娘の結婚、離婚、復縁、舅、姑の物語
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年3月29日】私は1998年から法輪大法の修煉を始めました。20年余りの修煉を振り返り、救い済度してくださる師父に心から感謝申し上げます。

 私は娘を出産する時に医療事故に遭い、身体に大きなダメージが受けました。当時、私は倦怠感がひどく、微熱が出て、頭痛と共に全身の関節の痛み、虫垂炎、右乳房からはしばしば体液が流れ出ました。漢方薬を含むあらゆる薬を飲みましたが、全然治りませんでした。さらに、私が42歳の時に夫の浮気で離婚してしまい、1人で少ない収入のなかで娘を育てました。貧しい生活で身体も弱く、どこからも救いの手がない厳しい環境の中で、私には希望が見えず、運命の悲しさにしょっちゅう1人で涙を流しました。

 ある日、同僚から「社内に法輪功を煉っている人がいます。法輪功は佛家功で、健康保持と病気の治療にとても素晴らしい効果があるらしいから、あなたもやってみたら」と勧められました。私は法輪功の書籍『轉法輪』を手に入れ、本の中の師父の写真を初めて見た時に、不思議にどこかで会ったように感じました。私は3日かけて『轉法輪』を全部読みました。本の中から私は人がなぜこの世で生きているのか? 人間になる目的とは何か? また、すべての苦難は幾度の前世で自分が悪い事を働いた積み重ねだと分かりました。今までの人生に関する疑問が解かれ心から喜びを覚え、人生に希望が見えました。

 一、娘の結婚

 2003年、娘が大学に入ってまだ2カ月余りのある日曜日、娘は自分より1年上のある男子学生にプロポーズされたと私に教えました。その男子学生は、「父親は昔軍人でしたが、現在はこの地域で大きな権力を持つ幹部で、母親は以前中学校の教師でしたが、父親の力で今は専門学校の幹部です。自分は一人子です」と言いました。

 私は娘に「交際することに反対はしないが、家の事情を相手にはっきり伝える必要がある。まず、あなたは6歳の時に両親が離婚し、母子家庭で育てられて母の少ない収入で大学に入ったこと。また、母は法輪功を修煉していること。母はあなたを出産する時に医療事故に遭い死の危機を免れたものの、病気だらけの身体になってしまったが、法輪功を修煉してから薬を飲んだことがなく、1銭も使わずにすべての病気がなくなって健康になったこと。法輪功を修煉する人はみな真・善・忍に基づいて心を修め、人のことを先に考える良い人だということを教えないといけない」と言いました。

 実は、相手の家庭環境との差が大きすぎることに私はいつも不安を感じ、娘に説得しましたが、相手がどうしても放棄しようとしなかったので、私はこれも縁かもしれないと思い自然に任せました。

 娘はその人と結婚することになりました。しかし、娘婿と彼の両親は花嫁の母である私を結婚式に呼びませんでした。理由としては、結婚式に参加する予定のある娘婿の職場のトップが私のことを知っているため、私が娘婿の出世にマイナスになると心配したのです。ですから決めた結婚式の日付を変えて私を参列させませんでした。

 実は、私は日付が変えられたことを知っていました。その時、悲しみと怒りでとても辛かったのです。大切に育てた一人娘が結婚するのに、その姿を見せない理不尽さに怨恨する気持ちでいっぱいでした。結婚式場に行ってめちゃめちゃにしようという衝動もありましたが、ふと師父の説法の「苦の中の苦に耐え、かつ大きな忍の心をもつように修煉しなければならないのです」[1] を思い出しました。師父は韓信の股くぐりの物語を語られ、「われわれは、トラブルに直面した時、一歩引き下がれば世界が広々と開けると言っています。間違いなく違った世界が現われるのです」[1]と教えてくださいました。私の心は一瞬にして明るくなり落ち着きました。「そうだ、修煉者の基準で行なうべきだ」と決めました。

