些細な事を放っておくと 大事になる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年3月8日】お正月前に次のようなことが起きました。私は同修の家に行き、機械に使用しているインクが、その機械の型式に合っていないことに気づきました。すぐにこのことを協調人に伝えると、私に買って来てほしいと頼まれました。私はそれを聞いて少し気分を悪くし、「私がわざわざこのことを報告して、いつも対処しなければいけないのですか? インクを買う係がいるでしょうに。私は買いに行かないので、他の人に頼んでください」と言いました。すると、協調人も不機嫌になり、「別に、あなたが行かなくても困らないわ」と言いました。

 その後、私は別の同修の家に行くと、協調人は今回のことを話し出し、前回インクを買った人がまだ見つからない、と言いたげでした。実際は、早く買ってきてくれればいいのに、と思っているはずです。この時点でも、私の態度はまだ変わっていませんでした。

 インクをまだ買いに行く人がいなくて、印刷がうまくいかず延び延びになりました。ある同修はインクがないことを理由にして、法輪功の資料を作ることを拒否したのです。ついに、些細な事が大きな事に変わりました。

 私がZ同修に機械の修理をお願いしに行った時、内心ではまだムカムカしながら、「私が何をしているのか、まだわからないの。インクを買う係の人に不満をぶつけて、責任感がないとか、インクもまだ買えていないし、このくらいの事も出来ないのかしら」等等、同修に愚痴をこぼしました。

 同修はその話を聞き終わると「私たちが皆同じ問題に直面した時、このような対応をすると誰が困るのですか? 師父が一番困られるのではありませんか」と言いました。この同修は他の同修と違って、優しい言い方でやんわりと言い、もっと高い基点で問題を見るようにと自分の意見を伝えました。このひと言で私は目覚めました。

 よく考てみると私には、他人に押し付けてもいい理由が充分にありましたが、誰かがやらないといけないし、私が買いに行かなければ、師父は別の人に頼まないといけません。これは師父に迷惑をかけたことになります。私は師父の説法を思い出しました。「眼を閉じて鼾(いびき)をかけば思い悩みを断つ、目覚めれば万事に煩わされて止まず、天地をば法を正す道を阻み難し、只、弟子の人心により遮る」[1] と説かれていました。

 師父はこんな些細なことでも、とても大変になります。私はまだ自分自身の人心に遮られて協力もしないで、師父にご迷惑をおかけしてしまい、師父に大変申し訳ない気がしました。

 本当はこの問題はそれほど大きな問題ではありませんが、私の執着心で人為的に拡大され、その過程の中で自分の利己心、協調しない心、不善な心、不平に思う心、安逸心、プリプリと腹を立てる怒りの心等々の執着心が露呈されました。もしも、私があの時点でインクを購入していれば、今日まで、購入を引き延ばさなくて済んでいたはずです。

 師父は「特に大法弟子の内部において、私たちが外に対して真相を伝える時、衆生に慈悲をもって接しなければならないと思っていますが、大法弟子の間も慈悲でなければなりません。皆さんは同じ法門の弟子であり、皆宇宙で法を正すことに心を尽くし尽力しているため、お互いの間に協力しあうべきです。度を過ぎて常人の心で物事に対処しないでください。お互い常人の心を抱いているために、生じるべきではないトラブルと議論を起こさせないようにしてください。これらのことに大法弟子の寛容、善良と和やかさを表すべきです。相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです。私たちは常人の団結を講じませんが、それは一種の無理に求められている表面形式です。皆さんは修煉者であり、さらに高い境地を持っています」[2] と説かれました。

 私から積極的に協力し、誰の担当であるのかにこだわらず、相手の立場にたって考えたならば、問題をすぐに解決できたはずです。

 ここで、このことに関与してる同修達に心からお詫びをしたいと思います。また、法の基点で私を助けてくれた同修にも感謝します。

 師父は「しかし、皆さんは長年の修練の中で、紆余曲折を経ながら歩んできて、多くの人は本当に正しく歩まなかったのです。絶えず様々な過ちを犯し、場合によって繰り返しているうちに当たり前のようになってしまい、気にしなくなりました。魔難がやってきても、どこに問題があるのかもわかりません。慣れてしまい、どれも大したことがないと思っています。修煉に漏れがないとはどういうことでしょうか? 小さいことはありません」[3] と説かれています。

 もし、私たちがこのような問題に対処する時、すぐに法を思い出せば、師父の按排だと気付きます。あなたはまだ些細な問題だと考えて行なわないのですか? あるいは、さまざまな問題がどこにあるのかわかりませんか? 師父と駆け引きをするのですか? 私たちが今やっているあらゆる事は、未来の人々の手本になるためのものであり、お互いに協力しあって法を実証することでもあります。相手を優先に考えて何事も行ない、精進してこそ、正しい道をしっかりと歩むことになるのです。こうすれば、輝かしい未来に向けて歩むことになり、真に法を実証することになるのです。

 不適切な所があれば、慈悲をもってご指摘ください。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「煩わし」
 [2]  李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/14/401180.html)
 
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