況を認めない」と心の中で思いました。すぐにベッドを降り、座って発正念をしました。同修達も私のために一緒に発正念をしてくれました。家に戻るまでの距離は、元々15分ぐらいで歩ける距離ですが、当日は1時間以上かかりました。家に着いた後、すぐに包帯で腰を巻いてから常人の夫のご飯を作り始めました。夜に学法する際も腰が痛く、じっと座れないので、ひざまづいて一講を学びました。一晩ずっと痛かったのです。翌日はいつものように、起きて同修と一緒に資料を配りに行きました。この状態で3日を経て、師父のご加護により、正常な状態に戻ることができました。この件を通して、固く師を信じ法を信じることで乗り越えられない関門はないとしみじみ感じました。

 二、師父の話に従い しっかり三つのことをする

 2007年、領事館の前で発正念したいと思いました。師父のご加持で、領事館に面している福祉住宅をスムーズにあたり,家から横断幕と真相パネルを設置する場所まで徒歩でわずか2分です。誰かに何かを聞かれたら日本語ができないのでうまく説明できないことを心配しましたが、同修と交流した後、領事館前での発正念の重要性が認識できました。一人だけでも、これを一つのプロジェクトとして最後まで頑張ろうと決心しました。日本語の資料を用意して、日本人が来たら資料を渡しました。パネルや真相資料を読んで真相を理解した人がわざわざコンビニからホットコーヒーや暖かいお茶を買ってきて、寒い中で体を気をつけてくださいと言ってくれました。真相がわかっている彼らを見て心から彼らのためにうれしく思いました。

 領事館へ来る中国人に対しては、『九評』と真相の新聞を渡します。たまには真相のわからない人に妨害されたこともあります。ある日ちょうど発正念している最中、突然一人の留学生にぎゅっと踏みつけられました。そのとき私は怒りませんでした。領事館前で当番の警察官がすぐに近寄って彼を制止して、交番へ連れて行きました。話を聞いた同修もすぐに来ました。警察官はもし彼を通報しようとすれば、彼を拘束することができると伝えました。彼も悪い共産党にだまされただけで、彼の未来を影響させたくないから、同修に真相を伝えてもらいました。彼は法輪功の真相を理解した後、謝ってくれました。

 領事館の前で発正念するほか、観光地で資料を配ったりしています。ある日起きたら、身体全体が赤く腫れ上がってしまいました。ズボンも穿けず、目が少しの隙間しか開きません。元々同修と観光地へ行く約束をしていましたが、この様子では行くこともできません。「邪悪の迫害をさせないよう、観光地へ行けないなら領事館前の発正念に行こう」と思い、マスクをかけて出かけました。邪悪と一昼夜戦って、元の様子に戻りました。師父の慈悲なる救い済度に感謝いたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/29/375040.html)
 
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