 娘婿の一家は中国共産党による偽りの宣伝に騙されて善し悪しを見分けられず、人間としての道理も分かっていません。「今日は娘の大事な結婚式だ。母として娘の結婚を心から祝うべきだ」と私は考え直し、スーパーで祝いの飴を買ってきて、勤務している学校の同僚や友人に配り、「娘が結婚したよ、飴をどうぞ」と喜びを分かち合いました。皆さんから「おめでとうございます! 一人で子供を立派に育て、娘さんは良い仕事に就き、結婚もしてよかったね!」と皆さんから祝福されました。そう言われた時に少し辛いと感じましたが、師父の「はっきりと苦しみに耐え、自分の利益が侵害されることが分かっていても心が動じません。これはあなた自身を修めているのではありませんか?」[2]という法が現れました。「修煉者は必ずできなければなりません。しかも他人にいじめられたとき、あなたは怒りも恨みも持ってはならず、平然と対処し、ひいては恩讐を一笑に付し、殴られても殴った人に心から感謝しなければなりません」[3]という大法の法理は絶えず私の心を清めました。「あなたは教えた通りにできているか?」と自分に問いかけました。

 結婚式から1週間後私は娘に電話をかけ、「この日曜日に旦那さんと一緒に家に来て食事をしてね」と言いました。娘はとても喜んで、夫婦一緒に来てくれました。食事の後、私は「これから週に一度母さんの所で一緒に食事をしましょう」と言うと、2人は賛同してくれました。私はほかの話を何もしませんでした。

 二、娘の突然の離婚

 2009年、私は法輪大法の修煉を放棄しないため、中国共産党により禁錮5年の判決を受けました。刑務所の中で私を「転向」させるために、長時間にわたって肉体的、精神的な迫害を繰り返しました。彼らは私に師父と大法を誹謗中傷する映像を強制的に見せ、睡眠を奪い、虐待、脅迫、さらには常に暴力を振るいました。それと同時に、娘にも嫌がらせをして、娘の勤務先や家庭にまで行って脅迫しました。そんな中で娘から一通の手紙が届きました。「母さんが原因で、夫は両親の圧力に耐えられず私と離婚しました」と書かれていました。この手紙は刑務所の審査を通して届いたもので、親子の情を利用して私に圧力をかけました。しかし、師父と大法に対する信念はどんな力でも私を変えさせることはできませんでした。

 しばらくして、娘からまた手紙が届きました。「母さん、私と離婚したあの人は、今毎日のように家に来て復縁しようとしています。当初、彼は母親に問い詰められて離婚せざるを得なかったそうです。その後、母親があちこちで息子のために嫁を求めましたが、彼は誰もいらず、最後は家を出て勤務先で寝泊まりするようになったそうです。両親は息子に何かあったらと心配して私との復縁を許しました。彼は両親と一緒に私の所へ来て、私に謝罪して復縁するように説得しました。最初私は会いたくないから戸を開けませんでしたが、3人は外で1時間以上も立ち続け、特に彼の母親はずっと泣きながら私にお願いしました。冷静に考えてみると、彼はとても私を大事にしてくれたので、復縁することに同意しました」と私に教えました。

 その後、またしばらくして、娘は刑務所に来て私に会いました。そして妊娠したことを私に知らせました。

 5年の不法な監禁から解放され刑務所を出た時には、外孫はすでに1歳を過ぎていました。地元の習慣によって、私は外孫に誕生の祝い金と1歳の祝い金を一緒にして渡しました。

 三、私は必ず彼らを救う

 刑務所から家に戻った後、私は法を暗唱するなど真剣に学法するようになり、自分の言動を大法に照らして、大法ですべてを正すようにしました。

 ある日、娘から電話があり、姑夫婦が実家に行くので、私に自分たちの家に来て子守をして欲しいと頼まれました。娘婿の両親はすでに定年退職し、息子一家と同居していますが、たまにしか実家に行きません。師父が私をこの一家を救うように按排してくださったのだと思いました。娘が大学に入って、娘婿と交際してから結婚するまで、私はまだ彼らにあまり法輪功の真相を伝えていませんでした。特に私が刑務所に入れられる前に娘婿の家族には数回しか会わなかったし、会ったとしても私を軽視して、あまり会話もしませんでした。

