「病業」が現れた時に 修煉の厳粛さを悟る 
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2020年1月16日】法輪大法を修煉して22年も経ちました。最初の頃、自分は確かにとても精進していましたが、時間が経つにつれて次第に怠けるようになりました。しかしそのことに気づかず、三つのことも行なっていますが、多くの場合、十分とは言えませんでした。50代になってから健康状態にトラブルもなくすべてが順調のようでしたが、実は、修煉においてすでに問題が起きていました。

 最近になって命を脅かす病業が体に現れ、自分は棒喝されたように衝撃を受けました。直ちに内に向けて探し、正しくない修煉状態を調整しました。すると病業の状態は消えてなくなりました。

 実は、それはずっと更年期障害だと思っていました。2年前から不整脈があって、それほどひどくなかったためにあまり気にせず、いつも通りに煉功し、正念を発し、定期的に真相資料を配っていました。しかし最近、症状が突然ひどくなりました。常人の中で内科医をしている私は、職業がらこの不整脈が普通の症状ではなく、相当深刻なものだと分かっていました。私には常人の心房細動、心不全の早期症状が現れ、咳が出て、夜はトイレを我慢できず、ある時はもう少しでもらしてしまいそうでした。また、老年病の症状もあり、それが脳梗塞に似ていてよだれを垂らしたりしました。もし、常人にこのような症状があった場合には治療を受けなければならず、もしかすると入院する必要があるかもしれません。

 当時、とても驚きました。どうしてこのような深刻な病業が現れたのかが分からず、ただただ緊張していました。その後、煉功を強化し、坐禅を2時間まで延長しましたが、顕著な効果がありませんでした。どうして効果がないのだろうかと不思議に思いました。その時、少し薬を飲めばとも思いました。しかし薬を飲めば、この20年間の修煉を台無しにしてしまうのではないか、自分が修煉者と呼ばれる資格があるだろうかと思いました。師父は説法の中で、薬を絶対に飲んではいけないとはおっしゃいませんでしたが、古い弟子としては「決して大法に泥を塗ってはいけない。薬を飲んではいけない。病院に行ってはいけない」と思いました。

 しかし、どうしてこのような症状が現れたのだろうか? 内に向けて真剣に探しました。このような症状があった場合、常人でしたら治療を受けなければ、病気がますますひどくなることを内科医として分かっています。「体の変化はもう後には戻れないもので、最終的に死亡することになるだろう。しかし、自分は大法弟子で、これらの病業が命を取りに来ている。自分は死ぬのを恐れているのだろうか?」と思いました。

 先ず、自分が死ぬのを恐れていないことを確認し、そして、「大覚は苦を畏れず 意思は金剛より鋳られる 生死に執着無く 坦坦たり正法の路」[1]を暗唱しました。繰り返して暗唱して、本当に生死を放下するまで暗唱しました。それから、『論語』を暗唱しました。以前、暗唱をしたことがありますが、全部覚えられませんでした。今度、もう一度最初らから覚え直しました。同時に、内に向けて探し、怠惰な心、安逸心、利益心、恐怖心などを見つけ、さらに、自分が発正念を重視していないことにも気付きました。

 普段、発正念をする時、私は四つの正時を守れず、足も組まず、掌を立てず、仕事に支障があるから、疲れるからと思い、いつも時間が過ぎてから家事をしながら心の中で発正念をしました。正時じゃなくても発正念さえしていれば、大した問題がないだろうと思っていたからです。

 今から考えれば、特別な時以外は、師父が要求された通りに発正念をしっかり行なわなければ、絶対だめだと思いました。

 修煉は実に厳粛なものです。煉功もしていますがいつも三日坊主で、仕事が忙しくなると煉功を疎かにしていました。これも絶対にだめな事だと思いました。自分がしっかり師父の要求通りに行なえず、発正念を重視せず、煉功を重視しないからこそ、このような深刻な病業が現れたのではないかと思いました。

 修煉者には病気がありません。しかし、邪悪な旧勢力は病業の仮相を作って、修煉者の身に強引に加えて来ます。もし、修煉者が師父の要求通りに真剣に行なわなければ、病業の仮相がやって来ます。そうした場合、直ちに内に向けて探さなければ、本当に危険です!! 場合によっては命に危害を及ぼし兼ねません!!

 悟ったら、すぐに実行しなければなりません! 正時の発正念の時間になると、私は足を組み、掌を立て発正念をしました。そして、まめに煉功をし、同時に師父の『洪吟』、『論語』を暗唱しました。こうして2、3日続けていると、深刻な病業状態が消えてなくなりました。

 今回の病業を通して、修煉の厳粛さを再認識させられました。修煉のことを自分勝手な予断でことを運んではいけない、師父の要求通りに真面目に行なわなければならず、さもなければ、本当の修煉者ではないことを悟りました。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「正念正行」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/12/22/396066.html)
 
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