家族が語る 朝鮮族の青年・権忠浩さんの迫害死の経緯 
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 【明慧日本2020年7月19日】黒竜江省牡丹江市(ぼたんこう-し)西安区朝鮮族卿の法輪功学習者・権忠浩さんは2003年9月28日に役場の人員らに酷く殴打されて死亡した。権さんが死亡した後、役場の人員らは「首をつって死んだ」という偽の現場を作って家族に見せた後、すぐに遺体を火葬した。しかし、権さんの遺体には全身に血痕があり傷だらけだったことを家族は目撃した。

 権さんの父は息子の迫害死の経緯を次のように述べた。

 私は権相睦といい、(83歳)、妻は金相淑といい、(78歳)、私達家族全員は朝鮮族で、牡丹江市西安区に住んでおり農民である。法輪功を修煉する前、私は全身病気だらけだった。法輪功を修煉した後、健康を取り戻し家庭も平和になった。

 わが家の4人は法輪功学習者である。娘は妻と前の夫の子供で、名前は李淑金といい、(51歳)息子は権忠浩で、迫害死の時は28歳だった。

 現在、私は息子・権忠浩が迫害により死亡した経緯を書き出して、不正が是正され、正義が貫かれるよう願うだけだ。

 1999年7.20以降、中国全土で法輪功への迫害が始まった。現地の警官らと村の共産党幹部らは、当局の虚言に騙された村民を率いて我が家に嫌がらせをしに来た。法輪功を放棄するよう娘に保証書を書くことを強要し、息子を洗脳班に連行して、15日間身柄を不当に拘束し洗脳教育や拷問を行なった。

 2003年9月27日、私達は一日の畑の仕事を終わらせて帰宅し、晩御飯を食べていた際に電話が鳴り、息子がでた。「誰から?」と聞くと、息子は「役場から。明日役場に来るように言われた」と言った。私は疲れたので、息子の話をあまり気にせず先に寝た。

 翌日朝4時ごろ、私が目を覚ますと、息子が家にいないことに気付いた。暫くして、村の共産党書記・崔浩が電話をしてきて、「あなたの息子は首をつって死んだ」と告げた。私はすぐに家を出て探し回ったが、見つからなかった。最後に崔書記が居場所を教えてくれ、家から500メートル離れた山の中で息子の遺体を見つけた。遺体は木に吊り下げた状態だった。

 息子を木から下ろし地面に置いた。その時、縄が我が家のものではないことが分かった。首をつって死んだ人は皆舌を伸ばした状態だというが、息子はその状態ではなかった。しかも、息子の全身は血痕と傷だらけだった。「あなたたちが息子を殴って殺した後木に吊り下げたでしょう」「どうしてあなたは息子がここで死んでいることを知っているんですか」と私が聞くと、村書記は「薬の木を採っていた人から聞いた」と答えた。

 当時、その場にいたのは村の会計・李某、役場の治安主任・張某と金某、村長・李某、派出所の人員ら十数人で、村民は誰一人もいなかった。

 私は「あなたたちが殴って殺したでしょう」と引き続き指摘したが、治安主任など数人が私を引きずって家に連れて帰った。

 息子は理由もなく死んでしまい本当に酷かった。海林市公安局の関係者は息子の火葬代を私から強請取って、私達夫婦の同意もなく息子の遺体を無理やり火葬場に運んだ。

 1人の若くて元気な男が訳もなく突然亡くなり私達夫婦は断腸の思いだった。

 公安局の人員らは、毎日我が家に人員を派遣して監視していた。誰と接触したか、誰と話したか、誰とも話してはいけないとかを厳しく監視した。たまに娘が訪れてくるが、部屋に座っているのはすべて当局の人員だと気付いて何も話せずに帰っていった。この状態が6カ月続き、誰も我が家に来ないことが分かり、しかも私達夫婦も怒るに怒られず口にも出さないのをみて、当局の人員らは安心してやっと監視を止めた。

 あれから20年経ったが、我々には不平を言う場所もなければ、心を語る場所もない。しかし犯人らはまだ法に反し勝手気ままな状態である。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/7/408673.html)
 
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