 娘が結婚する頃、娘婿の両親は私の住む近くに新しい住宅を購入し、私を自分たちの所へ呼び結婚式について相談しましたが、結局決めた日付の2日前、電話で実家に急きょ用事があるので結婚式を延期すると伝え、実は2日延期して、私を除外して式を行なったのです。

 結婚後に私は週に一度の食事会を通じて娘と娘婿に大法の真相を伝えましたが、なかなか素直に受け入れず、法輪功の資料を渡しても時間がないからと拒まれました。私は「必ずあなた達を救います」と、彼らに向けて発正念をしました。

 私は「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」、「5.13世界法輪大法デー」などをシールに印刷したほか、大法弟子が作成した『夢からの目覚め』の歌詞と絵画を明慧ネットから印刷して、外孫も見えるように1メートルを超えないようにリビングルームの壁にたくさん貼っておきました。

 ある時、私が台所から料理を運んでリビングルームに入ると、娘と娘婿が「5.13世界法輪大法デー」のシールを見ていて、外孫は海外の大法弟子が集団煉功する雄大な場面の写真を指して「おばあちゃんはここにいるの?」と聞き、また、台湾の同修たちが並んで組んだ法輪図形を指しながら「これは何?」と聞いたので、私は「法輪の図形だよ」と教えました。

 それからしばらくして、娘は私にまた妊娠したと教え、今度は女の子が欲しいと言いました。私は「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を念ずると物事が思った通りになると教えました。その後、娘はめでたく女の子を出産しました。

 娘夫婦は復縁後、新しくマンションを買って両親と別居しました。現在、娘婿の両親は毎日息子の家に行き、孫と孫娘の子守をしています。私も週に一度向こうに行きますが、娘の姑夫婦と会うことが増え、距離も近くなり、もちろん大法の真相を伝えることもしやすくなりました。

 四、娘の舅と姑は大法の師父に感謝

 娘の舅と姑は中国共産党に洗脳され、党文化の要素が自然に言動に現れるのです。彼らに大法の真相を伝え、彼らを救い済度するために、私は常に大法に従ってより良い人になり、大法弟子の善良そのものが真相であると思いました。

 私はいつも娘一家の好きな食べ物を買っい、娘の家に着いたら自ら台所に入って料理を作り、家事を手伝いました。娘の舅と姑は2人とも高血圧で、特に姑は重い糖尿病を患い、自分でインスリン注射をしていました。私は彼らの身体にやさしい料理を作り、食事の時も私が子守をして、相手を先に食べさせ、彼らが前の日に食べ残したおかずを食べるなど、いつも人のことを先に考えました。師父は「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[1]と教えてくださいました。

 このようにして接するうちに数カ月が経ちました。ある日、私が娘の家に行くと、姑は笑顔で出迎え、私に「とてもお元気で、疲れが全然見えませんね」と羨ましそうに言いました。私は彼女に「昔、私は出産で医療事故に遭い死にそうになり、病気だらけでした。幸い、法輪功を修煉したことで、薬を一錠も飲まず、1銭も使わずに健康を手に入れました。実は法輪功を修煉することは『真・善・忍』に基づいてより善い人になることです」と言いました。すると、姑は「なるほど。だから主人も、嫁の母は法輪功をやっていると聞いたが、とても善良な人だ。テレビの宣伝と違うね」と言いました。

 それ以降、私は娘一家に大法の真相や、法輪大法の素晴らしさ、大法が世界中で広がる盛況と天安門焼身自殺事件の偽り宣伝について教え、また1冊の『轉法輪』を渡しました。

 その後、私は最高検察庁と最高裁判所宛てに、法輪功への迫害を起こした元凶である江沢民への告訴状と地元警察と勤め先の責任者宛てに書いた大法の真相を伝える手紙を姑に見せました。

