疫病蔓延の中で 自分をどう修めるか
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年3月12日】武漢市で都市封鎖措置が施されました。私はすべての大法弟子は分割できない統一体であり、武漢の大法弟子は最前線にいるかぎり、全体の協調が良く行なわれば、もっと多くの世人が救われるはずだと思いました。しかし、自分は武漢の出身ではないので、武漢の大法弟子について云々することは不適切だと思い、遠慮しました。しかし、昨日の交流文の中で国内の同修はどうすればいいかと尋ねたことについて、私は少し自分の考えを交流したいと思います。不適切なところがあればご叱正下さい。

 新型肺炎の感染が発覚した当初、もし条件が許すなら、武漢の同修は皆、生死を放下して街に出て、医療関係者や、患者に無料送迎サービスを提供しながら医療関係者に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」をしっかり念じることで救われることを患者に教え、最も人手が不足している場所のボランティア活動に参加してほしいと思いました。また、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」の言葉を世間の人々に伝える時には工夫をしなければなりません。(人に伝える時は理性を以って、智慧を使い、誰それがこの言葉を念じていたら回復した等の実例を挙げる)これが災いを転じて福となすための最も有効な方法であると知ってもらわなければなりません。もし武漢の大法弟子が上手に伝えられれば、その言葉は人伝えに大きな影響をもたらすでしょう。世間の全ての執着を放下出来るか否かは武漢の大法弟子にとっては大きな試練であり、生死を放下する試練でもあります。(私のこの考えは過激な考えかもしれません)

 実際、新型肺炎が拡大し始めたころに、大勢の市民は街に出て、無料送迎サービスを提供していましたが、今は少なくなりました。原因の一つはサービスを提供していた人々も感染したりして、怖くなりました。常人でさえこの様な奉仕が出来たのですから、大法弟子に出来ないことはないはずです。

 それでは、武漢地区以外の中国国内の大法弟子として、武漢の同修の為に正念を発し、思いつく限りの方法で武漢を応援し、武漢の大法弟子が全力を尽くせるよう手助けをしなければなりません。邪悪がウイルスを利用して大法弟子を妨げ、大法弟子に迫害を加える事は認めません。実は大法弟子は強い正念を保つことが出来れば、ウイルスは侵入してきません。

 どの様な状態が心が正しく、念が正しいと言えるのでしょうか?

 一つ例を挙げます。ある学習者は家族に自分は大法弟子なので、感染しないと宣言して、毎日市場へ行き家族の食料の買い出しをしましたが、不意に感染したのでした。顕示心がその学習者にこの結果をもたらしたという意見でしたが、私の考えでは、いかなる人心も自我を中心にするものであって、我を捨てて、他人の事を考慮していれば、このような結果を招かなかったかもしれません。それは冬に室外で煉功する時に手袋を装着するか、しないかについて師父が仰った法理と同じ道理です。自分は古い学習者なので、手袋を装着しなくても凍傷の心配はなくても、新しい学習者の事を考慮して手袋をしなければなりません。ウイルスの予防についても同じです、私達は大法弟子ですから、無事であっても、他人はそれを知らないのです。予防措置をしていない私たちを見て、私たちの事を感染者で、社会への復讐願望を抱いている人物だと思うかもしれません、そういう可能性もあり得ます。

 もう一つ、マスクをつけることですが、常人の理から、マスクをつけることによって、確かに少し防御作用をもたらすことが出来ます、私たちもつければ良いのです。一方は他人を安心させるためです、もう一方は弱小な常人にマスクをつけて自己防衛して欲しいからです。私たちのすべての出発点は他人の為を基点にしたものでなければなりません。

 また、心を正しく保ち、念を正すことについてお話します。真に頭に衆生を救い済度したい一念しかなければ、邪悪は隙に乗じることが出来ません。ですので、時々刻々「意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します。これらは死ねと念じれば、根絶されるのです。5分間で利きます」[1] 。これは極めて重要な事です。もちろん、我を忘れて、心の中には全て人を救うことしかない境地に至れば、恐れる心と様々な私心、雑念も無くなり、邪悪も隙を狙うことが出来なくなります。

 都市封鎖後に、路頭に迷い、身分証明を持たない大法弟子に対して、日をあけて、数日に一回支援物質を送ることにして、門を隔てて、送る側は外から渡して、受け取る側は門の内側で行なえばよいと思います。工夫をすればきっと方法はもっと沢山あると思います。

 ローマ帝国時代、疫病が蔓延した時に、キリスト教徒が生死を恐れずに他人を救う行動が最終的に、世人に認められたのです。私たち大法弟子はこれ以上に行なわなければなりません、なぜなら、この大法はとてつもなく大きく、大法弟子の由来が大きく、責任も大きいのですから。

 少しばかりの認識です。不適切なところがあれば、同修のご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『導航』「二〇〇一年カナダ法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/19/401387.html)
 
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