文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年1月8日】数日前、夢を見ました。その光景は神韻公演の最後の演目とよく似ていました。今ここで、夢の中の光景と師父が啓発してくださった事を書き出し、同修の皆さんと交流したいと思います。
夢の中では、空にカラフルな光が満ち溢れ、神、佛、仙人がいっぱい現れ、天上では様々な殊勝な光景が絶え間なく変化し、光を放ちながら世界を明るく照らしました。その殊勝な光景は人間の言葉ではとても表現できないものです。突然、光の中にさらに明るい光が絶え間なく拡大し、そこから放たれる光は輝きわたり、空にある殊勝な光景を覆い隠し、天地を包みました。その時、光の中心から師父が出て来られました。光の源は師父でした。
師父にお目にかかった私は最高に嬉しく、感動して、大声で、「師父です! 私の師父です!」と叫びました。師父は満天の神佛たちを連れて東方に向かって飛んで行かれ、一部の仙人は地面に飛び下り、世間の人々に真相を伝えていました。じっと見ると、飛び下りてきた仙人たちの殆どは海外の大法弟子でした。
師父は東の方に飛んで行かれました。東の空を見上げると、東の空のある小さな範囲には人類の先端武器や軍用設備がまだ多くあり、それらは中国共産党が10月1日の軍事パレードで披露したミサイルや原子爆弾、飛行機等とよく似ていました。それらはその範囲で飛び回っていますが、そこから飛び出すことができず、師父にしっかり制御されていました。
またある場所では、細い糸でつるしてある二列のネームプレートがあり、そこに名前が書かれていました。上の列には、師父の要求を満たして圓満成就した大法弟子の名前が書かれ、下の列には、救われた衆生の名前が書かれていました。しかし、圓満成就した大法弟子も、救われた衆生も、名前がまだまだ少なく、とても少ない様子でした。
それを見た私はとても衝撃を受けました。最初のころ、師父の真意を理解せず、ただただ興奮していましたが、今、落ち着いて考えれば、少し分かったような気がしました。師父がこの光景を見せてくださったのは、私にこの内容を書き出し、同修達と交流してほしいのではないかと悟りました。
ご存じのように、法を正す進展はすでに終盤になり、もう少しでこの世を正す段階に突入します。夢の中で見た光景はまさしく師父がこの世を正される光景ではないでしょうか? 邪悪はすでに師父に制御され、後は我々がいかにして最後の段階で自らを修め、もっと多くの衆生を救い済度するかだけではないでしょうか?
法を正す進展はすでに最後になり、大法弟子は法を正す修煉の中でここまで歩み、後は、人間の次元で法を正すだけになります。個人的な理解では、人間の次元で法を正すことは、人類を伝統と正信に回帰させることです。それは師父がなぜ伝統文化を重視されているかの理由で、「伝統に戻れば路(みち)は天に通じる」[1]からです。
中国国内の大法弟子と海外の同修との違いはここにあるのではないでしょうか? 海外の同修が生活する環境は正常な人間社会で、党文化の影響が少なく、社会全体は伝統と正信を失っておらず、そのため、海外の同修の進歩はとても速いのです。一方、中国国内の同修は中国共産党が統治する環境の中で生活し、伝統文化が完全に破壊された中で、考えは党文化の中で形成されたものです。そういう意味で、中国国内の同修はこの面において修め難く、中国国内の同修が直面する大きな課題ではないでしょうか?
中国は師父が法を正される主体になっているため、私たちがしっかり行なえるかどうかは、法を正す進展に直接影響を与えます。それは単なる心性の問題だけでなく、それは私たちが異なる社会環境の中で、伝統文化に基づいてしっかり行なえるかどうか、自らしっかり修めることができるかどうか、そして、中国国内の同修が最後の責任を果たし、師父が按排された道をしっかり歩み、求められた基準に到達できるかどうかの大きな問題です。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「造り直す」