 ある日、娘の家の台所で食事の支度をしている時、娘の姑は私の側に来て、私に「あなたが私に見せた内容を全部読みました。『轉法輪』も読みました。『轉法輪』は良い人になる正しい道を教える本ですね。テレビの宣伝と全く違います」と真剣に言いました。私は「その通りです。法輪功に対して誹謗中傷と嘘偽りの宣伝をして、佛法に対する人々の恨みを煽り、民衆を害しているのです」と言いました。私の話を聞いて、彼女は次のように言いました。「当時、私たちはまだ在職中で、すべての人に法輪功を反対する署名を強いられました。それからテレビで毎日のように法輪功に対する誹謗中傷の番組が流れることで、真相を知ることができませんでした。あなた達はとても素晴らしい! 迫害の中でも屈せず、真相を伝えて正義を訴えてきました。法輪大法は素晴らしい! 大法の師父は偉大です!」、「息子も私に義理の母が法輪功を修煉することは間違っていない。中国共産党が間違っている。これから義母に部屋を一つ空けて、負担を掛けないように煉功させようと私に提案しました。嫁も私に母親が修煉して身体も健康になったし、悪い事もしないと言いました」

 それ以降、昼の12時と午後6時の発正念の時間になると、娘の姑は私に「あなたの時間ですよ。自分の部屋でやってください。残りの家事は私が続けます」と催促してくれます。ある日、私が部屋で発正念をしている最中、幼い外孫と孫娘が私の部屋に遊びに来ましたが、娘婿は「おばあちゃんの邪魔をしてはだめだよ」と言いながら、子供たちを連れて離れました。

 私は娘の姑に「三退」の大切さを説明すると、彼女はその場で脱退し、その後、娘婿も中国共産党の組織から脱退しました。私は彼らに大法のお守りを渡して、その上に書かれた「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」を念じるように教えました。

 ある週末、私が娘の家に行くと、娘の姑は孫娘を抱っこして「おばあちゃんはとても元気だね。羨ましいね。おばあちゃんが教えた『法輪大法は素晴らしい』、『真・善・忍は素晴らしい』を一緒に念じましょう」と笑いながら言いました。それから私に「あなたはとても良い人です。一般的には嫁の母はよく娘の家庭事情を攪乱させると聞いたが、あなたはいつも娘を説得していますね」と感心しました。実は、以前娘が離婚されたのも姑が圧力をかけたからです。そのため、娘に姑を怨恨する気持ちが生じました。私はいつも娘に「夫の両親はあなたの両親でもあり、親孝行しないといけない」と教えるので、舅と姑に対する態度が少しずつ変わりました。                           

 今まで私は一度も娘の舅と姑の前で、当時結婚式の日付を変えて私を参加させなかったことや娘を離婚させるために圧力をかけたことに言及したことはありません。修煉者として、私は人の良し悪しを見ず、ひたすら内に向けて探し、大法を基準にして修め、自分の心性を高めています。

 その後、娘の舅が病気で入院し、手術をする必要があったため姑が病院で看病することになりました。私は娘の家に住んで子守をしながら家事を手伝いました。手術前に私は孫たちを娘婿に任せて娘と一緒に病院へ見舞いに行きました。

 娘の舅と姑は私の見舞いを喜んでくれました。私は栄養ドリンクでも買って飲むように見舞金を渡しました。舅と姑は以前の事を私に謝りましたが、私は「私たちは親戚です。謝らなくてもいいです」と言うと、姑は私に「明日手術をするので、私は主人に『法輪大法は素晴らしい』、『真・善・忍は素晴らしい』と念じるように教え、私も手術室の外で念じます」と言いました。私は舅さんに「天意に従って、三退してください」と言うと、舅は「はい、あなたの言った通り、三退をお願いします」と言い、仮名で中国共産党の組織から脱退しました。

 ある日、娘婿は私に「お母さんはとても元気で若々しく、品があります。母がいつもお母さんは本当に善い人だと言っています」と言いました。

 人々は大法弟子に現れた善良を感じ、法輪大法を心から敬服しています。私は修煉者として自分を修め、善の力で娘婿一家との十数年のわだかまりを溶かし、救うことが出来ました。これは大法の威力であり、師父の慈悲であります!

 結語

 私は20年余りの修煉の道で転びながらも今日までたどり着きました。弟子のために師父は心を尽くされ、いつも見守ってくださいます。師父の数え切れないご恩は言葉で表し難いものです。これからも修煉を緩めず、より多くの衆生を救い済度していきます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法一』「シンガポール佛学会成立式典での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/17/402483.html)
 
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